第6話 老教授への疑惑

Q:zimmerの謎と書いてあるのは、どういう意味ですか?

A:zimmerというのは、ドイツ語で「部屋」ですが、ここでは密室という意味で使います。

Q:路地がどうして密室なのですか?

 別の刑事が聞いた。

A:つい最近も熊本の繁華街で、雑居ビルの7階に、布にくるまれた若い女性死体が発見されましたが、密室になる部屋または建物全体が密室状態で、犯人はどうやって犯行に及んだのか、推理が及ばないような「完全犯罪」を指す、主として推理小説で使われる空間のことです。エリーゼの小径を、このような密室空間と考えて、犯人が完全犯罪を作り上げようとした「からくり」を見抜くためです。


 「なるほど」

と男性捜査員が、納得した。

Q:では、どのようなトリックが考えられますか? 確か、アメリカでビルの屋上の水道タンクの中に女性の死体が発見され、未解決事件になっているケースがありますが。

A:ええ、エリサラム事件・・・知っています。明日竹下通りで、現場検証で考えてみたいと思います。

 山科百合が冷静に答えた。

Q:被害者が所持していたスマホで、facebookが利用されていたようですが、何か手掛かりになるようなことは?

A:LINEアプリは、削除された可能性もありますが、使われた形跡がありません。facebookはアカウント登録されており、所属の芸能事務所が作っているグループで書き込みなどを行っていますが、10万人のフォロワーがいます。また、ブリリアントスターズのYoutubeアカウントで、ダンスや歌の動画が多数アップされています。いま、解析中ですが、最近出した歌には5万のフォロワーがいます。twitterはやっていないようです。それと、

Q:相当な売れっ子ということですね。

A:そう考えていいと思います。

 山科百合は流暢に答えた。

「母親の話では、湯沢亜里沙は、もう一つスマホを持っていたとのことですが、所持品の中には見当たりません。ほかにありませんか?」

と、一課長が誘うと、

「犯行の共犯者が持ち去った?」

「あり得ますね。犯人が路地の2階から撃ったとすると、Yuariが身につけているスマホを奪うことができるのは、彼女が倒れた近くにいる必要があります。共犯者がいる可能性が高いです。登録のスマホ店で調べてもらっています」

「所属のブリリアントスターズは、どのように見ていますか」

と年配の刑事が聞いた。

「まだ、反応を聞いていないので、明日手分けをして当たってください」

 一課長が即答した。その後、いくつか質疑応答があったが、役割分担を決めて、その日の捜査会議は終了した。


「桜川先輩が、事件の捜査の経費が出るようになったと、喜んでいました。先生ありがとうございました」

と、下田健は、野原すみれがよく考えごとをしに来る池のほとりのベンチに座って言った。

「多少の経費くらいは出るらしいよ」

 仲村は下田に言った。

「お前にも食事くらいは出せるかもしれないって言うもんですから、ボランティアでやるからいいって断りました」

と、下田健は殊勝なことを言った。

「ところで、大学の先生からちょっと気になることを小耳にはさんだんだ」

 仲村は言った。下田が仲村のほうへ体を少し傾けた。

「君は授業は受けたことはないと思うが、ある先生が、学長の娘さんが経営している芸能プロダクションにたびたび出入りしていたというんだ」

「へー」

下田は小声で答えた。

「その先生はもう退職していて、僕も懇意にしてもらっていた関係で、どういうことかと聞いたんだが、どうもその娘さんにぞっこんだったそうなんだ」

「老いらくの恋ってやつですか」

 下田は、世間話には通じたところがあった。野原すみれには頭が上がらなかったが、こうした話にはたけている。どちらかというとお嬢さん育ちのすみれには、こういう話は出しにくい。下田からそれとなく、野原すみれに伝えてもらったほうかよい。

「在職中には、なかなか話せないことも、辞めたとなると恨みつらみみたいなものが出て、尾ひれがついて出てくるものさ。いろいろ複雑な利権がらみの事情もあったらしい」

と仲村は、池の鯉に餌を投げていった。

「先生、調べてみます。でも利権ってどういうことですか?」

「詳しいことは確証を掴んでから話すが、その老教授がやめたのが、3年前、その時湯沢亜里沙さんは、本学の2年生だったはずだ。情報提供してくれた先生の名前は伏せるが、いい加減なことを言うような人ではない。大方の事情を話して、その老いらくの恋の周辺を調べてくれることになっている。どうもその老教授、認知症の進行で退職せざるを得なくなり、いまは施設に入所しているらしい」

「湯沢亜里沙さんが、本学の学生だった。芸能事務所を経営している学長の娘さんに老いらくの恋だった・・・利権・・・湯沢亜里沙さんが銃で撃たれた・・・」

下田は空を仰いで言った。

「その老教授は、確かキリスト教の信者だった・・・本学はミッション系の大学・・・その延長上に何かがあるとしたら、宗教がらみの事件ということになるが、桜川探偵事務所も慎重に構えなくては・・・宗教は厄介だ」

 歯切れは悪いが、仲村は改めて桜川の事務所で相談しようということで、会話を打ち切った。

「分かりました、先生。捜査経費の件も含めて、慎重に事を運ぶようにすみれさんに伝えます」

 下田も、肝心なところはしっかりしている。

 

