第16話 伊那 19歳 星の王子様

 伊那はコレクションの葉っぱと花びらを見つめていた。私がロウの輝く声に胸が躍るように、この葉っぱや花びらたちも躍っている。まるでロウに恋をしているかのように。

 木が恋をするのかどうかは知らない。まって、たしか、木の精霊が人の娘や青年に恋をする話はある。古い立派な木には精霊が宿っている。たしか、木と木も恋をすると聞いたことがある。愛し合った木は、千年もの長い年月をかけて、互いに1センチだけ近寄るのだとか。

 この木もロウに恋したのだろうか。それなら、この木は私の仲間なのだろうか。それとも、ライバルなのだろうか。


 伊那はそんな風に考えながら、本棚を見上げた。世界各国の楽譜がおいてある。イタリア語、フランス語、ドイツ語、英語、おそらくスペイン語、ヒゲの多い文字はロシア語だ、日本語や中国語の楽譜もある。伊那がわからない国の言語もあった。「私は小説を読むより楽譜を読むほうが面白いな」とロウが言っていたことを思い出した。伊那は小説より数式のほうが面白いことがある。そうだ、それにこの世の図書館より宇宙図書館のほうが面白い。


 伊那はロウの本棚にかなり古びた「Le Petit Prince」を発見した。サン=テグジュペリの『星の王子さま』だ。端が褐色に変色しており、ロウがこの本を買ってから長い年月が経過したことを物語っている。

 伊那はフランス語の勉強をするときにこの本を使った。日本語で読んだときにはたいして感動しなかったこの物語が、まだよくわからないフランス語で読むほうが胸に迫ってきた。おそらく、原語だからこそ、サン=テグジュペリの想いがダイレクトに伝わってくるということなのだろう。翻訳されると、翻訳者の意図が加わり、ダイレクトではなくなってしまう。サン=テグジュペリがこの地球に寄せる、優しく透き通るような愛、肉体が必ず滅びていく生命の悲しい宿命、そして魂の生まれ故郷である星に対するせつない郷愁、王子さまが薔薇を想うときの特別な絆。


 L’essentiel est invesible pour les yeux

 大切なものは、眼では見えない


 ロウがカップを二つトレーに入れて戻ってきた。

「聞かずに入れてしまったけれど、カフェオレでよかったかな」

「はい、もちろんです」

 ロウはトレーをテーブルにおいた。伊那は目を本棚に向けたまま言った。

「私も星の王子さまを持っています」

「ああ、その本ね、だいぶ古びているだろう。昔、フランス語を勉強するときに買ったものだからね」

「私もこの本でフランス語を勉強しました!」

 伊那はうれしくなって言った。ロウが本棚に近づいてきた。

「長いこと読み返していないな。語学の教科書の文章はたいていつまらないからね。なんとか面白そうな本で、そこまで難しくない本を探すのがたいへんかな。語学の勉強は孤独だからね」


 ロウはぱらぱらと星の王子さまの本をめくった。勉強した、というが一切の書き込みがない。伊那も同じだ。勉強する本に書き込みを入れるのが嫌なのだ。本を冒涜している気がする。

「日本語で読んだときは、たいして面白くなかったけれど、フランス語で読むと感動しました」

「私は中国語で読んだことはないな。もちろん日本語で読んだこともない。日本語は、話すのには何の問題もないが、読み書きはそこまでできないよ。日本語の文章は長すぎて、単語の切れ目がどこかわからなくて読み間違えるんだ。中国語で漢字を理解できているからといって、簡単ではないな」

「私も漢字の意味はわかりますが、漢文は簡単ではないです」

「そうだよね。意味がある文字だからといって、言語が違えば理解は難しいな。ちなみに、イナはこの本のどこが好き?」

「ええと・・・ここかな。

 Tu auras cinq cents millions de grelots, j’aurai cinq cents millions de fontaines

 君が五億の鈴を持つことになり、ぼくが五億の泉を持つことになる」

「王子さまとのお別れのところだね。悲しいところだ」

「ロウは?」

「私はここかな。

 Cest le temps que tu as perdu pour ta rose qui fait ta rose si importate

 君の薔薇の花が大切なのは、君がその薔薇に時間をかけたからだよ」

「王子さまが薔薇の花を思い出すところですね」


 伊那が覗き込むと、そのページはちょうど、

 L’essentiel est invesible pour les yeux

 大切なものは、眼では見えない

 と同じページだった。


「L’essentiel est invesible pour les yeuxではなくて、こっちですか?」

「L’essentiel est invesible pour les yeuxは、この本の主題、主旋律のようなものだろう。主旋律は、好き嫌いとは違うところにあるのじゃないか」

