山荘までの憂慮
「……」
身構えはしてきたのだ。“支配人”と共に行動する意味を理解しているし、どれだけの惨事が起きようとも目を離さない覚悟もあった。しかし、今回に限って言えば、妙に浮き足立っており、山荘に素泊まりする理由に怖気を覚えていた。作劇の上で語るのならば、殺人が起きることを前提とした場所と言え、危害がワタシ達に及ぶのではないかという、外連味が過度な恐怖の呼び水になっている。
「今の時期に山登りとはまた、大変なことをしますね」
山の天候は変わりやすい。雨に降られれば身体は著しく冷えて、山荘に着く前に心が折れてしまいそうだ。
「まぁ、自分達の都合で登る訳ではありませんから」
“支配人”は、下手な言い訳を繕うことはせず直裁に言った。運転手がワタシ達の真意など想像もできないと踏んだ“支配人”の思慮であり、とくに秘密が露見したとも思わない。隣から聞こえてくる軽やかな口笛からもそれはハッキリしていて、ワタシは深く背もたれに身体を預け、運転手の困惑した横顔を眺めた。
「ゴミ拾いのボランティアとか?」
本懐は良心にあると高を括る運転手に対して、そぞろに笑みが口端に垂れた。嘲笑ではないと胸を張って言えるが、傍目に見れば貶めているように見えても仕方ない。ワタシは窓の外の景色に目をやりつつ、“支配人”と運転手の会話を取り止めもなく耳を傾ける。
「ボランティア……。そう言えなくもないですね」
歯切れの悪い“支配人”の言い回しは車内に間延びした空気の弛緩を生む。運転手もこれ以上の追求にあまり意味を見出せなかったようで、ハンドルを握り直し、アクセルとブレーキの操作に傾倒した。それから十分も経たぬうちに、目的となる山道への入り口が立て札として設置された文字通りの場所に車を横付けする。
「〇〇円になります」
“支配人”は現金主義で、電子決算を遍く避ける傾向にあった。その為、ワタシはいつも先んじて降車し、土地が持つ独特な香りや風景、温度感などを享受する。鬱蒼と生える雑草から立ち上る青臭さに顎を上げれば、出し抜けに吹き抜ける風が無数の木の葉を揺らす。山から降りてくる寒気に肩を自らさすって熱を起こした。
「どうも」
“支配人”もワタシに続いてタクシーから降りると、運転手に労いの言葉をかけて、走り去る後ろ姿を見送った。
「どれくらい登りますか?」
自身の体力と環境による負荷を鑑みて、山道を歩く上での心構えを改めてしておきたい。
「ふ」
とかく先行きを心配する拠り所がないワタシの不安な顔を、“支配人”は鼻で笑った。
「大丈夫だよ。あくまでも観光客を迎えるペンション。汗だくになるような登頂の末に身体を休ませる場所じゃない」
ワタシはひたすら険しい斜面を登り、汗水を額から吹き上がらせる悪い予想ばかりに傾倒してしまい、億劫に思う気持ちがしずしずと積み上がっていた。だがそれも、杞憂に終わることを“支配人”が約束してくれた。
「それなら、良かった」
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