第57話

「――――私はすみれさんの他に好きな人がいるわ」


 ぽつりと呟かれたそれはやはりどこか優し気な言葉で、剣呑だった眼差しは苦渋を堪えるように眉間に皺を寄せて、視線は宙を彷徨う。


 それはとても京花らしい優しさで隠されていた。


「他に好きな人がいるんじゃあ……仕方ないですよね」


 すみれはもまた、京花の言葉の意味を噛みしめながら必死に涙を堪えるように瞼を閉じて頷く。


 美鈴は相変わらず静かに場の空気を読み、俺はただ京花とすみれのことを交互に窺うだけ。


「けどね、私はすみれさんのことを何も知らないのよ」


「そうですよね。きっと、全部すみれの勘違いだったのです」


 俺の知らない手紙の内容、京花が覚えていないすみれとの出会い。

 俺には二人の言葉の本当の意味はわからない。


「そういうことが言いたい訳ではないのよ。勘違いしないでちょうだい。私はね、よく知らない人のことを好きにはなれないだけなのよ」


「それは、もう……よく分かりました……ので、大丈夫です」


 ただ俯きがちにすみれの口から放たれたその言葉が痛い。

 実際には1ミリだってその場から動かず椅子に座っているすみれが、一歩退いた姿が俺の目にはと見えた。


 違うんだよ、すみれ。

 ここで退いたらダメなんだ。

 たったひとつの言葉で線を引いたらダメなんだ。


 どんなに好きな相手だって、信頼していた相手だって、憧れた人間だって、ひとつひとつの言葉にいつだって正解を引き当てられるわけじゃあないんだ。


 晩飯のことなんて考える時間じゃない。


「……先輩?」


「なんでもねえよ」


 気が付けば体が勝手に立ち上がって、隣に座るすみれの後ろに立っていた。

 たったそれだけのことだから、なんでもない。

 今語っているのは俺ではないから、なんでもない。


「今の私はすみれさんの気持ちに応えられるだけのものを何も持っていないのよ。私はすみれさんのことが知りたいわ。私は……すみれさんとお友達になりたいわ」


「お友達、ですか?」


 相変わらず、俺の前ではずけずけと物事を言う癖にこういう時には慎重に言葉を選びすぎるきらいがある京花に呆れ、すみれはどんな風にその言葉を受け止めただろうかと考える。


 考えている内に、なぜか両手が勝手にすみれの肩に伸びていて――はっと、気づいて慌ててすみれの肩を抱きしめてしまう前にその手をすみれの両頬に持って行って挟み込む。


「むぎゅっ!?」


 そのまま奇妙な鳴き声を上げた小動物のようなロリっ娘の顔をぐいっと無理矢理持ち上げる。


「ちょっと、やめなさいよ」


 京花がぷいっと顔を横に逸らす。

 それが面白くて、すみれの顔を挟んでいた両手を話して噴き出さないように自分の口を隠す。


「お姉様……お顔が真っ赤です!」


「すみれさんも余計なこといわなくていいからっ!」


「京花ちゃん、すみれちゃんから逃げてこっち向くのはいいんだけど、あたしには照れまくってる顔めっちゃ見えてるんだけど……ぷっ――あはは! 可愛い!」


「~~!! 美鈴さんっ! だいたいあなたまでそうやってユウくんの味方について! ずるいわ!」


 すみれが俯いているのを良いことに、顔を真っ赤にしながら一生懸命言葉を探して悶えていた学園のアイドルきょうか

 ――その醜態を不意打ちで真正面から見てしまった美鈴が噴き出してヘイトが移る。


「だってあたしたちライバルじゃん……ぷくくっ」


 煽ってんのかってくらい笑いを堪えられない美鈴。

 残念だな、京花。

 美鈴は喜怒哀楽を隠すのがへたくそなんだぞ。


「あ、あの、何がどうなってるんです?」


 笑いが止められない美鈴とそれに抗議する京花を困惑しながら眺めていたすみれが、頭を上げて傾けて背後に立つ俺の顔を見上げる。


 なんと答えるべきだろうか。


「お前の好きなお姉様は自分のことになるとぽんこつで、俺の好きな人は他人のことになるとぽんこつなんだよ」


「まったくよく分からないんですけど……」


「よくわからないんだよ。よくわかんねーからさ、お前もこれからちゃんとわかるように一緒に頑張ろうぜ」


 縦も前後も上下が入違うようにして見つめ合う俺とすみれ。


 多分、俺の言っていることの意味なんて俺だってよくわかってなくて、すみれにもあんまり伝わってないと思う。


「すみれは……失恋をしたのでしょうか」


 だからすみれがそんな風に目の前にいる誰かに尋ねたくなってしまったのも仕方がないだろう。


 言葉なんてものはどこまで当てになるものかはわからないし、俺だって本当に京花の気持ちを理解できているかはわからない。


 それを無理矢理知っている言葉にしてしまえばきっとそれは「失恋」となってしまうのだろう。


 そんな言葉に俺は京花の気持ちを押し込めたくはないのだが……まあ、無風流だが一言だけ。


「ラブレターはちゃんと届いたけどフラれたな。これから頑張れよ」


「なんですかそれ!? 軽すぎませんかっ!?」


「他人事だからな」


「最低ですっ!! この意地悪ぅっ!!」


「痛えっ!」


 先ほどまで泣きそうだったすみれが叫んで狂暴な八重歯が俺の腕に噛み付く。


「あ! すみれちゃんずるい!」


「ちょっと! ユウくんだけ仲良くするのは卑怯だわ!」


「噛みつかれた俺の心配をしろよ! つーかお前らもいつまでも二人でじゃれあってんじゃねーよ。俺は食器の片づけするから後輩と遊んでやれ」


 そういって俺はすみれに噛まれたのとは反対の手でリビングを指差す。


「おっ! ようやくあたしの出番だね! じゃあ今日はすみれちゃんも一緒にゲームしようか!」


「ふんっ……修行の成果を見せるときが来たようね」


「えっ? えっ? えっ!? ゲームですか!? なんで急に!?」


 俺も京花も友達作りに関してはぽんこつだが美鈴が居れば大丈夫だろう。

 どう考えても負けフラグを立てている京花とすみれの背を押して強引にリビングに連れていく途中、美鈴が一度こちらを振り返る。


「……」


「……」


 互いに何かを言葉にするでもなく、ほんの一瞬だけぶつかる視線。

 美鈴はすぐに視線を戻しリビングへ。

 俺もまた三人の背を追うことなくテーブルの上の食器をトレイに乗せてキッチンへ。


 俺たちはいつか、物語の登場人物たちがするように、心のままに想いを正しく言葉にできるようになる日がくるのだろうか。

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