「そうですね」

 伊那は、この人はなんでも音楽に落とし込んで理解するんだな、と感じた。


「たまには日本の歌を歌ってみようか。そういえば、日本の歌は歌ってないね。何がいい?」

 ロウがそう言い、伊那は考えてみた。ロウの声で聴きたい日本の歌・・・。伊那は昔、合唱で歌った歌を思い出した。

「埴生の宿がいいです」

「ハニュウの宿?」

 ロウは怪訝な顔をした。知らない曲だったらしい。

「あ、じゃぁ、他の曲で・・・」

 伊那はそう言いかけたが、ロウは「待って、調べる」と言って、隅においてあったパソコンを開いた。

 どんな漢字?と聞かれて、伊那がかわりにパソコンに文字を打ち込んだ。

 しばらく調べてから、「あ、この曲か」と言ったが、「うわ、古い言葉だな」とつぶやいた。

 伊那は、そうだこの人は日本で育ったわけではなかった、と改めて思った。あまりにも日本語が完璧なので気を遣うことを忘れていた。もう少しわかりやすい曲を言えばよかったなと思った。

 ロウは歌詞を読もうとした。


 埴生の宿も 我が宿

 玉のよそい うらやまじ

 のどかなりや 春のそら

 花はあるじ 鳥は友

 おお わが宿よ たのしとも たのもしや


 だが、まったくうまくいかなかった。そもそも、現代文の日本語でも単語の切れ目がわからない、と言っていたのに、こんな古い文体の日本語が読めるわけもなかった。首をかしげて、たのしとも、たのもしやって何?と聞かれた。ミスプリント?とも言った。

 伊那は、たのし、たのもし、のどちらもが古語であり、豊かだという意味だと説明した。伊那はたのし、は楽しであり、たのもし、は頼もし、だと思っていたのだが、違うと音楽の教師に言われたのだった。ロウは、はあ、とため息をついて黙ってしまった。そのあとで、

「英語でいいかな」

 と聞いてきた。

「英語があるんですか?」

「これはもともとオペラだよ。ミラノの乙女という名前のね。もっとも今ではこのオペラは演奏されることはないが・・・。Home sweet homeという歌だ。イギリスでは民謡のように親しまれている曲だよ。日本語は・・・次にイナが来るときまでに勉強しておくよ」

 ロウは残念そうにそう言った。自分に歌えない歌があったのが悔しかったのだろうか。伊那は心の中でちょっと微笑んだ。この人、負けず嫌いなんだわ、と思った。


「この歌は、映画で使われているんだね」

 パソコンで調べていたロウが言った。

「それは知らなかったです」

「日本軍と、イギリス軍が、この同じ歌で心を通じ合わせて、戦闘を避けて別れていくんだよ。いいエピソードだね」

「素敵な話ですね」

「こういうエピソードを見ると、音楽を選んでよかったと思うんだ」

 伊那は、数学で戦闘を避けるとかありえないな、と思って聞いていた。やっぱりときどき、音楽がうらやましくなる。


お茶の後で、ロウは本棚から楽譜を探し出した。ピアノの前に移動し、楽譜を譜面台におく。一回練習させて、と言って、ピアノの伴奏だけをさっと弾いた。

 一度伴奏だけを弾いたあと、ロウは英語で歌い始めた。ロウの輝く声が広がっていく。


 Mid pleasures and palaces though we may roam

 Be it ever so humble, there's no place like home

 A charm from the skies seems to hallow us there

 Which seek thro' the world, is ne'er met elsewhere

 Home! Home!

 Sweet, sweet home!

 There's no place like home

 There's no place like home!



 伊那は、日本語で歌うときとまったく違うエナジーが流れてくるのに驚いていた。星の王子さまと同じことなんだろうか。日本語に翻訳するときに翻訳者の意図に変わってしまうのか。

 この曲は純粋に家を愛する歌なのに、日本語で聴くと、まるで家を失ったような悲しい想いに変わっている。なぜだろう。我が家、ではなくて、我が宿、という歌詞のせいだろうか。宿、という単語には家を想う温かい気持ちは通っていない。


「英語で聴くと、違う曲みたいに聴こえます」

 演奏が終わって、伊那はそう言った。

「そうなの?何が違うの?」

「日本語で歌うと、どういうわけか少し淋しい・・・」

「私は日本語で歌ったことがないからわからないが」

 ロウはそう言って考えていた。

「この曲の作詞者は、アメリカで生まれてイギリスに暮らしている。19世紀のことだし、もう帰れない故郷への思いが籠められているかもしれないね」


 ロウはひとつの曲に対して、作曲者・作詞者の両方の人生を調べるのだったな、と伊那は思い返していた。この輝く声も、曲の情景を人の心に届ける能力も、努力の上に成り立っているものだ、と改めて思った。

「イナはよく歌う曲とかあるの?」

 ロウがそう尋ねた。学生時代の合唱で練習した曲ならいくつかある。その中から、確実にロウが知っていそうな曲を思い出してみた。

「野ばら、かな」

「野ばら、シューベルトだね。歌ってみる?」

 ロウが微笑んで言った。

「私が?」

 伊那は絶句した。


 まさか、本物のオペラ歌手の前で私が歌う?ここに来る生徒たちは、音楽院の学生たちではないか。しかも、パリ音楽院だ。音楽を学ぶ学生たちの間では、ほぼ最高峰なのに違いない。

