18話

 屋敷に着く前に、利玖は自分で目を覚ましたようだった。

 史岐はというと、ずっと起きていて、この後、槻本家の当主・美蕗みぶきに話す内容の整理を頭の中で行っていたが、駅を出てから一時間ほど経った所で車の減速と方向転換の頻度が増え、目的地が近い事に気がついた。

 それとほぼ同時に、隣にいる利玖が身じろぎをして、体を起こすような気配がした。両目、両耳を塞がれていても、同じシートに座っているのでそれくらいは伝わってくる。

 車が停まった後、後部座席のドアが開き、目隠しと耳栓を外されて門の前に下ろされた。

「よく寝られた?」

 門を見上げて眩しそうに瞬きをしている利玖に、史岐は訊く。

 さっき、車内で叩いた軽口をまだ根に持っているのか、彼女はじろりと史岐を睨んでから頷いた。

「それはもう、すっきり、がっつり、ショートで純度の高い良質な午睡を頂きました」

「ふうん……、うらやましいね。僕、どんなに寝不足でも、あの車でぐっすり寝られた事ってないよ」

「毎回、おちおち眠っていられないという心当たりがあるからじゃないですか?」

「あながち間違いでもない」史岐は微笑む。「じゃあ、行こうか」

 門扉は右側が開かれた状態で、中へ入って行けるようになっていた。

 歴史の長い寺、あるいは戦国時代の城趾を彷彿とさせる、立派な切妻きりづま屋根やねのついた楼門ろうもんである。史岐は、今日に至るまでに様々な理由で美蕗に呼び出されているが、この門を見るのは初めてだった。今回は「《とほつみの道》を使わせてほしい」という用件の為に、ここが選ばれたのではないか、と推察する。

 門をくぐると、白い砂利が敷き詰められた中庭があり、美しい石畳が奥に向かって伸びている。突き当たりの部分には、左右に伸びる暗い回廊。しかし、どちらの入り口の扉にも錠前がかかっている。

 運転手の男から指示された通りに、向かい合った二つの扉の間を通り過ぎ、先へ進むと、木製の古い螺旋階段が現れた。高さはそれほどでもない。三階建てのアパートくらいだろうか。

 階段を上りきると、ひさしのついた通路に出た。どこかの山肌にでも沿って造られているのか、視界の左手に向かって緩やかに湾曲し、末端は見切れている。正確な距離はわからない。だが、見えている部分だけでも、ちょっと走って、すぐに帰って来られるような長さではないとわかった。

 右側は、胸くらいの高さに仕切り板があるだけで、展望がきく。最初に通ってきた門と中庭もそこから見えた。

 反対側には、客間だろうか、木製の引き戸が等間隔に並ぶ。どの戸も隙間なく閉め切られていたが、手前から二番目の引き戸だけは半分開いていた。二人はその中へ入る。

 右側の約三分の一が板の間になった、青畳の和室だった。板の間の方が一段高く、繊細な刺繍を施した赤い座布団が敷かれている。

 畳敷きの方には、もっと地味な無地の座布団が二枚。そこに座って待っていると、喪服のような黒い和服をまとい、顔の前に薄衣を垂らした女性が茶を運んできた。利玖と史岐の前、そして、板の間に置かれた座布団の前にも茶を置くと、無言で後退して部屋を出て行く。

 こういった黒子くろこのような人間が、何十人、いや、もしかしたら百人近く、住み込みで働いていて、それでいてほとんど口をきく事なく、屋敷の手入れや主人の身の回りの世話をしている。それが、槻本家の異質さの一つだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る