第17話 衣服講座と「あの日」のストゥート 後編

エレベーターは地震で停止したのか、

動かなかったので、高さ的には3階分の

場所にある、地下1階から、

階段で行くことにした。

いつもなら、手術室を出た瞬間、

会計窓口で、患者さんの名前を呼ぶア

ナウンスや人の話し声、電話がなる音や

救急車のサイレンの音など、さまざまな音が

聞こえてくるのに、

今は怖いくらい、無音だった。


階段をのぼって、1階へ着くと、

目に飛びこんできた光景に、愕然とした。

ロディニアが言ったとおり、誰もいなかった

から。

つい今しがたまで居たであろう気配はする

のに、突然、人間だけ消えしまったかのよう

だった。

1階のフロアは、ほとんどの壁が

ガラス張りになっていたから、外の景色が

よく見えた。

その光景は、手術室に入る前に見た景色とは

様変わりしていた。

「一体、何がどうなっているの!? どうして、誰もいないの?」

私は、走りながら、診察室、病室、薬局、

食堂、仮眠室などを、見てまわった。

自力で動けない新生児室にいた赤ちゃんは

ひとりもいなかったのに、自力で動けない、

ICUに入院している患者さんは数人、

残っていた。


「ステファン!」

私は、手術室には戻らずに、病院を出ようと

正面玄関の自動ドアの前に来た。

自動ドアは故障していて、開かなかったから

どうにかこじあけようと試みたけど、

まったく開いてくれなかった。

「どうしよう……あ!」

目に入った、飾り椅子を見つけて、

それを持ち上げて、おもいっきりガラス製の

自動ドアに投げた。

ガシャン!

大きな音をたてて、ガラスが粉々になった。

破片にふれないように、気をつけながら

自動ドアにあいた穴を通った。

外は、中から見ていたよりも、

状況が酷かった。

強い風が吹いていて、空、一面に広がった

黒い雲のいたるところで、雷がひかり、

バキッ、ミシッ。

不気味な音をたてながら、地面がゆっくり

割れ、そこに、豪雨によってできた川の水が

いきおいよく流れ込んでいた。

「一体、どうなっているの? いつの間に、こんな状況になったの!? ステファン……無事よね!? 」


私は、地割れによってできた穴に

気をつけながら、雷が落ちて、火柱が

あがっている場所を避けて、家に向かって

走った。

「うわっ」

ぬかるみに足がとられて、地面に顔から

倒れた。

体の正面がすべて、泥まみれになった。

「最悪……」

目に泥がついて、まぶたが少ししか開かな

かった。

視界が悪い中、幸い近くに水たまりが

あるのを見つけたので、そこで顔を洗って、

立ち上がった。


走っても、走っても、家にはなかなか

たどり着かなかった。

そんな時、ステファンの友達のエドの家を

見つけた。

もしかしたら、ここにいるかもしれない!

そう思った私は、エドの家に向かった。

玄関の扉をたたくと、エドのお姉さんの

ボーアが出てきた。

「ステファンはいる? ステファンかエドと連絡ついた?」

私が聞くと、

「ここには来ていないし、連絡もついていないの。ストゥートさんの携帯電話は使えるる?」

ボーア言った。

「携帯電話? あぁ、ロッカーから持ち出すのを忘れていたわ。手術室から、そのまま来たの。ボーア、貸してくれない?」

私がお願いをすると、

「ごめんなさい。私の携帯電話は、壊れたみたいで使えないの……バッテリー切れかと思って、ずっと充電しているんだけど、まったく電源が入らないの」

ボーアは、不安げな表情をした。

「こんな時に壊れるなんて、困るわね」

「家の固定電話は使えたから、エドとエマ、ステファンの携帯電話にかけたけど、うんともすんとも言わなかった。偶然、同時にバッテリー切れ? 故障? と思ったけど、『基地局が地震で壊れたから、携帯電話が通じない』と、さっき外に出た時に話している人がいたわ。だから、私の携帯電話はただの故障で、エド達の携帯電話は、バッテリー切れは起きていないし、壊れてもいないけど、基地局が壊れて、携帯電話が使えない状態なのかもしれない。でも、家の固定電話は通じているから、連絡がくると思う」