 ロウは微笑んでいる。伊那は、まぁいいか、どうせ私は素人なのだし下手で当然だわ、と考え直した。別にロウだって、声楽科の生徒のような歌を期待して言っているわけではないだろう。

「日本語の歌詞しか知らないです」

「いいよ、かまわない。普通の音程でいい?」

「普通の音程?」

 どういう意味だろう、と思って伊那はロウの顔を見た。

「音の高さだよ。一般的な高さでいいのかな、と思って」

「普通でいいです」

 伊那はよくわからずに答えた。

「わかった」

 ロウが弾くピアノにあわせ、伊那は歌ってみた。ロウのピアノは、伊那が歌いやすいようにあわせてくれているのがわかった。なんだか自分がいつもより上手になった気がした。ピアニストによって、これほど歌いやすさが変わることに伊那は感動した。


 歌い終わると、ロウは少し首をかしげた。

「イナは、もしかしてピアノを習っていたかな?」

「え?はい、ピアノは習っていました」

 伊那はどうしてわかるんだろう、と思ってロウを見つめた。ロウは笑った。

「なぜわかるかというとね、ピアノを弾く人に特徴的な歌い方だ。まず、音の高さは正確だね。だけど、たとえばここ、君はこの音からこの音は遠いと思っているからね。だから、一生懸命音をとばそうと声が頑張っているのがわかる。」


 ロウが指し示したのは、飽かずながむ、のところ、ソから上のミまで音が飛ぶところだ。だって遠いじゃない、と伊那は思った。伊那の納得できない顔にロウは笑った。

「この二つの音は友達だよ。友達だから引き寄せられる。数字の220と284と同じ」

「どうして知っているの?」

 220と284は友愛数だ。数学を学んでいれば常識だが、普通の人が知っていることはまずない。

 220の約数は、1, 2, 4, 5, 10, 11, 20, 22, 44, 55, 110となり、すべてを足すと合計284となる。逆に284の約数は、1, 2, 4, 71, 142となり、すべてを足すと合計220となる。

 一見、何の関係もなさそうな220と284というふたつの数字は、約数という関係を通して、互いに相手に近づくことができる。親和数という別名もある。


「友愛数を知っているのはただの偶然だよ。パガニーニつながりだな」

「パガニーニつながり?」

「パガニーニという十九世紀のヴァイオリニストだよ。彼の音楽はいろいろな作曲家に影響を与えているから、詳しく勉強していたときがあったのだけど、どういうわけか間違えて、数学者のパガニーニの情報にいきついた。最近、イナが数学の話をするから思い出したよ」

 伊那は友愛数のことはもちろん知っている。パガニーニは実際には数学者ではなく、友愛数を発見した数学好きの少年だが、ヴァイオリニストのパガニーニを知らなかった。

「数学者のニコロ・パガニーニと、ヴァイオリニストのニコロ・パガニーニは偶然にも同姓同名だよ」

「私はヴァイオリニストのニコロ・パガニーニを知らないです」

「そうか。君は数学科だものな」


 きっとロウにとっては、パガニーニはヴァイオリニストなのだろう。でも確か、友愛数をしらべているとき、同姓同名のパガニーニ、という情報があった気がする。だけどそれが音楽家だという記憶はなかった。ニコロ・パガニーニというひとつの名前から、ロウは音楽から数学の情報に飛び、伊那は数学から音楽の情報へ飛んでいく。なんだか友愛数の親和と似ている、伊那はそう感じた。


「何の関係もなさそうな二つの数字を友達ととらえる数学者たちの感性がなんだか面白くて、記憶したよ。約数を足したからといって、それで友達と感じるのはどうしてなのか、今でもやっぱりわからないけどね」

「私はなぜこんなことが起こるのだろう、数字は不思議だって思いました。なぜ、がわからなくて、その謎を調べようと思いました」

「さらに追及したい、という気持ちがわいてこその数学科だね」


 友愛数は、18世紀の数学者、オイラーが「オイラーの法則」によって友愛数を発見する方法を解明している。それでも、すべての友愛数を発見できているわけではない。ニコロ・パガニーニはオイラーが発見できなかった友愛数を発見したのだ。友愛数という名前の由来は、この関係になるふたつの数字が奇数同志、偶数同志になるところからくる。なぜ奇数同志、偶数同志になるのかは解明されていない。そして奇数と偶数の組み合わせになる友愛数はまだ発見されていない。もしも奇数と偶数の友愛数が発見されたら、それは結婚数という名前で呼ばれるだろうと数学科では言われていた。

 数字同志の組み合わせに、友達や恋人の名前を見るとき、伊那は数字と会話するのが自分だけではないことを知って安心する。

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