第51話 奢りと驕り


 球技大会は男女ともに優勝できなかった。


 やはり学年の差は大きい。同級生に部員はいたものの、それは三年生も同じだ。非所属者も体育の授業で多少の経験差はあるわけで、燈香や魚見でものいるチームも準優勝どまりだった。


 球技大会が終われば期末試験の勉強が待っている。今年をしめる最後の試験。心なしか教室の空気も少しばかり張り詰めた。


 金曜日の放課後。俺は通学カバンに教科書やノートを収める。


 迫る人影が映って顔を上げる。


 視線を向けた先で笑顔の魚見と目が合った。


「ねー萩原、土曜日一緒に勉強しようよ」

「勉強会か」


 スマートフォンからゲーム機に本など、この現代社会には気を引く要素が数多ある。自宅にいると勉強に臨む果敢なる自分が霧散しやすい。友人の目を使って気を引きしめるのは効率を高める手法として知られる。


 そういう意味では勉強会も悪くないけど、魚見と二人きりになるのは気恥ずかしい。


「じゃあみんなも誘っていいか?」

「別にいいけど」


 不満げな表情を視界の隅に追いやって声を張り上げた。燈香や丸田を誘う。


 二人からの了承を得たところでスマートフォンがバイブレーションを鳴らした。液晶画面に視線を落とすと、柴崎さんからアプリに通知が来ていた。


 液晶画面に視線を落として、電子的な文字の羅列を読み取る。


 土曜日に期末試験の勉強を一緒にやらないかという誘いだった。


「誰から?」

「柴崎さん。土曜日に試験勉強しないかって。柴崎さんも誘っていいか?」

「私はいいよ。柴崎さんとは個人的に話してみたいし」

 

 俺は魚見と丸田にも視線を振った。人からもうなずきを得て液晶画面に親指の先端を叩きつける。


 柴崎さんからの返事はすぐに帰ってきた。了承の旨を三人に伝えて椅子から腰を浮かせる。四人で昇降口まで足を運び、履き物を替えてコンクリートの地面に靴裏をつける。


 学び舎の門をくぐってそれぞれの帰路についた。


 試験期間に入ったからだろう。背中を向けて道を歩む人影が多い。毎日懸命に取り組んでいた生徒も部活がないと気が緩むのか、試験前でも変わらず朗らかな笑顔を浮かべている。


 進んだ先に怪しげな人影があった。ハット帽にサングラスで徹底的に顔を隠した人影が、未知の隅でスマートフォンの液晶画面をタップする。たまに顔を上げては下げるを繰り返している。


 激しく関わり合いたくない。手足が長いからそこらの女子が色めき立っているけど、男性の俺にとってはただの怪しい男だ。


 どうか声をかけられませんように。祈りながら横を通り過ぎる。


「ちょっとそこの人」


 意図せず背筋が伸びた。


 全力奪取で振り切ってしまおうか? 迷いが脳裏をよぎる間に靴音が迫りくる。


 逃げるタイミングを失って振り返る。顔に微笑を貼り付けて口を開いた。


「俺に何か?」

「そう警戒しないでよー。一度あった仲じゃん」


 反射的に首を傾げる。声色が脳裏をかすめてハッとした。


「物部さん、ですか?」

「覚えててくれたんだー嬉しい。あ、これ名刺ね」


 正直差し出されても困るけど、受け取り拒否したらそれはそれで困ったことになりそうだ。


 ありがたい風を装って頂戴した。


「ところで魚見ちゃんは? 一緒じゃないの?」

「はい」


 帰路はこっちじゃない。その言葉を笑顔で呑み込む。


 魚見は明らかにこの人を疎ましがっていた。わざわざ魚見につながる情報を漏らす必要もない。


 この場から去る方法を考えて、期末試験が近いことを理由にしようと口を開く。


「ここで会ったのも何かの縁だし、そこのカフェでお茶していかない?」


 おごるからさ。それだけ言い残して物部さんが足を前に出す。


 もはや聞く耳を持たずといった様子に、自然と口からため息がもれた。高い背中に続いて店内に踏み入る。


 ハット帽にサングラスは悪目立ちする。多くの視線を浴びながら暗褐色のチェアに腰かけた。歩み寄ってきた店員に飲み物を注文して物部さんに向き直る。


「君さ、魚見ちゃんと付き合ってんの?」


 直球で来た。用件はうっすら予測できていたけど、椅子に腰を下ろして一言目でこれが来るとは思わなかった。


 もはや駆け引きも何もあったものじゃない。さっきもすぐに魚見の所在についての問いを投げたし、俺の事情を一切うかがうことなく店内に足を踏み入れた。俺のことなんて魚見に関するデータバンクとしか思っていないのだろう。魚見がこの人を苦手とする理由が十二分に理解できた。


