第四話 平穏な日常生活


 俺達の住む学生寮があるこの辺りは【居住区域】と呼ばれる比較的安全な場所だ。別名結界地区や安全区域とも呼ばれ対GE用の特殊結界とバリケード、そしてAGEの組織する守備隊に守られた街。


 居住区域は基本的に環状石ゲートから一定以上の距離があり、その上で中型GEミドルタイプ以上のGEが比較的少ない地区を中心に地方自治体を統合させた街の事で、逆にGEに壊滅させられて人の住めなくなった街を【廃棄地区はいきちく】と呼んでいる。


 とはいえ、たとえ居住区域と言えどもその安全が永遠に保障されている訳ではなく、隣接区域の状況次第ではいつGEの大群が押し寄せてくるか分からない危険が常にある。現にこの特殊結界自体は一九九四年には開発されていたにも拘らず、その後も多くの都市がGEによって壊滅させられていた。


 余裕のある居住区域には市民の生活に欠かせないスーパーマーケットやコンビニエンスストア、家電の量販店等の生活必需品を扱う店舗だけでなく一時は営業を自粛していた市民の憩いの場であるカラオケボックスやボウリング場、映画館等の娯楽施設まで揃っている。


 俺の住む広島第二居住区域は比較的余裕のある居住区域で娯楽施設も揃っているし、上が裏で色々と頑張っているので食糧なども割と豊富で、生活にも割と余裕があるのでライブイベントなどを開催しても客が入るって事だな。


 これに関しては運の要素もかなり大きい。


 環状石ゲートのレベルは最大二十五まで確認されているんだが、俺の住む居住区域の周りには運よくレベル二までの環状石ゲートしか存在しないからだ。


 隣接する環状石ゲートのレベルが十近くになれば出現するGEの強さも桁違いで、下手をすれば超大型GEスーパーヘビータイプクラスのGEが出現したりもする。


 流石にあのクラスのGEが出て来るとAGEの手には負えず、地元を防衛する守備隊経由で防衛軍に連絡がいき、防衛軍の誇る特殊機動小隊の何処かが討伐するだろう。同じレベルの装備を与えられれば俺でも超大型GEスーパーヘビータイプくらい倒せるだろうけど、AGEにあれを回して貰える程装備が余ってる訳じゃないからな。


◇◇◇


 俺が一年A組の教室に入ったのは七時十五分。鍵は開いているが教室には当然誰も居ない。


 ゆっくりとした足取りで自分のロッカーに向かい、午前中の授業で使わない教科書やノートを無造作に放り込んだ。


 教師の勤務時間や始業開始時間から考えて七時台に登校するのは早すぎるんだが、当直の教師が六時にはすべての教室の鍵を開け始めるので問題ない事になっている。


 AGEに登録している者は非常招集や防衛任務の要請があった時にすぐに行動できるように装備を置いている場所の近くにいる事が望ましいので、俺の様に学校にAGE用の装備を保管している者は早い時間に登校する事が半ば強制されている。寮の方にもいくつか装備は置いているが部室に保管している装備に比べれば若干劣るからな。


「あ、凰樹君おはようございます、いつも早いですね」


「おはよう、宮桜姫みやざきさん。いつも早いな」


 クラスメイトの宮桜姫みやざき香凛かりんが教室に入ってきた。


 生来もともとの性格なのか、それとも生まれ育った環境が良かったのか、この荒廃した状況の中で誰にでもやさしく接して礼儀正しい宮桜姫はクラスのみならず校内でも人気が高い。


「私は足が遅いからギリギリの時間に走ってくると、遅刻してしまいそうなので……」


「に、しても早いとは思うが」


 黒板の上に掛かっている時計の針は七時二十七分を指している。HRの開始が八時二十分なのでギリギリと言う時間までには一時間近く余裕があるんだが……。


 宮桜姫みやざきは何か部活に入っている訳ではなく、朝練等の理由も無しにこの時間に登校して来る生徒はこのクラスでは宮桜姫位だろう。


 GEの出現でそれどころではなくなった為に十年位前までは部活動そのものがほとんど行われていなかった。その部活動も今は割と再開されているとはいえ、いまだに全国大会は行われている種目の方が少ない。


