第6話:見習支配組頭柘植定之丞

「行き倒れと癩病の噂の件で、小林様にご相談していたのでございます。

 これは先にお奉行所で決めてくださった、名札を効果的にするためでございます。

 小林様もそれをご理解くださり、快く協力してくださったのでございます」


「建前はそうだが、本音はどうなのだ」


 見習支配組頭柘植定之丞の変わらぬ厳しい視線に、大番頭の角兵衛は内心感嘆の声をあげていた。


 これほど胆力があるなら、大名家の隠居が御師宿の来るような場合でも、堂々ともてなすことができると思ったのだ。


「大番頭に過ぎない私が申し上げるよりは、御隠居か主人に答えてさせていただいた方が、間違いがないと思います。

 お時間がお有りでしたら、茶庵の方にご案内させていただきたいのですが、宜しいでしょうか」


「ここまできて手ぶらでは帰れない、案内してもらおう」


「どうぞ、此方でございます」


 大番頭は恭しく柘植定之丞を裏庭にある茶庵に案内した。

 事務室にいる手代達に目配せして、隠居と主人に事情を伝えさせた。


 大番頭は客殿の中を通ったりはしなかった。

 玄関横にある門から内庭の一つに入り、内玄関の前を通って竹垣に造ってある門をくぐり、客殿の横に通っている小道を使って裏庭にある茶庵に案内した。


「このような小道を通っていただき申しわけありません」


「かまわん、これも御用の為だ」


 柘植定之丞は若いにもかかわらず剣の達者なのか、一部も隙も無い姿をしている。

 武芸の心得のない大番頭だが、長年あらゆる身分の檀家衆を迎えてきた事で、それくらいの事は見抜けるようになっていた。


 長い客殿横の小道が終わると、気品のある裏庭が現れた。


「ほう、これは見事な裏庭だな。

 これほどの庭は滅多にみられない」


「少し見て廻られますか」


「夕暮れの庭は見事だろうが、今日は御用で来ている。

 別の機会にさせてもらおう」


「せめて池の周りを歩かれませんか。

 長く鑑賞していただく訳ではありません。

 茶庵の準備が整うまで、愉しんでいただければ助かります」


「そうだな、急かす気も脅かす気もないから、少し見させてもらおう」


「ありがとうございます」


 柘植定之丞は大番頭の案内で、高価な錦鯉が悠々と泳ぐ池に架けられた赤橋を渡り、心を癒すように計算されて配された山水の風雅を感じながら一周した。


「おもてなしの準備が整いました」


 急いで茶庵の準備を整えた女中が柘植定之丞と大番頭に声をかけてきた。

 

「よくやってくれたね。

 柘植の若君、どうぞこちらに」


「うむ」


 大番頭に先導された柘植定之丞が躙口を使って茶庵の中に入ると、隠居の檜垣常央がお茶の準備を整えて待っていた。


「よくぞおいでくださいました、お初にお目にかかります、隠居の常央と申します」


「見習与力の柘植定之丞だ、見知り置いてくれ」


「今日はわざわざ孫娘のために退出後に来ていただき、感謝の言葉もありません」


「小林海太郎が動いていたのは、ここの娘の願いだったのか」


「はい、家の一人娘はとても心の根の優しい子で、表で行き倒れになった癩病に心を痛めていたのでございます。

 何故彼らが急に伊勢に来るようになったのか、どのようにすれば彼らが行き倒れになるのを防げるのか、小林様に相談したのでございます」


「小林がやっている事は、癩病に限らず物乞いをする者を取り締まり、山田三方から締め出すと方法だったが、話しが違っているのは何故だ」


「こちらのお願いの仕方が悪かったのかもしれません。

 あるいは、以前お出しに成られた奉行所の方針に従う為かもしれません。

 その点は小林様にお確かめください。

 我が家は、孫娘が苦しまないように小林様におすがりしただけでございます」


「八日市町の年寄りとして隠居が動いたのではないのだな」


「そのような事はありません。

 心優しい孫娘を想って、祖父の立場で動いただけでございます」


「そうか、だったら後の事は小林に確かめよう」


「一服いかがでございますか」


「そうだな、役儀を離れて聞かせてもらえる事がるのなら、一服付き合わせてもらうが、どうだ」


「宜しゅうございます、胸襟を開いてお話させていただきましょう」

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