第34話 決着


「ファーレイ?」


 聞いたことのない単語にアレクシアは首をかしげる。

 だがレニーの反応からして、彼は知っているようだった。


「殿下。戯れに口に出していいことではありません」


「戯れではない。男なら受けろ。ヴァンフィールドの跡取りが、まさか王子相手に臆することはないよな?」


「レニー?」


 アレクシアの呼びかけに彼は一度振り返り、また王子のほうを向いた。


「ファーレイは奪われた女性を取り戻すために行う決闘のことです。真剣で決着がつくまで戦うため悲惨なことになりやすく、今は行われていません。そもそも女性の意思が何より大事だというのに、男たちが女性をめぐって勝手に剣で争うというのも愚かな話ですから」


 アレクシアに説明しつつ、クリストファーに対して愚かな話だと一撃を入れるのも忘れない。

 王子相手に少しも怯まないレニーの背中が、より一層たくましく見えた。


「そうやって女性の気持ちを盾にして逃げるのか?」


「逃げるも何も、私がアレクシアを奪ったわけではなく、彼女の気持ちもすでに殿下にはありません。ご自身で彼女を突き放したというのに、そのような廃れた決闘を持ち出してまで今さら彼女を取り戻そうとするなど、身勝手にも程があります」


御託ごたくはいい。私が怖いのか? 辺境伯子息の名が泣くな」


「殿下、いい加減に――」


「なかなか面白そうな話をしておいでだ」


 アレクシアの言葉を遮るように、この場にはいないはずの男性の声が響く。

 温室の大きな噴水の陰から現れたのは、肩あたりまでの銀髪を後ろで一つに結った男――ブラッドフォード侯爵。


「お父様?」


「! 侯爵……なぜここに」


 クリストファーの問いに、侯爵は何を考えているかわからない笑みを浮かべる。


「娘の帰りが遅いものですから心配になりまして、通用口から入ってきてしまいました。さて、ファーレイですか。なかなか物知りでいらっしゃる」


「口を出さないでほしい、侯爵。私はどうしてもアレクシアを取り戻したいのだ」


 その言葉に、アレクシアは皮肉な笑みを浮かべる。


「取り戻す? 縁を切ったのは殿下ご自身でしょう、馬鹿馬鹿しい。もう帰りましょうレニー。相手にする必要はありませんわ」


「まあ待てアレクシア。第一王子殿下ともあろうお方が、ご自身の命だけでなくすべてを賭けてでも君とやり直したいというのだ。美しい話ではないか」


「お父様……?」


 なぜそんなことを言うのか理解できず、眉をひそめて父を見る。


「では侯爵は賛成だと?」


「賛成とは申しませんが、止めもいたしません。娘を心から愛するだけでなく、娘を守れるだけの強さがある男性でなければ娘は任せられないと思っておりますから」


「……」


 レニーが考え込む。


「だそうだ、辺境伯子息。アレクシアの父である侯爵にこう言われたら、受けるしかないよな?」


「……ファーレイは身分差は一切考慮されません。ましてや吹っかけたのは殿下です。どのような結果になろうと受け止める覚悟はお持ちですか」


「ぐだぐだと言い訳はいい、受けろ!」


 ついにクリストファーが剣を抜き、レニーに向ける。


「これ以上の問答は無駄なようですね。お受けいたします」


「レニー!」


「心配いりません、アレクシア」


「そうではなくて……」


 アレクシアが心配しているのは、クリストファーの首が物理的に飛ぶことだ。

 王宮で並ぶ者なしと言われているクリストファーだが、魔獣をも倒すレニーよりも強いとは思えなかった。

 そして、いくら王子から決闘を申し入れたのだとしても、貴族が王族を殺せば大きな問題になる。

 レニーはアレクシアにちらりと視線をやると、その耳元に口を寄せた。


「俺は負けませんし、殿下を殺すこともありません。剣気も使いませんので安心してください」


 耳のすぐ傍で聞こえる低い囁きに、状況も忘れて頬が熱くなる。


(レニーったらこんなにいい声だったかしら……ってそんなことを考えている場合ではないわ)