 比較的少ない用品で行える種目か、野球やサッカーなどの一部勢力が今までずっと継続を支持しているスポーツだけだ。


「凰樹君は学生寮でしたか?」


「ああ。生徒の殆どは寮住まいだと思うぞ。何処の寮かで待遇はかなり変わるけど」


 学生寮にも格差があり、俺が住んでいる寮はAGE活動を長年行ってきた者か獲得ポイントが一定数に達していないと入れないという話は聞いている。装備類を保管する為に部屋は広いし、部隊で話し合いや食事会が出来るように一階には大き目の冷蔵庫や食堂があったりもする。


 AGE活動で夜遅く帰ってくる事なんかを考慮されているそうで、部屋に小型の風呂まであるのは俺たちの住む寮くらいだろう。


「あ、あの、凰樹君……」


「おっはよ~、輝!! AGE登録者の義務とはいえ、いつも早いんだね」


「輝さん、おはよう~ございま~す、昨日はお疲れ様でした~。あ、宮桜姫さんもおはようございま~す」


「おはよう、二人も相変わらず早いな。こんな時間に来るAGEなんて本当に一部だぞ」


 少し遅れて楠木くすのき伊藤いとうが揃って顔を出した。


 このクラスには他にもAGE登録している生徒もいるんだが、七時半より前に姿を見せた事はない。


 宮桜姫は控えめな声で何かを言いかけていたがそのまま席に戻り、何がごそごそと机の中をあさっている。ん? 宿題でも忘れて来たのか?


「輝、昨日の戦果、もう発表されてるよ!! 部隊の方にも特別報酬が入ってるし、広報の【今注目の部隊】にもあげられてた!!」


「皆のおかげさ。個人戦果以外の報酬の分配と特殊装備の申請は放課後の部活で行う。何か欲しい物があればそれまでに決めておいてくれ」


「分かりました。消耗品の在庫の確認と補給もお願いしま~す。最近は輝さんの名前でないと申請が通らない事も多くなりましたし……」


 特殊弾や装備の一部は長年AGEとして活躍していればすぐに申請が通るが、AGEに登録したての駆け出しの新人では【申請されていた装備の発注が却下されました】というメールと共に、却下と大きなハンコが押された申請書が返ってくる事もある。


 年々申請は通りにくくなり、最近では特殊弾の補給も正規のルート以外の方法で入手する者も増えていた……。


 若干割高になるが民間防衛組織の申請ページを使わずに個人商店やネットショップの寿買じゅかいを使った方が早いまである。


 この辺りまでは一定の品質が保証されているが、予算の無い部隊などは怪しい個人サイトや街の路地裏なんかに存在する店で特殊BB弾などを購入して騙される事も良くある。民間防衛組織の承認マークのある店以外で特殊BB弾などを購入する事は昔っから推奨されないんだけどな。


「おはよ~ございます、みなしゅう。気分が落ち込む月曜日~、今週もたのしゅう行きましょう」


 俺が登校してから少し時間が経ち、現在時刻は七時五十二分。 先に登校していた俺やクラスメイトにたつがゆっくりと手を振りながら陽気な挨拶をしてきた。


 身長百五十五センチにして体重百二十キロの巨体は離れていても存在感十分だ。と言っても脂肪でぷよぷよという訳ではなく、あの大きな身体の殆どが筋肉だって言うんだからなかなか真似ができない。


 窪内くぼうちもそうだが、子供の頃にGEに襲われて故郷を追われた生徒の多くは色々な居住区域を転々としている為、様々な方言が混ざって何処の言葉とも判別が付かない話し方をする事が多い。特に、影響力の強い方言は多くの廃棄地区出身者にうつり、ミックスされて独自の方言へと進化する傾向があった。


 そんな窪内が手にしているのは高校前のコンビニで買ってきたと思われるビニール袋。その袋の大きさに宮桜姫は目を丸くしていたが、いつも見慣れている光景なんで俺たちは特に反応を示す事も無い。というよりも、今日は割と控えめなくらいだ。