 その夜、仲村が本を読んでいるところへ、電話が入った。老教授と仲が良かった長瀬という教授からだった。

「昼間は立ち話で、詳しく話せませんでしたが、彼からもらったメールや、手紙などを見返して、記憶をたどってみたのですが、どうも彼の彼女への思い入れは正常ではないようで、ある種、病的なものでした」

「そうですか」

 仲村は先を促した。

「最初は、ミッション系の大学だという線で、近づいて行ったのですが、それが講じて異質な感情に変わっていったように思います。これは私の推測ですが、今にして思えばそういうことなんです。自分の地位の保全という欲もからんでいたようです」

「たしか、三条先生もキリスト教の信者でした」

 仲村は口調を合わせた。老教授は、三条といった。

「娘さんは当然のことながら嫌がっていて、学長から三条先生に伝えるように、私に何度か話がありました」

「それで注意をされたのですか?」

 仲村は言葉を選びながら、聞いた。

「はい、一応は。それがあのお方は口がうまくて、信教の自由だのミッション系の大学の使命などと、あらゆる美辞麗句を持ち出して、きく耳をもたないんです」

「そうですか。それで認知症の症状が進行していく中で、病的になっていったと・・・私も、薄々そうしたことは感じていたのですが、やはり・・・」

「今度、芸能人がらみの事件があって、被害者が本学の学生だったと聞いて、先生にお知らせした次第です」

「ありがとうございます。慎重に扱いますので、ご安心ください。また何か思い出すことがあったら、ご連絡ください」

「それから・・・」

と、長瀬教授は付け加えた。

「これは噂なんですが、三条先生は渋谷の再開発に絡む案件にも首を突っ込んでいたようです。なにせ付き合いが広いですから」

「渋谷の再開発には、エンタテーメントに特化したビルの建設計画がありましたね」

「いま、この再開発地区内のビルの屋上で起きた殺人事件が未解決のまま膠着状態にありますが、どうもひっかかるものを感じます」

「私も、利権がらみの水面下の動きがあることは聞いていますが、何かわかったら教えてください」

 「屋上殺人事件」は、山座1課長が頭を悩ましている、懸案の未解決事件だ。屋上で、K建設の社員が殺害された。事件解明の手掛かりはほとんどなかった。仲村は電話を切った。この時点では、仲村はまだYuariが「老いらくの恋」の三条のゼミにいたことは知らなかった。


 二三日たって、仲村は桜川の探偵事務所を訪ねた。湯沢亜里沙は順調に回復しているという。しかしまだ、絶対安静の状態だ。科野百合はじめ捜査陣は、慎重に回復を待った。「殺人未遂事件」とはいえ、絶対に犯人をあげなければならないが、本人の口から事情が聞けるということで、捜査一課には悲壮感はなかった。焦って捜査を進めて、犯人に身構えられても困る。

 和服姿の桜川、野原すみれ、下田の三人を前にして、仲村は、三条教授が湯沢亜里沙の受け持ちで、しきりに学長の娘が経営する芸能事務所に移籍したがっていたと言った。三条は、いま看護付きの施設に入っているが、仲村のことはよく覚えていて、たいそうなつかしがり、断片的な記憶をひねり出して見せた。しかし、認知症の「患者」の記憶は証拠にならない。

「私の記憶にあるので、まず間違いないと思う。学生とは言え、急に人気が出てきたYuariを移籍しようと、いろいろ働きかけていたと思う。その真意は測りかねるが・・・」

 仲村は、桜川に向かって言った。

「確か、Lady All Stars と言いましたか。僕も存じています。」

「独立系の芸能事務所で、タレントの独立性を重んじ、教育を必要とする一部の卵は別として、エージェント契約を中心に、最近注目を浴びている事務所です」

「もちろん金の卵ということもあります。引き抜きはご法度なので、三条教授が間に入ったのではないかと思っています」

 仲村は、相槌を打つ野原と、下田を見ながら言った。

「でも、引き抜かれた側のブリリアント・スターズは穏やかではないですよね」

 野原すみれと下田健が、顔を見合わせて言った。雑談は小一時間続いたが、その後の調査について意見交換し、帳の降りかかった青山通りの中へ、三人は消えた。

「まさか・・・三条教授が・・・」

仲村がつぶやくと、

「先生、三条教授がどうかしましたか?」

と、野原すみれがすかさず反応した。

「三条先生は、強引とも思えるやり方で、YuariをLady All Starsへ移籍させた・・・下心があったとはいえ、Yuariを出しに使ってLady All Starsへ恩を着せた。しかし、Lady All Starsへの移籍は決まったわけではない・・・何かあったのかな」

仲村がつぶやくと、

「Yuariさんは移籍を撤回したのでしょうか」

 下田健が自信なさそうに言った。

「さあ、ふとそう思っただけだよ」

 三人は駅へ急いだ。

野原すみれは、電車の中で、

「Yuariは同じ仲間への友情からどうしても一人だけ、仲間を裏切ってまで新天地への移籍に踏み切れなかった・・・それで激怒した三条教授は・・・」

と、喉まで出かかった言葉を飲み込んでしまった。

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 主な登場人物 山座順次:警視庁捜査一課長、科野百合:同刑事、仲村輝彦:西教大学教授、野原すみれ:学生、下田健:学生、桜川解久:私立探偵:、Yuari(湯沢亜里沙):ブリリアント・スターズ所属アイドル、三条節夫:元西教大学教授


 

 


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