 レニーとクリストファーが温室から出ていく。

 アレクシアと侯爵だけがその場に残った。


「お父様、何故ここに? そして何を考えていらっしゃいますの」


「私が考えているのは娘の幸せだけだよ」


「冗談を仰っている場合ではないでしょう。なぜ決闘を許可するようなことを。お父様が立ち会ってしまえば、もはや非公式な私闘ではなくなってしまいます」


「そうだろうね」


「……殿下は愚かではありますがここまで無謀ではなかったはずです。決闘の結果がどうなろうとわたくしを取り戻すことなどできないと少し考えればわかるというのに、ファーレイにこだわる様はどこか常軌を逸しているようにも見えます。いったい何があったのですか」


「それは私にもわからないな」


 アレクシアがため息をつく。

 こういうのらりくらりとした返事をするときは、侯爵はそれ以上言う気がないということを経験上知っていた。

 違和感を感じながらも、仕方なしに温室を出る。

 レニーとクリストファーが、広場で距離をとって向かい合っていた。

 アレクシアと侯爵が来たのを見計らって、クリストファーがレニーに剣を向ける。


「さあ、お前も抜くがいい」


「……」


「どうした。まさか抜けないのか? なら降参して許しを請え。降参した相手に斬りかかるほど私は無慈悲ではない」


 自信満々にクリストファーが言う。そこに違和感を覚えた。


(もしかしてレニーが真剣を扱えないと知っているの? でもその情報は……)


 レニーがするりと剣を抜く。


「!?」


 クリストファーが動揺した。やはりレニーについての情報を握っているのだとアレクシアは確信した。

 あいにく古い情報ではあるが。

 同時に、クリストファーへの嫌悪感がつのる。

 自分で婚約を破棄したくせに今になって未練を見せ、コソコソとレニーの弱点を調べて剣を握れないと知った上で決闘を申し込む。

 たとえレニーが欠点を克服しておらず決闘を受けられなかったとしても、そんな卑怯な男と復縁を考えるとでも思うのか。

 

「いつでもどうぞ」


 レニーの声に、アレクシアは顔を上げる。

 ゆるやかに剣を構えるレニーの横顔には、緊張も怒りも恐れもない。ただ静かだ。

 アレクシアが以前目にした、辺境伯との打ち合いで真剣を手放してしまった“ヘタレ騎士”はもうどこにもいなかった。


「後悔するなよ……!」


 もはや後に引けないクリストファーがレニーに斬りかかる。

 二度三度と剣のぶつかり合う音が響いて、そのたびにアレクシアは身をすくませた。

 やはり荒事には慣れない。

 ましてや戦っているのは、今となってはどうでもいいが一応婚約者だった男と、愛する人だ。後者が怪我をするところは見たくなかった。

 クリストファーが斬りかかり、レニーが受ける。何度かそれが続いていたが、初めてレニーが攻撃を仕掛けた。

 重い一撃をなんとか受け止めたクリストファーの体勢が崩れ、次の一撃で剣が弾き飛ばされる。

 勝敗は、あっけなく決まった。


「勝負あったようだね。実に見事だったよ、レニー卿」


 侯爵の言葉に、レニーが「恐れ入ります」と小さく頭を下げる。


「なぜ、だ……」


 痺れているらしい利き手を抑えながら、クリストファーが呆然とした様子で言う。


「なぜだ。お前は真剣を扱えないのではないのか! 辺境伯の唯一の息子でありながら後継者に指名されないほど無能なのではなかったのか! 私は……! 王宮一の使い手ではなかったのか……?」


「……勝負はつきました。ファーレイは勝者が敗者の首をねるが作法」


 レニーの剣が青白い光を帯びる。


「ひ……っ」


 クリストファーが怯えた顔で後ずさりした。

 自分が勝つと思い込んでいただけで、はなから命を懸ける覚悟などなかったのだ。


「とはいえ、アレクシアに元婚約者の首が飛ぶところを見せるわけにはいきません。真剣は殺す覚悟と殺される覚悟、その両方をもって抜くもの。それがないのなら、人に剣を向けるべきではありません」