「付き合ってません」

「そう、まあそうだよね。君パッとしないし」


 苦笑いを顔に貼り付けてお冷に腕を伸ばした。キンッキンに冷えた水に舌を浸してメラっとしたものを静める。


「魚見ちゃんは劇団に所属してるんだ。将来有望なんだよ。パートナーもそれ相応の人を選ぶべきだ。君もそう思うよね」

「俺にそれを言っていいんですか? 魚見はよほど親しい人にしか劇団に所属してる旨を明かしてないんですけど」

「ん、そうなの? でもその言い方だと役者やってること知ってたんじゃん。なら問題ないよね」


 そうだけど、そうじゃない。


 感情を表に出さないように努める。


「最初にこれは言っておきますけど、俺から魚見のあれこれを聞き出そうとしても無駄ですよ。色々教えてもらえるほど親しくないですから」

「魚見ちゃん秘密主義だもんねー。俺が誘ってもプライベートには踏み込ませないし、身持ちがかたいのは交換が持てるよ。この業界炎上するネタは事欠かないからねぇ。特に色恋。それ相応にふさわしい人じゃないとファンも納得しないんだよ」

「俺は魚見と付き合ってないと言いましたけど」

「付き合ってないからって将来交際しないとは限らないじゃん。モールで見るまで、魚見ちゃんが男性と二人で出歩くところなんて見たことなかったし」

「魚見は気分屋ですから、たまにはそういう時もあるんじゃないですかね」

「だったら散々誘ってんのに一回も頷かないのはおかしいだろうがよ」

 

 早口で何やらつぶやいた。正面にある眉が逆ハの字を描く。


 整った顔立ちが俺の視線に気付いた。わざとらしい咳払いがテーブル上の空気を震わせる。


「とにかくさ、魚見ちゃんのキャリアを大事に思うなら距離感には気を付けた方がいいよ」

「肝に銘じておきます」


 心にもない言葉で間をつなぐ。


 この口ぶりからして、自身が魚見に疎まれているなんて夢にも思っていないのだろう。さすがに友人として一言入れた方がいいかもしれない。


「距離感と言えば、魚見はよく男性に声をかけられるみたいなんですよ」

「ん、それ今関係ある話?」

「あります。しいて言うならナンパですね。大勢に声をかけられたものだから少々アレルギーになってるみたいなんです。劇団にそういう人がいたら、物部さんの方でさりげなく注意してあげてください」


 誰のこととは告げずに、あくまで第三者を警戒する形を取った。物部さんは頭が回らなそうだし、この言い方なら角も立たないはずだ。

 

「は? 何その彼氏ヅラ。超ウケんだけど」

「え」


 物部さんに瞳をすぼめられて、意図せず口から戸惑いの声がもれた。


 眼前で右ひじがテーブルの天板を突いた。


「言っとくけど、魚見ちゃんが声かけられてることなんか知ってたし。注意だって俺からしようと思ってたわ。お前が考えることなんかとっくに思い付いてんだよ」

「は、はぁ」

 

 とりあえずあいづちを打ってお茶を濁す。


 どうやら俺は失敗したらしい。友人としての忠告が、物部さんには彼氏マウントか何かに聞こえたようだ。


 日本語の難しさをうれいていると、物部さんが椅子から腰を浮かせた。ポケットに腕を突っ込んで高そうな財布をのぞかせる。人差し指と中指でおしゃれに紙幣を引き抜き、それをテーブルの上に置く。


「急用入ったから俺行くわ。んじゃね」


 俺が別れのあいさつを告げる暇もなく背を向けられた。靴音が遠ざかって鈴の音が鳴り響く。


 俺はテーブルの上に放置された紙幣に視線を戻す。


「いや、足りないだろ……」


 置かれたのは千円札。俺におごるには金額が不足している。


 俺はもやもやした気分を乗せて嘆息する。

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