「そうなのね……地震で基地局が……ステファンはきっと、エドと一緒よね。だから、ここか、私の家に来るかしら?」

私が言うと、

「エドは私が家にいることを知っているし、携帯電話が壊れる前に、『役所の横に避難所を設置したから来て』みたいな文面のメールが来たの。エマの学校から避難所に行く道のりの途中に家があるから、とりあえず、ここに来ると思う。だから私は、ここで待つつもり。ステファンがここに来たら、自宅へ行くように伝える?」

ボーアが言った。

「避難所が役所の横に設置されているのね。学校からの道のりを考えると、エドの家の方が近いから、うちよりも、ここにいた方がいいのかな? もしかして、すでに家にいるかな?」

私は、ここにいるべきか、自宅へ戻って

ステファンを待つか、迷った。


ふと、ボーアが長い間、入院していたことを

思い出した。

「ねぇ、ボーア。退院する日に言いそびれていたから。こんな時だけど……ボーア、退院おめでとう。その後、体調はどう?」

「ありがとう、ストゥートさん。体調は、とてもいいわ。退院する日、緊急手術が入ったから仕方ない。ストゥートさんとステファンが入院中、何度もお見舞いに来てくれて、嬉しかった……」

入院中の平和な世の中、エドやエマの顔を

思い出して、ボーアの目に、涙があふれて

きた。

「また、会えるよね?」

「もちろんよ。今、こっちに向かっているわ」

「そうよね……」

ボーアと話をしている時に、手術室に残して

きた同僚と、ICUに残っていた患者さんの

ことを一瞬、忘れていたことに気がついた。

未曾有の災害が起きて、

外の変わりようを見て、頭の中では、

手術の途中だったこと、ICUに残された

患者さんのことも、すべて、

ステファンが心配だ! という感情に

支配されて、一目散にここまでやって来た。

だから、自力で動ける患者さん、事務の人、

薬剤師、看護師、医師もみんな、今の私の

ように、病院を出ていってしまったのだと

思った。

それで残っていたのは、

ICUにいた患者さんと地下の手術室にいた

私含めて、数人だけだったのだ。

道路が、救急車などの車両が使える状況では

なくなっていたから、車椅子と

ストレッチャーを使って、人力で運ばないといけない……戻らないと……そう思った私は

「ステファンが来るまで、自力で動けない患者さんを、病院の裏にある避難所に運ぶから、私の勤務する病院に来て欲しい、と伝言をお願いしていい?」とボーアに頼んだ。

「こんな時まで……あなたは、いい人すぎる。こんな時は、ステファンのことだけを考えるべきよ」

「置き去りになっているのを見てしまったの。だから、放っておけないし、ただここでステファンをじっとして待つなら、進行方向にある病院で、避難する手伝いをする時間にあてるわ。だから、ステファンのことは、ボーアとエドに任せたわ」

「分かった。またあとで、病院で会いましょう」

ステファンへの伝言を託して、

私は、病院に向かった。



来た時と同じように、地割れの穴に気を

つけながら、火災や大量のプラスチックの

ゴミの丘をどうにか越えて、私は病院に

戻って来た。

急いで、手術室へ続く階段をおりていると、

「うわぁ、何!? この大量の水は……みんな、大丈夫!?」

開いていた手術室の扉を入ると、

スピキュールが、ひとり立ち尽くしていた。

「ストゥートさん!」

私の顔を見るなり、泣きながら、膝まで

たまった水をかきわけて進み、抱きついて

きた。

「大丈夫? 戻ってくるのが遅くなって、ごめんなさい。すごい水ね、みんなは?」

辺りを見渡しながら聞くと、

「それが……ストゥートさんが出て行ったすぐあとに、通気口から水がたくさん出てきて……なんかその、すいません。よく分からなくなって、先生とマクスウェルが出て行ってしまって……でも縫合が……」

