第38話 アレクシアの憂い
ヴァンフィールド城の長い廊下を歩きながら、アレクシアは考え事をしていた。
第一王子クリストファーは王位継承権を永久に失い、子爵となる。
父侯爵からのその知らせを受けたアレクシアは、ほっとしていた。クリストファーが王族としての権力を保持したままでは安心できないと思っていたから。
彼がまた何か悪だくみをしたとしても、もう力を貸す者はいない。彼の祖父であるダッドリー侯爵も彼にはもはや興味がないだろう。
哀れだとは思わない。
一方的に婚約破棄し、勝手に未練をつのらせて復縁を望み、アレクシアの婚約者であるレニーに決闘を申し込んだ男だ。しかも、レニーが真剣を扱えないとわかっていて勝負を申し込んだ卑怯者である。
弱点を克服したレニーが圧倒したからよかったものの、これで愛する彼が怪我でもしていたら、クリストファーを恨んでいただろう。
だが、今となっては彼はただの子爵。今後社交界に顔を出すこともないはずだ。
脅威にさえならなければ、もう興味がない。これ以上破滅してほしいとも思わないから、田舎で穏やかに暮らせばいいと思う。
それに、その件に関して気になっているのは、クリストファーのことではない。
(今回の件、やはり……)
目的地である書庫の扉を開け、机に突っ伏して居眠りしている人物に気づく。
彼と話したいと思っていたからちょうどいい。
そっと近づいたところで、彼が体を起こした。
「ごきげんよう、閣下。起こしてしまいましたか」
「もう起きる時間だったから気にしないでくれ」
ヴァージルが欠伸をする。
アレクシアは、「失礼します」と彼の向かいに座った。
「私に何か話が?」
「はい。……父から、手紙をもらいました。クリストファー殿下がどうなったのかを知らせる内容です。閣下も、殿下の件はもちろんご存じですよね」
「まあな」
「……意外でした。閣下が王宮に直接抗議しに行かれるとは」
ヴァージルはアレクシアたちと入れ替わりで王都に向かった。
何をしに行くとは言わなかったが、あのタイミングで王都に向かったのなら抗議に行ったとしか考えられない。
そしてクリストファーは王位継承権を失った。
罰の重さとしては妥当と言えば妥当だが、辺境伯が直接抗議をしなければここまでの事態にはならなかったと思われる。
「決闘を申し込んでかすり傷一つ負わせられずに敗れたと考えるか、相手が真剣を扱えないと知った上で敗者が命を落とす決闘を一方的に申し込んだ殺人未遂ととるか。殺意の有無など端から見ればわかりませんから、後者ととられてもおかしくはありません。おそらくレニーに関して調査していた証拠も出たのでしょう」
「そうだな。だから抗議した。おかしいかな?」
「おかしくはありません。あの方を王子の地位から引きずり下ろしたほうがいいというのも明白です。ただ、閣下は……それに納得していらっしゃったのかと」
「抗議したのは私なのだから、納得も何もないだろう」
ヴァージルが苦笑する。
アレクシアはしばし黙り込んだ。
「……差し出がましいことを申しました。閣下が辺境伯として考えた上でのことでしょうに」
「まあ、こうまで出来過ぎな結末を迎えては、渦中にいた君は当然気づくだろうな。そして私やレニーに対して、巻き込んでしまったのではと罪悪感を抱いているのだろう」
「……はい」
「だがアレクシア嬢の言うとおり、熟考して納得した上でのことだ。たしかに侯爵の勧めはあったが、レニーが君を得たことへの対価として抗議したわけではないし、辺境伯として国のことを考えた結果だ。すべては収まるべきところに収まったし、何も問題はあるまい?」
「仰るとおりです」
そう言いつつも、心にしこりが残っている。だがこれ以上の言及は無意味なので引き下がった。
父侯爵が裏で糸を引き、その駒としてアレクシアは使われた。マクシミリアンも一枚噛んでいると見ている。
ミレーヌだけは、彼女の反応を見ていれば父が用意した女性というわけではなさそうだが。
父に利用されたことに、納得はしていないが憤りも感じない。
ブラッドフォード侯爵がただの侯爵でないことには薄々気づいていたし、クリストファーやその背景にあるものを考えればこの王国にとっては必要なことだったとわかっているから。
父が見せてきた愛情も、偽物だったとは思っていない。
ただ、辺境伯やレニーには申し訳ない気持ちになった。
「アレクシア嬢。私は君を悪く思う気持ちは少しもない。今でも君がレニーの婚約者になってくれて本当によかったと思っている。だが、もし気持ちがすっきりしないなら、レニーと話してみるといい。王子がどうなったかだけは言ってあるから、あいつも何らかのことに感づいてはいるだろう」