おうさん昨日はお疲れさんです、またよろしゅう頼んます」


「こっちこそいつも助かってる。今週末はどうするかまだ決めていないが、今日の放課後に話し合えばいいか」


 窪内は俺の向いの席に腰掛けてコンビニの袋から缶ジュースを取り出して俺の机の上に置いた。


「今週の新作らしいです。毒見役お願いします遠慮せずにどうぞ


 その缶ジュースには、【夢のコラボレーション小豆あずきと抹茶練乳】と何処にでもありそうな組み合わせ商品名の下に、健康志向の乳酸菌飲料&スカッと爽快、強炭酸!! と小さく表示されていた。夢は夢でも悪夢に違いない……。


たつ、こいつは明らかにいつもの過剰コンボ商品地雷商品だろ?」


 俺は危険な気配のするジュースをたつに返し、自分で買ってきたペットボトルのスポーツ飲料を口にした。この辺りの商品はあまり当たりハズレは無いからな。


「ちょっとしたジョークですって。やっぱり凰さんもそう思いまっか? いや~その小さい危険な文字売り文句見落としてまして、誰かに試して貰おうと思ってたんですわ。誰かコレをせめて冷たいうちに喜んで飲んでくれんですかね?」


 お詫びのつもりかチョコスナックの小袋を幾つもテーブルにぶちまけて、そのうちの三つほどを差し出してきた。他のクラスメイト達にもチョコスナックの小袋を配り、自らも袋をひとつ選んでぼりぼりと食い始める。


 このチョコスナックも本物のチョコとはいいがたいんだが、昔っからこれを食っている俺たちは本物のチョコの味なんて知らんしな。


「おはよ、輝さん、龍耶たっち。相変わらず早いっスね。こっちは走ってきたから喉が渇いてしかたが……」


 昨日のメンバーの一人、霧養むかい敦志あつしが少し呼吸を荒くして更に遅れて教室に入ってきた。よほど喉が渇いていたのかその視線は俺の机の上の缶ジュース危険物に向いている。


「やめとけ、それを飲むんだったら家に帰ってからにしろ」


「あっちゃ~、おうさん貴重なチャレンジャーでっせ」


「何の話っスか? ……健康志向の乳酸菌飲料&スカッと爽快、強炭酸?」


 どうやら危険な売り文句に気が付いたらしい。


 抹茶、練乳、小豆辺りは良い。乳酸菌も組み合わせ的にはヤバそうだがそこそこ我慢できるだろう。そこにこのメーカーの強炭酸なんて組み込まれたらどうなる事か……。


「気付きおったか」


「……そこまで悪くないと思うっスけど、今はやめといたほうがいいっスね」


「予備のスポドリだ。小型保冷箱を使ってるからまだ冷いぞ」


「さっすが輝さん。ありがたく飲ませて貰うっス」


 相当喉が渇いていたのか、三百五十のスポドリを一気飲みだ。


 スポドリを飲み終えた後、机の上にあった缶ジュース危険物をカバンに詰め込んでいる。アレを本気で飲むつもりかコイツ。


の感想は後で頼んます」


「いけると思うんスけどね」


 普通のメーカーだったらな。あそこの強炭酸には確実にレモンかライムが入ってる。売り文句として表には書いて無いが、絶対に裏の成分表には山ほどいろいろ書いてあるに決まってるんだ。


 俺もあのメーカーのジュースで何度か痛い目を見たからな……。


 ほぼ全員顔を見せ、八時二十分になった所で担任の山形やまがた蒼子あおこが現れてHRが始まった。


「よし、全員席に着け! 出席を取るぞ~。新井あらい井上いのうえ江藤えとう……」


 谷峨やがまで呼ばれ、三十五名の出席が確認できた。


 どうやらこの週末でGEに襲われたり、AGEに所属する者がGEと戦って敗れたりしていない様だ。


「なんとか今日も全員無事に登校してきたな。最近はGEの目撃情報も多くなってきた。いいか、AGEに所属していない者は絶対に危険区域に近付かない事! また、今まで安全とされていた区域でもGEが目撃される事がある。登下校はなるべく二人以上で行うように」


 HRの連絡事項で先週増えた戦闘区域と危険区域などGE関係の報告が行われ、いつも通りに一日が始まった。

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