スピキュールが、言葉をつまらせた。

「縫合がどうしたの?」

私に抱きついていたスピキュールの両腕を

つかんで、顔を見ながら聞くと、

「医療練習用の培養加工肉でしか縫合をしたことがなかったけど……でも、縫わないと、腹部を開いたまま放置はよくないと思って……学生だし、資格はないけど……わ、私がやってみました。麻酔が効いているからだったらいいのですが、もし、私が余計なことをしていたら……患者さんが起きないんです……」

スピキュールは、顔面蒼白だった。

「大丈夫よ。スピキュール、ひとりでよく頑張ったわね」

私はスピキュールを、ギュッと抱きしめた。

全身麻酔が効いている状態のはずの

患者さんの呼吸を確認すると、弱いけど

自発呼吸をしていた。

スピキュールが縫合したところを確認しつつ

少し手直しをした。

「スピキュールのおかげで、この患者さんは助かったわ。」

混乱して泣いているスピキュールに言うと、

「本当ですか? よかった……」

心の底から安堵した、そんな表情を

スピキュールがした。

「この患者さんは私が看るから、避難所へ行くか、家族の元へ行って。家は近くかしら?」

「……家族は、飛行機でしか行けない、海の向こうに住んでいます」

「そうだったのね。海の向こうに……きっと、心配しているわ。この酷い状況をニュースで見ているでしょうし、安否だけでも早く知らせないと」

私は、外の様子を思い浮かべた。

ボーアの家の固定電話を使わせて……

そうだ、固定電話なら、病院にあるわ!

「ストゥートさん、酷い状況って、あの地震で?」

「えぇ、たぶん。でも、それ以上ともとれるけど……とにかく、スピキュール、ロッカーに携帯電話を取りに行って、もし使えなかったら、病院の固定電話で連絡をして」

「携帯電話が使えないんですか?」

「そうなのよ。地震で基地局が壊れたって知り合いが言っていたわ。ご家族に連絡するついでに外を見てきて。患者さんは、私が看てるから」

「はい……」

スピキュールは、手術室を出ていった。

私は、患者さんを避難所に運ぶために、

ストレッチャーを手術室の倉庫から出して、

患者さんの服装を整えた。


数分後、慌てた様子で戻って来た、

スピキュールの顔が、こわばっていた。

「電話できた? 私もボーアにステファンから連絡があったかどうか聞いてくるわ。患者さんを少しお願い 」

私が言うと、

「ストゥートさんの言うとおり、外は酷い状況でした。みんな、どこへ行ったんですか?

