第20話 お断り

 「光、腕は落ちていないようね」

 「はい。カットはしなくなりましたけどハサミを使うイメージは忘れたことはありません」

 「明日からスタイリストとしてやっていくつもりなの」

 「はい。一流のスタイリストになるのが子供の頃からの夢でした。でも、アイツらのせいで私の夢は一瞬で砕けてしまいました。でも、違ったのです。アイツらが壊したのではなく、私自身で壊してしまったのです」

 「そんな事はないわ。すべてアイツらのせいよ!光は何も悪くないわ」

 「私にもっと勇気があれば、強さがあれば、戦う意思があれば、どんな苦難も乗り越えれたはずなのです。でも・・・私は逃げてしまった」

 「あの時は逃げてよかったのよ。世の中はいつも不公平で真実は嘘に飲み込まれてしまうのよ。ここで、平穏に好きなカットをのんびりやるのもいい人生だと思うわ」

 「いえ、私はあの頃のように真剣に取り組むつもりです。もう、嘘に飲み込まれたりしません」

 「いいの?ネットに書き込まれた嘘は、偽りの真実として消える事はないわ」

 「わかっています。でも、逃げたくないのです。昴君のように自分を変えないと私には永遠に未来は来ないのです」

 「光、あの子に何を感じたの?あの子はイケメンだったけどオドオドして頼りない感じがしたわ。私には光を動かす何かを持っているような子には見えなかったわ」


 松岡マネージャーには、いや、美容院に残っていたスタッフ達の目には、俺はイケメンだがオドオドした気の弱そうな少年にしか映っていない。その印象は間違ってはいないその通りである。


 「たしかに昴君は人と喋るのが苦手な繊細な心の持ち主かもしれません。でも、自分を変えようと一生懸命努力しています。私はそんな彼の姿に心をうたれたのです」

 「そうなのね。どんな理由であれ光が本格的にスタイリストとしてやっていく事は大歓迎よ。私が全面的にバックアップしてあげるわね」

 「おねがいします」


 三日月さんは、一度はトップスタイリストとして活躍する場所から逃げ出したが、再び、その場所に戻る決意をしたのであった。




 『ピロリロリ~ン』(ココアの着信音)


 俺が家に到着すると三日月さんからココア(SNS)のメールが届く。


 『今日はカットモデルになってくれたありがとう!昴君のおかげで止まっていた時間が動き出しました。いろいろとお話したいことがあるけど、しばらくは、仕事に集中したいので、連絡は控えることにします。昴君が素敵な高校生活を送れることを祈っています』


 俺は三日月さんからのメールを見て動揺を隠せなかった。


 「俺・・・何か悪い事をしたかな・・・」


 俺のテンションはダダ下がりである。美容院で俺は勇気を出して三日月さんにお話をしたいと言った。それは普通の人なら何気ない言葉かもしれない。しかし、俺にとっては愛の告白と同様の一世一代の大勝負である。「話をしたいです」と言って、「無理です」という返事が返ってくることはないだろう。また「今度話しましょうね」と言われるのが妥当である。その場で断る選択肢を選ぶ強者はなかなかいない。たいていは後日メールでお断りするのが賢明である。そして俺は、まさしく賢明な断られ方をされたのである。

 カットしている間はいい感じに話は出来ていたはず(あくまで俺の主観である)。帰りも笑顔で見送ってくれた(あくまで俺の主観である)。歳の差はあるけど初対面の時からいい感じの雰囲気になっていたはず(あくまで俺の主観である)。

 俺は美人で優しくて気さくに声を掛けてくれる三日月さんに引かれつつあった。もっと三日月さんの事を知りたかった。しかし、三日月さんから距離を取られる形になってしまった。俺は三日月さんに不快感を与える言動や行動をしたのではないかと自分を責めるのである。


 「スタイリストの事を聞いたのがだめだったのか・・・」

 「厚かましく話をしたいと言ったのがいけなかったのか・・・」

 「もしかして、シュークリームが嫌いだったのか・・・」


 俺は的外れな事も考えながら、三日月さんのメールに返信をした。


 『今日はカットして下さってありがとうございます。すごく気に入っています。三日月さんもお仕事頑張ってください。僕も高校生活をがんばります』


 俺はこれ以上嫌われないように無難なメールを送った。ココアにはすぐに既読が付いたが返事はこなかった。俺は寝る前に何度も何度もココアを確認するが、三日月さんからの返信は来なった・・・


 


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