暗渠

技能学校での最後の課題の成績が出ました。これで修了できるはずなのですが、手続き上の不備がありそうで、まだまだ安心できません。全てオンラインで登録から聴講と課題提出までやっていると、キャンパスや事務所で直接クラスメイトや先生方から話を聞けないので、何か忘れたり勘違いしていそうで心配です。


しかし今が小説を書くチャンスでもあります! (視界がだいぶ模糊としておりますが)


そこでこちらの企画に参加するため考え始めたのですが、いつの間にか怪異というよりシスターフッドものになってしまったので、またもやお蔵入りです。

『現代怪異創作祭』

https://kakuyomu.jp/user_events/16818622174042698126


前回の質問でもあったかと思いますが、私はホラー小説を書いたことがありません。ですがこちらの企画への参加作品を拝読していて、“怪異”と“ホラー”は違うのだなあと思った次第です。“怪異”は怪しいのであって必ずしも怖いわけじゃないのですよね。不思議な魅力に満ちております。



暗渠[冒頭部分]


 幼い頃から、下ばっかり向いていた。

 学校では友達も少ないし、先生に指されるのも怖かった。

 家に人がいることはあまり無いけれど、いたらいたで喧嘩するので、やっぱり黙って俯いているしかなかった。

 けど、足元というのもそれなりに変化に富んでいて面白いものだ。地面だったら草が生えているし虫が這っているし、コンクリートにも結構いろいろ落ちているし、クラスメイトの靴下もなかなか色とりどりである。

 それに、私には“くーちゃん”がいる。

 くーちゃんはお祭りの屋台で掬ってきた金魚だった。父に連れていってもらったお祭りから帰ると、母は機嫌が悪かった。当時家の裏手には古い暗渠が通っていて、その蓋の金具の壊れた隙間に、母はくーちゃんを捨ててしまった。私は布団の中で一晩中泣いた。階下では父と母が言い争いをしている。


「なんで“くーちゃん”なの」

 黒歴史を自白している時点で、穴が有ったら入りたい気持ちがあるのだけれど、相手はその上質問までしてきた。

「……クラムボンだからです」

「あー『山梨』ね」

「お好きですか」

「好きではないかなあ。教科書に『よだか』はヤメテ、泣いちゃうじゃん」

 それは好きってことではないだろうか、と思ったが、黙ってグラスを傾ける。新井さんは浅漬けの胡瓜を摘んで、ルージュを落とした唇に放り込む。どうして顧客先の新井さんと飲むことになったのか。それもまた下を向いていたからだった。


 新井さんは大手のインテリアデザイン企業で働くキャリアで、布地の卸である弊社にとってはお得意さまだ。私はそのこじんまりした布地会社で事務・会計を引き受けており、ミーティングで訪れた新井さんには、何度かお茶を出した。それだけだ。金曜日の残業帰りはまだ雨、こういう日はナイトショーを観にいく。傘の人混みをふらふらと歩き、新しくできたシネコンで布張の席に沈む。このくらいの雨の日はいい、傘に隠れて人の顔は見えないし、水音に包まれて泳いでいるようだ。そろそろ地元の終電に間に合わなくなるので建物を出て、駅への道を戻っているところ、濡れたつま先が何か蹴った。指輪だ。そこでやっと、繁華街から一つ入った道端に小さな人だかりができているのに気付いて顔を上げる。何人かが面白半分に何人かは心配して囲んだなかには、泥水のなか座り込んだ女性がいる。見覚えがある。

「新井さん!」


 私は追加で玉子を焼くと、新井さんのお椀に上にそのまま乗っけた。

「やったあ」

 嬉々として、そう振る舞っているだけかもしれないけれど、新井さんはお茶漬けと玉子焼きをかき込む。人の輪に割り込み、名前を呼んで腕を取ったら、ずぶ濡れの新井さんはへらりと笑ってこちらを見上げた。

「飲みすぎて腰が抜けちゃった」

「プロジェクトが終わって気が抜けたんでしょう、立てますか」

 嘘。二人とも体裁の良い言いようをしているだけだ。けれど新井さんは職位もプライドもある人だから、その方がいいと思った。回りの人垣は興味の薄れたのと安心したので去っていく。

「送ります、どちらまで」

「近くのビジネスホテル取る」

 泥まみれのバッグから携帯を取り出してホテルを検索しようとするので、慌てて言う。ウチに来て下さい。その結果が現在である。

「何が『仕事や付き合いのほうが大事なんだね』だ、逆の立場だったら言える? そんなこと」

 気まずくタクシーに乗り込みアパートに着いて、シャワーを浴びてもらって、すみませんドライヤー無くて、と新井さんの綺麗な髪をタオルで包んだところで、唸り声が聞こえた。

「ええ……旦那さまですか」

「まだしてない、希望も潰えたわ、さっき」

 それから敬語もやめて、プライベートな話したいから。同い年くらいよね、関さん。雑談で干支の話してたでしょ。わしわしと頭を拭きながら、新井さんは捲し立てる。さすがご優秀。耳ざとい上によく憶えていらっしゃる。

「同棲してる奴に言われたの。あんた、私も働いてんのに、自分だけ労わって欲しいわけ? 女は自分を犠牲にしても男に優しくして当然なわけ?」

「それは男女関係ないんじゃないですかね。でも新井さんは男性優位の企業文化のなかで苦労されてきたと思うので、報われてほしいですが」

 私の返答に新井さんは目を瞬かせた。ツケマツゲじゃなかったのか。まつ毛長くて目が大きくていいなあ、なんて見ていた私の耳に、盛大な腹の音が聞こえたのだった。


 もはや草木も眠る丑三つ時はとっくに過ぎている。雨はまだ止まない。

「うちは自営業なの、両親は昼も夜も一緒に働いてるでしょ、家では毎日罵り合いよ。でも別れないんだけど」

「本心を言っても大丈夫な相手同士ってことじゃないですか」

「なるほど……? 単なる惰性の気もするけど」

 そんなに余裕がある生活じゃなかったから、きらきらした業界に憧れて、きらきらした生活がしたくて頑張ったの。それがこうだもの。

「関さんは、結婚願望無いの」

「願望も何もできると思ってません」

「冷静ね……」

「よく魚みたいな目してるね、って言われます」

 新井さんはちょっと真面目な顔をして私を覗き込んだ。そう?




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