誰にも会いませんでした」

スピキュールが、静かに言った。

「病院の裏にある役所の横に避難所があるの。そこへ行ったんだと思う」

「そうなんですね。そうだ、電話! いくつか試したんですけど、どれも使えませんでした」

「そう……ここの固定電話は駄目なのね……スピキュールは避難所へ行って。そこにはきっと固定電話かなにかがあるはずだから、家族に連絡をして」

私が言うと、

「ストゥートさんは、息子さんがいますよね? 私が看ます。息子さんのところへ行ってください。私の家族は遠くにいるし、連絡はあとでちゃんとしますから」

スピキュールが、まっすぐ私の瞳を

見つめた。

「息子は友達と一緒だから、大丈夫よ。ありがとう」

「そうですか、よかった」

スピキュールが、少し笑った。

「あの……スピキュール」

「なんですか?」

「今、この病院には、私とあなたしかスタッフがいみたい。そこで相談なんだけど、残された患者さんを避難所に運びたいの。協力してくれる?」

私が聞くと、

「はい、やりましょう! このままここに置いて、自分だけ避難所には行けません」

スピキュールが、うなずいてくれた。

「ありがとう。まず、この患者さんを避難所へ運びましょう。私が背負って階段をのぼるから、スピキュールは、ストレッチャーを持ってくれる?」

「はい!」



私は縫合が終わったばかりの患者さんを

背負って、階段をゆっくりとのぼった。

1階に着いて、ストレッチャーに患者さんを

のせて、私とスピキュールで運んだ。

私が出る時に割ったガラスの部分を、さらに

椅子を使って、広げてた。

「見間違いではないですね。何が起きたのでしょうか……酷い状況……」

割れたガラスの向こう側の景色を見て、

スピキュールが言った。

「とんでもない災害が起きた……今、私にはこれくらいしか分からないけど、避難所に行けば、色々と分かるはずよ。固定電話があったら、使わせてもらいましょう」

「そうですね、急ぎましょう」



しばらく歩いていると、AIキュープが

1台、近づいて来た。

「スキャンします。手首を見せて」

電子音声が流れたけど、

両手でストレッチャーの持ち手を持っていた

ので、見せることができなかった。

そもそも、今、ヒューマンレベルの確認が

必要? そう思って、

「どうして、見せないといけないの?」と

聞くと、

「必要だからです」

AIキュープから電子音声が流れて、

降下して近づいて来て、

「レベル5、確認」

勝手に、手首に埋め込まれていた

ナノスタンプをスキャンしてきた。

AIキュープは、アームでスピキュールの

体をつかんで、持ち上げた。

「え? スピキュール!」

「ストゥートさん!」

「ちょっと、どこへつれて行くの!? 待って!」

スピキュールの手が、ストレッチャーの

持ち手からはなれて、

ガタンッ。

患者さんの体が、足からずり落ちた。

「あ、ごめんなさい」

私は傾いたストレッチャーを、ゆっくりと

地面に置いた。

どうして、スピキュールは、

つれて行かれたの?

この悪路をひとりで背負って進めるかな……でも……やってみるしかない!

そう思って、患者さんを背負うために

かがんだ時に、AIキュープが私に近づいて

来て、

「スキャンします。手首を見せて」

電子音声が流れた。

それを無視していると、AIキュープが

降下して近づいて来て、勝手に私の手首に

埋め込まれていたナノスタンプをスキャン

した。

「あなたのヒューマンレベルは、5です」

電子音声が流れて、スピキュール同様、

AIキュープのアームが、私の体をつかんで

上昇を始めた。

「待って! どこへつれて行く気!?」

AIキュープに向かって叫ぶと、

「避難所の中です」

電子音声が流れた。

AIキュープは、人々が避難するのを

手伝っている、と思った。

「私は息子と待ち合わせをしているし、残された患者さんを先に運んで欲しい」

私がお願いをしたのに、AIキュープは

無反応だった。

「はなして! 私はあとでいいの。息子も待っているし、先に患者さんを運んで!」

私はジタバタ手足を動かして、暴れた。

すると、アームから体が抜け落ちた。

グシャンッ。

大量のプラスチックのゴミでできた丘に

落ちた。

ゆっくりと、プラスチックのゴミの丘を

滑りながら降りて、ストレッチャーの上に

残してきた患者さんの元へ走って、

向かった。


AIキュープにつかまれて、上昇して移動

していたけど、すぐに暴れて、アームから

逃れた気がしたから、さっきいた場所から

離れていても、せいぜい数mだと思っていた

のに、意外と進んでいたのか、ただ単に道に

迷ってしまったのか、患者さんとはぐれた

場所も病院の場所も今、自分がどこにいる

のかも……何もかも分からなくなって

しまった。

「どうしよう……ここは、どこなの?」

涙が勝手に、目からあふれてきた。

「ステファン……ごめんなさい……」

私は、その場に座りこんだ。

ステファンに、もしかしたら、もう会えない

かもしれない……患者さんのことよりも、

ステファンのことだけを考えるべきだった、

そんな後悔と恐ろしいほどの絶望感が、

襲ってきた。

豪雨や雷、地震が起きている危険な場所で、

私は呆然としていた。

グラグラ。

数秒ほど、横揺れの地震が起きて、近くに

あった、プラスチックのゴミでできた丘を

構成していたプラスチックのゴミが、

いくつか、私の周辺に転がって来た。

明るい色をしたペットボトルが、目の前に

落ちてきて、転がった。

なんとなく、それを目で追っていると、

コトン。

ペットボトルが何かに当たって、止まった。

何が、ペットボトルの動きを邪魔したのか?

