ホラーのような何か

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ホワイトペーパーシンドローム 四月一日 散文 これは創作です

今日は四月一日です。景気良くいきましょう。






暑い日だ。小腹が空いた。何か食べたい。

欲求。それは、人であるという事の証明。

車窓に流れる景色には蠢いている人。

ああ、何て美しいことだろう。生命。

ジュリエッタ。美しい響き。

近年は五月から真夏日によくなる。まぁ、服なんて要らないじゃなかろうかと思わせる移り変わりだ。季節もへったくれもない。

私が何をしたいか?それは既に既定されているので割愛。

コロナ禍になって行動制限が掛かり、人々が鬱屈し、少し緩和されて外に出ることを許され始めた頃、私は大手スーパーのトイレに置いてあった塵紙に綴られた乱雑な殴り書きを読んだ。思わずゾッとした。これをスマホに収めるべきかと一瞬頭をよぎったが絶対に駄目だと感じ、その場から逃げる様に外へ出た。個室で用を足そうと荷物を肩から外し目線を向けた刹那の記憶は未だに忘れられない。

触発。よくある動機だと思う。

周囲から見たら何でもない唯のインソムニアと扱われるだろう。それも構わないさ。鬱屈は人それぞれだから。

山の稜線を目でなぞりながら、ボッーっと昨夜のルーティンを思い出す。脱力。心音に合わせ両手を高く上げ首を揺らし跳ぶのだ。それが最近の日課で心地よい。やめられない。

鉄の宰相という言葉を頭に浮かべた。やな響きだ。宰相が鉄の意思など持つ筈がない。世情に合わせ柔軟に判断せねば物事を運ぶ事などできないのに、手前の都合を中心にものを判断などできぬのに。いっそコンクリートの塊にでも沈んでしまえばいいのに。山の稜線を目でなぞりながらぼんやりとそんな他愛ないことを考えていた。

そういえば白。白についてのコラムを書いた記憶。ホワイトバランスという言葉があるがあれはよくわからない。色の濃淡や色温度なんて千差万別人それぞれ感受性によって変化する。からこそ弄るべきなのだろうか?決定づけられた視野を人が変えるなどの不毛な努力を用いて捻じ曲げても意味などないのではないのだろうか?黒は黒、白は白、コントロールされた受容に結末は訪れない。人など猿と相違ないのだから内なる声に抗わず導かれるままについて行けば良いものを。赤く染まる山を見ながら。

そういえば最近布教という行為に興味がある。なんであんなことするのだろうと思っていた頃もあったが、今はどっぷり浸かって方々に教義を広め伝えてみたりして暇を潰す。自分でやってみてわかったことだが、アレはアドレナリンが止まらなくなるのだ。人の感受を刺激してコロコロと弄り回す行為は天啓を与える存在になったかの錯覚を齎す。符号や記号、意味なき意味を追求した空想の産物でも人が思いたい様に思わせることさへできれば慣性によって動き回る生物と何ら変わらない。ネットに放逐されたうわ言でも意味づけによって形を持つということ。ここまで書けば読者諸兄には通ずる所があるであろう。水面は黒々口を開け放ち私達を待っている。

例えば、そう例えばでいい。この世に多元の時制を存在させてみよう。思考実験だ。もし、他の次元の私が何かした時に、ここにいる私に影響はないと言い切れるのか?これを証明しよう。諸兄は関係ないとそう言い張りたいだろう。その気持ちはよく分かる。だが、もし、自分と細部まで似た環境を再現した創造作品があるとしたら無視できるだろうか?私はできなかった。全く以て嫌になる。もし、作品がこの世に存在しなかったら?もし、私が遭遇する事なく平穏を享受していれば?もし、殴り書きに添えてあった乱暴に描かれた記号?絵?と、それが全く違う内容であったら?今の私に起きた出来事は過去の私が遭遇した出来事の産物なのかもしれない。創造性の罠。ifが意図されたものだとしてifを用いてifを産み出す。その円環の中に巻き込まれているのだとしたら、自分はその運命の環に抗うことができようか?それは無理だと思う。運命は運命を引き寄せ運命を導く。多層に連なるコスモに干渉し知行合一からなる無理筋なストーリーでさえも今の私と次の私を産み出す原動となるのだ。からこそ、一つの線が極端な儀式を行えば必ず極端な結末が全てストーリーに干渉を与えてしまう。その筈だ。

もう疲れてきた。昨夜、徹夜で拵えた、二つの聖物画と反する二つの儀式。そのせいでクタクタだ。ここから見える景色一帯の風景を写真に収めよう。振り返れば河。振り返れば集合住宅。振り返れば山。振り返れば。それらをネットにアップして仕舞いにする。

もう あきら めよう。

ジュリエッタ美しい響き。収め。合一させ収束させ、私が私となるために。

もうつかれてきた。どれくらい歩いただろうか、赤と白と黒の精に睨まれながら架空の宇宙から身を寄せ合ってこの宇宙に存在させる為に私がいる為に歩いた。へとへとになるまで。やまみちを。ただただ。いやになるほどに。

あんなものが記憶になければとおもう。忘れてしまっていればこんなことにはならなかった。誰が書いたのか知らないが乱暴に書き殴られたトイレットペーパーに書き殴られた物語と昨夜出会ったストーリーが衝突しなければ、こんな覚悟など生まれなかったのに。

やめてください。たのみます。もう、ゆるして。いやになる。やまみちをどのくらいあるいたのかわからない。さけんでもとおいとおいくらのなかでおさなごがわめくようにひとしれずおいでおいでとよんでいる。

いちだんいちだんとふみしめて藪の中へ進めば折り重なり物語が繋がるはず。


事前に用意していた文章をコピー&ペーストして載せます。

両手に別々の絵が描かれた絵を握りしめ、昨夜行ったルーティンを、まるまるまるまるまるを背にし行う。その際、全ての呼びかけに答えながら、全ての視線に目を逸らす事なく、全ての事象に応じる事を覚悟する。そうすれば砂を噛むようなごみみたいな人生から解き放たれる筈だから。


あくまはここにいてしろかくろかとうてもへんじなし。しろはあくまをとらへ、あかはしろをにくみ、しろとくろはあかとともにわたしとひとつになる。そうさくをほんとにするぎしき。




あいろぐやうるま。るあんもしぱ。






今日は四月一日。景気よくいきましょう。

これは創作です。みつけたことで産まれた創作です。ありがとうございます。みつけてごめんなさい。ありがとうございます。たすかります。

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