第十六話 銀の月が見える夜
「……みこ、と、さん……?」
薄れゆく意識の中で見たその顔は、雪穂にとってまるで救世主であるかのように頼もしく見えた。
「へぇ、悪魔祓い?僕をここで祓うというのかい?言っておくけど悪魔祓い如きでは僕は何ともならないよ?」
「…悪魔祓い"如き"か。そう足元ばかり見ているから……君は足元を掬われる」
「ぐあああああああああああ!!何を!何をした!!!」
「今ここで倒すには僕の力も足りない。なのでここで拘束をさせてもらう」
まだ状況がよくわからないが、ひとまず助かったのか、と雪穂は安堵する。
「雪穂。すぐに家に帰ってほしい…と言いたいところだが、あいにくその悪魔の手で傷がつけられている。神父に診てもらうため、こっちに来てくれないか」
「悪魔からつけられた傷は自然には治らない、だっけ?ってことは、このままほっといたら死んじゃうわけか……」
何となく口をついて言葉にしてみたが、嫌な実感が湧いてしまう。
死ぬ?死ぬとはどういうことなんだろう。
自分というものが消えてなくなるのだろうか。それをはっきりと頭の中で考えられないだけに、雪穂の中に大きな不安が渦巻く。
「君の場合、ただ死ぬだけじゃ済まされない場合があるからな」
「……はい?」
ぐるぐると思考を巡らせている頭が、急速に冷える。
「君の肉体には既に強力な悪魔が取り憑いている。君の魂がなくなった時点で、君の身体は完全に悪魔が乗っ取る形になる」
「うっわ……最悪殺すしかないみたいなこと言われてた気がするけど、そもそも死んじゃいけないじゃんあたし!?」
「あれは生きたまま完全に身体を乗っ取られ、魂を食われた場合の話だからな」
「説明不足!!」
教会へと向かう道の中で、改めて自分の今の状態を認知する。
巻き込まれて戦うことになってしまった、というような意識でいた雪穂だが、そもそもあの時悪魔に襲われた時点で元の退屈な日常には戻れなかったのではないか?
「……あのさ、尊さん」
「どうしたんだ?」
「もしあたしが完全に悪魔に乗っ取られて、あたしがあたしじゃなくなったらさ、尊さんに祓ってほしい」
「…そうなった時点で君は"八坂雪穂"じゃなく、単なる悪魔のうちの1体だ。何をそう気にすることがある」
「やっぱさぁ、自分が自分じゃなくなるのって、怖いんだよ。でもさ、もしそうなった時にそういう約束してくれたら、安心するかな、って」
自分でも何を恥ずかしいことを言っているんだ、と思ってしまったが、こうなってしまえばもう途中で止めた方が恥ずかしい。
「要するに!悪魔祓いやってる中で尊さんのことを一番信用してるから!信用してる人に止めてもらうのが一番いいじゃん!?」
「……わかった。そういうことなら約束しよう」
本当にわかっているんだろうか。疑問が雪穂の頭の中に浮かぶが、ついぞ口をついて出ることはなかった。
「着いたぞ。身体は痛まないか?」
「さっきよりはちょっとマシになった。というか、喋ってる間に痛み忘れてたのかも」
「そうかもしれないな」
「…そういえば、さっき会ったあいつは何?なんか悪魔憑きっぽかったけど、悪魔憑きっていうにはなんか喋り方がしっかりしてたような気がするんだけど」
「悪魔に完全に乗っ取られるとああなる。悪魔は通常欲望のままに暴れるが、完全に魂が食われるとむしろ理性的になる。…もっとも、その本質自体は変わらないがな」
いまいち納得は出来なかったが、何より大事なのは自分の傷の方だ。あれだけ深い傷なら、もし自然に治るとしてもすぐには治らない。
しかも本来これは自然に治ることがない傷なのだという。不思議なことに雪穂の頭の中に浮かんだ考えは
「(お母さんや風子にもどう説明しよっかな、これ……)」というものだった。
