第2話 初日にして学校へ

「よー、ユウちゃん。ニッポンの夜明けぜよ?」

「普通におはようとか言えないもんかね」


 朝だというのに、ホームルーム前の教室はにぎやかだった。我らがA組はいつもこんな感じらしい。

 僕の席に勝手に座っていた来寿らいじゅは、こちらに気づくと立ち上がりながらイジってきた。出身地をからかいの対象とするのは本当にくだらない。


「いやぁ、もうちょいで水泳始まるな」

「あー……そうだね。6月も後半だし、そろそろプールか」

「最悪だわ。オレ泳ぐのめっちゃ下手だし。てか嫌いだし」


 来寿はアグレッシブで前向きそうな見た目に反して、割と運動に苦手意識を持っている節がある。シャツを着崩しているのも、ただ単に暑いからだというし、ヤンチャかと思いきやそうでもないみたい。


 ホームルーム開始のチャイムが鳴った。

ザワザワしていたみんなも、それぞれ自分の席につく。起立と礼の合図にあわせながら、僕はふと思った。


 先ほどの水泳の話についてだ。

この夏の水泳は間違いなく女性の体でやることになると思うが、もし生理が来たらどう休むか、という問題に気がついた。

あまり考えてこなかったというか、触れてはいけない話題という雰囲気があったせいか避けていたが、女子は生理になると体育を見学するという印象がある。

 いや、そもそも生理ってなんだ?

どれくらい……1週間くらい続くとか、そういう感じだったか?

……まずいな、このあたりもきちんと調べておかないと。


「山本くん」

 色々と考えていると、担任の先生に名前を呼ばれて我に返った。

気づくともうホームルームは終わっていて、起立の呼びかけに僕だけが反応していなかったので慌てて立ち上がる。

 礼のあと、それぞれが1時間目の数学に備える。


「なぁにユウちゃん、すんげぇボーッとしてたけど」

「うん、ちょっと考えごとしてた」

「エッチなこと考えてたな? とりゃっ!」

「わひいっ!?」


……今まで出したことのないような、珍妙な声を出してしまった。これはもう来寿のせい以外の何ものでもないが、当の本人は誰よりも目を丸くしている。


 僕は今、一瞬だけだが股間を触られた。

いかがわしいことを考えて、ズボンが膨らむというのはよくある話。そのせいで前屈みになるのも仕方のない話。

 リトル雄一郎が立ち上がったか立ち上がっていないかを確かめるため、じゃれ合いの延長線で掴もうとしてくるのも……ありがちなことでしょう。


「ちょ……ええ? 声裏返りすぎじゃね? てか今の反応……」

「いや、ちゃう。なんかその、不意をついた攻撃に声が……そう、危険信号! 敵襲!」


 僕は教室を飛び出して、スマホ片手にトイレへ駆け込んだ。

怪しまれた。絶対に怪しまれた。

来寿の周りに集まった取り巻きも、僕のリアクションをおかしく思って仕方ないだろうと思った。


「山本くんってあんなに面白かったっけ?」

「んねー。あたし、ちょっとからかってみたいかも」

「……ユウちゃんのやつ、あんなに感度良好だったのか」


◉ ◉ ◉


 生理とは、月経を表す言葉。

平均してその期間は3日から1週間ほど。

2日以内に終わる場合もある。

しかし——


「個人差……ね」


 個人差があるというのは、本当にそうなのかもしれないが、なんとも便利な言葉だと嫌味な捉え方をしてしまう。

個室に逃げた僕は、改めてこの問題を直視する。

 女性になって一番に直面する、そして一番に困惑するであろう現象。


どうにか楽観的な気持ちを保とうとしたが、学校に着いてようやく気づいたのだ。もし今日にでも出血が始まれば大変だ。

 しかし、残念ながら生理用ナプキンなどは持参していないし、保健室に行けば手に入るのかもしれないが、見た目が男のまま行ったところで不審に思われて終わりだろう。


「かくなる上は……!」


 手段を選ぶに選べない僕は、引っ張れども引っ張れども無限のごとく出てくるそれを、ひたすらに巻き取った。


◉ ◉ ◉


 今日は体育がなかったのが救いだった。

そしてもうひとつ大きな救いがあったとすれば、今日という一日を、一滴の鮮血もなく過ごせたということ。無事に放課後を迎えられたということ。

 結果として経血は起きなかったので、僕は再び個室に入って、パンツの中に忍ばせていたペーパーの塊をおもむろに取り出した。


 トイレから出て、ひとまず今日のところはまっすぐ帰ることにする。

いつもなら部活があるところだが、男所帯のサッカー部で引き続きお世話になるのは、どこか気まずい。遠征もあるし、入浴のときにでも裸体を見られたら一発でバレてしまう。


 何よりあのキャプテンは暑苦しいし、僕が少しでも女体化に悩んでいる様子を見せようものなら、おそらく……


「雄一郎! お前今日休みかと思ったぞ!」


……こんな具合に絡んできてしまう。

 帰るときにはどうしてもグラウンドのそばを通ることになるので、練習中のみんなを尻目にそそくさと歩いていたつもりが、こちらに転がってきたボールと共に智也ともや先輩が現れた。

そして、フェンス越しの僕に気づいた。

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