「はい」
「まあ、あれだな。これからはレニーと話す機会も増えるだろうしな」
急におどけた雰囲気で、笑みを浮かべながらヴァージルが言う。
アレクシアは首を傾げた。
「……? どういう意味でしょうか」
「レニーが騎士団の訓練から戻ってきたら話そう」
「? 承知いたしました」
なんとなく引っかかるものを感じながらも部屋に戻り、読書をしながら待つ。
夕方になってメリンダが「ご主人様がお呼びです」と知らせてきた。
彼女に案内され二階の端の部屋の前に行くと、そこにはすでにヴァージルとレニーがいた。
案内が終わったメリンダは、その場を去る。
「閣下、ここで何かあるのですか?」
ヴァージルがニヤリと笑う。
「ここはレニーとアレクシア嬢が今日から使う部屋だ。こっちがレニー、こっちがアレクシア嬢」
彼が指さしたのは、隣り合った二つの扉。
レニーの表情に動揺が浮かぶ。
「閣下。まさか、このお部屋、中でつながっていたりは……」
「もちろん続き部屋になっている。次期辺境伯とその妻のための部屋だからな。私も昔は使っていた。バルコニーもつながっていて便利だぞ」
「えっ……」
アレクシアも動揺する。
「父上。俺たちはまだ結婚していないのに、こんな……」
「この部屋を使えというのは、なにもお前が考えているようなスケベな理由からじゃないぞ」
「……っ、俺はそんなことは考えていません!」
「どうだかな。まあ理由としては、アレクシア嬢にいつまでも客室を使わせるわけにはいかないからだ。レニーも次期辺境伯としての立場を確立したのだから、フィオナの近くの部屋では子供扱いされる」
ここヴァンフィールド城における二人の立場を明確にしようというわけかと納得した。
レニーとアレクシアは次代を担う二人であることを、城の人間に意識づけるのが目的である。
婚約者同士で続き部屋を使用するのは珍しいが、そもそも結婚前に婚約者の家に住んでいる事自体が異例である。
ただし、辺境伯子息が領地をほとんど離れられないヴァンフィールドでは珍しいことではないのだという。
「レニー。わたくし、結婚までブラッドフォードに戻っていたほうがいいかしら?」
「! それは……嫌です。数か月の間、あなたとほとんど会えなくなってしまう。アレクシアが嫌でなければ、ここにいてほしい」
「わかりました。ではこのお部屋をありがたく使わせていただきますわ、閣下」
「ああ、そうしてくれ。中の扉は、アレクシア嬢側から鍵をかけることができるから安心してほしい。結婚前に野獣の餌食にするつもりはない」
「誰が野獣ですか」
「ふふ、では中に入ってみましょう」
それぞれの部屋の扉から中に入る。
調度品はすべて新品で、アレクシア好みの上品で美しいものだった。その気遣いをうれしく感じる。
レニーの部屋へと続く扉をノックしてみると、彼が扉を開けて顔を出した。
「ごきげんよう、レニー卿」
からかうようにアレクシアが言う。レニーが優しい微笑を浮かべた。
「これからはこうしてすぐにレニーに会えるのがうれしいです」
「俺もです」
「こうして隣り合った部屋を使っていると、新婚夫婦みたいですわね」
その言葉に、レニーが照れた様子で顔をそらした。
そんなレニーがかわいくて、幸せを感じる。
だが同時に、自分は本当にここにいていいのだろうかという思いがふと頭をかすめる。
(なぜなら、この婚約は……)
「アレクシア?」
急に考え込んだ様子のアレクシアを、レニーが心配そうに見つめる。
「なんでもありません。レニー、今日の夜、少し話せませんか?」
「わかりました。ではアレクシアの準備が整ったら、いつでも声をかけてください」
隣の部屋というのは便利ですねと笑うレニーを、アレクシアはどこか寂しげな笑みを浮かべて見つめていた。
その夜。
アレクシアはバルコニーに出て、彼の部屋へと続くガラス扉をノックした。
意外なところから現れた婚約者に、レニーは少し戸惑いながらもバルコニーに出てくる。
「秋の夜ですし、寒くはありませんか?」
「平気です。今夜は星がきれいなので……」
そう言って、アレクシアは夜空を見上げる。
レニーは彼女を温めるように、彼女が羽織る厚手のショールの上から肩を抱いた。
「……レニー」
「はい」
視線を夜空からレニーに移し、その瞳をじっと見つめる。
白い手がかすかに震えていたのは、寒さゆえか緊張ゆえか。
「わたくしたちの婚約が……仕組まれたものだったと言ったら、あなたはどうしますか?」
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