なぜか気になった私は、膝をつきながら、

ペットボトルを目指して、移動した。

近くで見ると、見覚えのある柄をした

ペットボトルだった。

私の手が震えた。

「……」

震える手で、ペットボトルを拾って、

抱きしめた。

それは、ステファンが好きでよく飲んでいた

宇宙空間をイメージしたパッケージのキウイ

フルーツジュースのペットボトルだった。

「……?」

ぬかるみの中から、何枚も重なった紙の角が

出ていた。

ペットボトルの進行を妨げたものを、片手で

ゆっくりと引っ張ると、本のようだった。

泥まみれで、何の本か、分からなかった。

ペチャッ。

何かが地面に落ちた。

「これは……もしかして」

手の力が抜けて、持っていたペットボトルと

本が地面に落ちた。

私は震える手で、それを拾った。

「ステファン……」

私は近くにあった水たまりで、泥まみれの

本としおりを、丁寧に洗った。

本としおりは、私がプレゼントしたもの

だった。

「ステファン! どこにいるの? お母さんは、ここにいるわ!」

私は、川の濁流や雷の音、豪雨の音に

負けないように、大声で力一杯、何度も

叫んだ。

だけど、周りの騒音にかき消されて

しまった。

本としおりが、ここにあるということは……

ここを通った時に落とした?

近くにいる!?

私はステファンを探そうと、いきおいよく

立ち上がった。

クラッとして、その場にかがんだ。

目の前が、かすんできた。

ステファンが近くにいるかもしれないのに、

探しに行きたいのに、体がいうことをきいて

くれなかった。

長時間、手術をしていたこともあって、

疲労困憊だった私は、地面に倒れ、

眠るように、意識を失ってしまった――



「目が覚めたら、ここにいたの。ストレッチャーで運ぼうとしていた患者さんや病院のICUにいた患者さんを見捨てたことになったのかな……ヒューマンレベルは5だったのに、いつの間にか3になっていたみたい。ステファンは、エドと避難所にいるはず……そう信じている。信じたいの、無事だって、元気にしているって……」

僕はなにも言わずに、ストゥートを優しく、

でも力一杯、抱きしめた。

みんな、同じだ。

ここにいる人はみんな、心に傷を負っている

……それを隠して、避難所の中にいる大切な

人と、再会できる日を夢見ている。

僕は、そう思った。

「ありがとう。クレイの言うとおりね、話したからって、何かが変わるわけでもないし、今すぐに会えるわけではないけど……話してよかった」

ストゥートは、涙を服の袖でふいた。

「またみんなで、地上で暮らそう」

僕が笑って言うと、

「もちろん、そうしましょう」

ストゥートも笑った。


「そうだ、本当はここには来ちゃ駄目なのよ。誰かに見つかる前に、戻りましょう」

ストゥートが、僕の手を引っ張った。

「あの、ここは何の部屋なの?」

「ここは、不思議な空間で、私にはできないけど、何かをすると、外が見えるの。展望台ってところかしら?」

「展望台? 何も外の景色は見えないけど?」

「そうね。でも、見えないけど、見えるのよ」

嬉しそうにストゥートが言った。

「そうなの?」

僕にはよく分からなかったけど、

ストゥートが嬉しそうにしているので、

よかった、と思った。


エンヴィルに入って、

「1階」

僕とストゥートが同時に言うと、

体がゆっくりと降下を始めた。

「ところで、ストゥート。立ち入り禁止区域だよね? どうしてあそこにいたの?」

僕が聞くと、

「実はね、一度、レイラインに『内緒だよ』って、つれて来てもらったの」

「レイラインに?」

「うん。ここに来てから私はずっと、息子を探しに行きたいと訴えて、脱出を試みていたの」

「ストゥートが、脱出をしようとしていたの? いつも冷静な雰囲気を感じていたから、意外」

「そうでしょ」

ストゥートが笑った。

「そんな私を見ていたレイラインが、『直接は会わせてあげられないけど、いる場所は見せてあげられるよ』と言って、あそこにつれて行ってくれたの。あのドーム状の一角に映像というか、窓の外を眺めているような感じで、役所の建物の横にある避難所が見えたわ。あれが、本当の景色なのか、作られた景色なのかは分からないけど……安心できた」

