第48話
「ご飯は美味しかったし、話も楽しかったわ。もし機会があったら今度は4人でご飯行きましょ」
亮介君には悪いけど、さっきの話をこれ以上詮索されるのは良くない気がする。昔のことをずっと引きずっているなんて私らしくない。
「このまま帰すわけないじゃないですか」
そう言って私の手首を掴む。
「え、ちょっと……」
「本当に嫌なら嫌って言ってください。でもそうじゃないなら、このまま俺についてきて」
真っ直ぐな瞳で見つめられて、私は声が出なかった。その様子を見て、亮介君は夜の街を歩きだす。
どこに連れて行くつもりなんだろう。不安なような、でも不思議と嫌じゃなかった。
亮介君は路地裏の建物の前で立ち止まった。そして扉を開く。
中にはカウンターと、壁面にたくさんのお酒が並んでいた。お洒落な雰囲気のバーだ。カウンターにいた30代くらいのバーテンが顔をあげる。
「よお、亮介。来たか」
「奥のブース借りる!」
そういって、私の手首を掴んだまま店の奥へと進んでいった。奥には薄いカーテンのようなもので仕切られたテーブル席があって、そこに座る。
「亮介君、あの……」
「春奈さんの大人なところ、好きです。でもずっと誰にでも完璧でいるのは疲れませんか? もしも春奈さんがみんなに言えない一面をもっているとしたら、それを受け止める役目は俺じゃだめですか」
私は自分の手を握りしめた。
「そんなの……言ったら……」
「嫌いになる、と思いますか? 俺は春奈さんが隠してたこと、一つ知ってますよ」
「え、なに……!?」
「春奈さんはジェットコースターが苦手」
亮介君は神妙な面持ちで言った。その表情とのギャップがおかしくて、私は思わず噴き出した。
「あはっ、なんだそのこと」
「よかった、笑ってくれて」
亮介君が優しく微笑む。その笑顔に心臓が跳ねた。
「春奈さん、もう少し食べられますか?」
「え、ええ」
「じゃあ、ちょっと待っててください」
そう言って席を立った。
少しして戻ってきた亮介君はテーブルに料理を置いた。
「バー『ミラージュ』の看板メニュー、ポテトサラダです。どうぞ」
「いただきます」
見た目は普通のポテトサラダだ。一口食べてみる。
「ピリッとした辛味はマスタード? それにくるみの香ばしさと食感もいいわね。お酒がすすみそうだわ」
「気に入ってもらえてよかった。本当はここに春奈さんを連れてきたかったんです。でもいきなりバーに連れてきたら、春奈さん警戒するかなって。こんな強引にする予定じゃなかったんですけど……」
「警戒って、どういう事?」
「だって本気のデートっぽい店に連れてこられたら、狙われてると思うでしょ」
一瞬息を呑んだが、余裕ぶって微笑む。
「思わないわよそんなの。私達は別にそういう間柄じゃないもの」
自分で言っておいて胸がぎゅっと締め付けられた。
「……俺は本気ですけど」
「何か言った?」
「いえ、今は何でもないです」
そう言ってなぜか亮介君は拗ねたようにそっぽを向いた。
「それにしても、よくこんな洒落たバー知ってたわね」
「実はここでバイトしてるんです。バーテンってなんでか遊んでそうに思われがちなので、内緒でやってるんですけど」
ここで働いてるなら、さっき見たバーテンとのやり取りも頷ける。
「へぇ、カッコいいわね。カクテルも作れるの?」
「はい、一通りは覚えました。そうだ。よかったら、春奈さんをイメージしたカクテル、作らせてもらえませんか?」
「本当? それは楽しみだわ」
「じゃあ、準備しますね。」
そう言って席を立った亮介君は、お酒の瓶やらを抱えて戻ってきた。そして慣れた手つきでお酒を量り入れ、シェイカーを振る。
「本当にバーテンみたいね」
「本当にそうなんですって。はい、出来ましたよ」
そう言って、シェイカーからカクテルグラスに注がれた液体は薄ピンクの綺麗な色をしていた。グラスを私の目の前に差し出す。
「こんなに可愛いカクテルが私なの?」
「俺にはすごく可愛く見えます」
「……大人をからかうんじゃないわよ」
「照れちゃって。かわい」
そう言ってイタズラっぽく笑う。彼を直視出来なくて、私はカクテルを口にした。ピンクグレープフルーツの酸味とその奥に感じるシロップのような甘さ。このカクテルは彼が私のためだけに作ってくれたんだと思うと、より甘く感じた。
「お口に合いましたか?」
「ええ、とっても」
人に見せないようにしていた自分を暴かれるのは気恥ずかしい。でも、このむず痒くて甘ったるい時間がもっと長く続けばいいのにと思ってしまった。
バーを出た後、駅で私達は解散した。次の約束なんてない、あっさりとした別れ。「次も、また」なんて言い出せなかった。
家に帰ってお風呂を済ませる。そして寝る前にいつものように小説を開いた。そうだ、昨日は主人公の女の子が好きな男の子とデートする話の途中まで読んで残しておいたんだった。
『そのままの私を受け入れてくれるあなたが好きです! 大好きです!』
いつも一歩引いた目で見ていた小説のワンシーンが今日はすとんと胸に入ってきて、私は眠りについた。
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