「おかえり、なんか急いでたみたいだけどよ、何とかなったか?」
「あっ…尊さんおかえりなさい。大丈夫でした?」
教会の方へと足を踏み入れると、伊織と夜空が2人を出迎えていた。相変わらず見た目と喋りがちぐはぐで、雪穂は頭が混乱しそうになる。
「僕は大丈夫だった。ただ…雪穂が襲われていたのでな。少しやられたから傷を診てほしい」
「はい…わかりました。伊織は尊さんから、報告聞いておいてね」
「わーったよ。にしても最近やっぱ変だよなぁ」
そのまま、尊と伊織はどこかへ向かっていった。雪穂は2人を見送ると、改めて夜空の方へと向き直る。
「魔障は放置しておくと本当に危ないですし、最悪そこから悪魔に憑かれるケースもあるので……あっ、そのあたりの話、もう聞いてました…?」
「うん、一応聞いてたけど。でも改めて詳しく聞いてもいい?夜空ちゃんが良ければだけど」
「はい……。あの、悪魔から受けた傷っていうのは治らないだけでなく、様々な影響があるんです。悪魔に憑かれやすくなるのもありますが、人格が歪んでしまう場合もあります」
「…そ、そうなの……というかあたしよく助かったよね」
「雪穂さんの場合は…その、処置が早かったので。処置が遅いと傷痕が残ったりもしますからね」
「…何だか。呪い、みたいだなぁ、それ」
「悪魔祓いの方法が確立されるまでは実際、呪いって言われてたみたいです。…そうだ、傷。見せてくれませんか?」
「ああ、そいえばそれが目的なんだった」
寝間着の袖をめくり、先ほど傷がついた場所を指で指し示す。
「……あれ?傷、治ってるみたいですね……?」
「ほんとだ。道理であんまり痛くないって思った」
もしかして大したことのない傷だったのだろうか。そんなはずはないだろう。何せ雪穂は、あの傷を受けた時に意識が飛びそうなほど痛かったのだ。
「あの、傷受けた時の状況、聞いてもいいでしょうか……?」
「ああ。もう治っているというのはちょっと今まで見たことない、ですね……?」
「えっ、そうなの?」
「はい。今まで何度も魔障を受けた方を見たんですけど、自然治癒でここまで治るのは初めて見ました」
「…待って。そもそも治らない、って聞いたんだけど」
確か伊織はそう話していたし、尊もそういう認識だったような覚えがある。何か記憶違いをしているのだろうかと、雪穂は考える。
「正確には全く治らない、というわけではないんです。ただ、自然治癒が著しく遅いんです。
…雪穂さんの話を聞いている限り、結構深い傷だったみたいなので、それほどの傷がすぐに治るというのは、ちょっと……」
「……ちょっと?」
夜空の顔に少し焦りのような色が浮かんだような気がして、雪穂は夜空の顔を覗き込むようにして見る。
「す、すみません近いです…!って、そうじゃなくて。これほど傷の治りが早いとなると……いえ、何でもありません」
「……?」
「あ、あの。もしかして悪魔に憑かれている影響があるのではないかと…ちょっと思ったんです。
悪魔に憑かれた人間って、なんだか身体の代謝がどうとかの問題で、傷が早く治ったりするらしいんです。もしかしたらそれかもしれないな…って思い、ました」
やけに言いよどむ様子を、雪穂は不審そうに見つめていた。
「このことについては、秘密にしておりますね。ぼくと、雪穂さんだけの秘密です。悪魔の影響が強いとなると、あまり良い顔しない方もいますので……」
少し不安を抱えつつも、ひとまずはどうにかなったと安堵し、雪穂は夜空たちに別れを告げ、自分の住む家へと戻った。
そして彼女は、これから先の戦いがまだまだ厳しくなることを、どこか自分の中で確信していた。
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