「そうだったのか。レイラインは、優しいね」

「うん……すごく支えられた」


降下していた僕とストゥートの体が、

ゆっくりと止まった。

エンヴィルを出ようとした僕の体の前に

ストゥートが腕を出して、止められた。

「どうしたの?」

僕が聞くと、

「誰もいないか、確認しないと」

ストゥートが、顔をエンヴィルから

少し出して、周りを見渡した。

「誰もいない、今がチャンスよ」

ストゥートは走りながらエンヴィルを出て、

手をふりながら、接続通路へ向かった。

僕は、ストゥートの背中に

手をふりかえした。

「あ……エンヴィルを出なくてよかった」

僕はエンヴィルに入って、

「4階」と言った。

体がフワッと上昇して、4階で止まった。


乾燥室に行くと、

「クレイ、どこにいたの?」

ガレットが、着色が終わった綿花を棚に

置きながら言った。

「ごめん。えっと……そ、そう。あの、トイレに……」

ごまかすと、

「そうか、それは仕方ないね」

ガレットが納得してくれた。

「次は、これを染めるの?」

綿花がたくさん入ったエアボウルを指さすと

「そうそう。収穫したやつを持ってきてくれたから、これを染める液に浸けたら、今日は終わろう」

ガレットが言った。

僕は、この色をこれくらい、といった具合で

染める液をどれくらい入れるかなどが

書かれた見本があるにも関わらず、センスが

ないようで、キレイに水が発色しなかった。

そんな不甲斐ない僕を見て、

「もう、クレイ。またなの?」

ガレットが、仕方ないな、と笑いながら、

色味を調節してくれた。

「ありがとう。ガレットはすごいね、毎回ちゃんと発色している」

僕が、尊敬の眼差し目見ると、

ガレットは、まんざらでもない様子で、

嬉しそうにしていた。

「これで、キレイな青色に染まるはずだから、目安の線まで綿花を入れて」

「うん、分かった」

エアボウルから綿花を持てるだけ少しずつ

運んで、染める入れ物に綿花を浸けた。

ふと、ガレットが視界に入り、見ると、

入れ物の中をじっと見つめていると思ったら

今にも、黒い染める液の中に入ってしまい

そうな感じに、前のめりだった。



――「うわぁ」

足がもたついて、ガレキにつまずいて、

転んだ。

手をついたので、顔や上半身は汚れなかった

けど、両手と膝から下が泥まみれになった。

「ひとりで逃げるなんて……嫌だよ……お母さん! お父さん!」

足がうまく動かなくて、何度も転びながら、

僕は、家に戻った。


「そんな……嘘だよね?」

家があったはずの場所には、家はおろか、

両親の姿も何もかも、なくなっていた。

あったのは、果てしなく深い、真っ暗な

大きな円形の穴だけだった――



「ガレット、大丈夫? 少し休む? ガレット? 医療室に行く?」

僕が何度か声をかけると、

「ううん、大丈夫。昨日、あまり眠れなくて、ぼうっとしてた」

ガレットが、無理やり笑顔を作っている

ように見えた。

「本当に大丈夫? 無理はしないでね」

僕が言うと、

「うん。どんどん、染めていこう!」

いつものように、明るいテンションで

ガレットは言ったけど、

表情が不自然に感じた。

でも、「これ以上は、かまわないで」そう

言っている気もしたので、

「うん、どんどん染めよう!」

僕は元気に言った。



○次回の予告○

第18話

不思議な夢

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