 レニーが剣を収める。


「忠告はこれが最後です。これ以上何かを仕掛けてくるなら、次は


「くっ、どうしてだ……。なぜ……どうして……」


 クリストファーがその場に膝をつく。

 アレクシアはそれを一瞥いちべつし、レニーのもとへ駆け寄った。 


「アレクシア……本当に私たちはもう駄目なのか? 私のもとに戻ってきてくれるのなら、もう二度と余所見はしない。君が望むものはなんでも与える。愛しているんだ、アレクシア……お願いだ……」


 レニーが小さく舌打ちする。

 彼が何か言いかけたのをアレクシアが止め、体ごと振り返る。

 クリストファーの顔に一瞬、喜びの色が浮かぶ。だが。


「では殿下にお聞きしますわ。愛するわたくしが悪女と呼ばれていたとき、殿下はそれを止めようとしましたか?」


「……それは……。そのときはまだ、君を愛する気持ちに気づいていなくて……。それに、そのあとすぐに離宮で謹慎させられてしまい、ずっと出られなかったから……」


「悪女という噂をそのままにしておいたということですね。では、質問を変えますわ。殿下は離宮で愛するわたくしのことを何度も考えましたか?」


「! それはもちろん」


「どのように考えましたか?」


「愚かなことをしてしまったと……君を取り戻したいと……」


 アレクシアが笑みを浮かべる。彼女の代名詞ともいえる、氷の微笑を。

 クリストファーの背中に、冷たい汗が流れた。


「復縁のためのご機嫌取りではなく、わたくしに対して心から申し訳なかったと考えたことはありましたか? 傷つけてしまったと思ったことは? 慣れない地でどう暮らしているのか、心配したことは?」


「それは……」


「アレクシアさえ取り戻せば上手くいくのに。考えていたのはそれだけでしょう」


 言葉が出てこない。あまりにも図星すぎて。

 アレクシアが笑みを消す。


「それが殿下の愛というのなら仕方がありません。ですが、わたくしにはそのようなものは不要です。わたくしが欲するのは、レニーの愛だけ。たとえ彼が殿下に負けていたとしても、その気持ちは変わりません。それすらわからないのなら、殿下が愛しているのはわたくしでもミレーヌ嬢でもなく、ご自身だけでしょう」


 アレクシアがレニーの腕にそっと手を添え、クリストファーに背を向ける。

 遠ざかっていく銀色の髪を、クリストファーはただ呆然と見ていた。


「さて、殿下。私と王宮に参りましょうか。殿下はファーレイにすべてを賭け、そして負けたのですから、けじめをつけなくてはなりません。王宮には連絡済みですので、迎えの馬車と騎士も間もなく来るでしょう」


 そう言って、ブラッドフォード侯爵は笑みを浮かべた。



 馬車に戻ると、ブラッドフォード家の護衛騎士たちも集まってきた。

 彼らはレニーに対して尊敬の眼差を向けながら「見事な腕前でした」「素晴らしいです」と称賛を送る。

 レニーは少し困ったように微笑し、アレクシアは小さく笑いを漏らした。

 馬車に乗り込んで二人並んで座ったところで、馬車が動き出す。

 貴族庁が開く正午まではブラッドフォード邸で過ごし、レニーの着替えなども済ませて午後から婚約届を提出しに行くという流れになった。


「ところで、レニー」


「はい」


「あなたのほうが強いのは一目瞭然でしたけど、殿下の強さはどの程度でしたの?」


「悪くありません。ですが、王宮一の腕ということはないかと。殿下の剣の型も、華やかですが実戦には向かないものです。王宮騎士団にも殿下より強い方はたくさんいるでしょう」


「騎士との手合わせでは手加減されつつ、王宮一の剣の腕と褒めそやされてきたということかしら」


「殿下を気の毒に思います。あの方と真剣に向き合い正当に評価してくださった方は、いったいどれほどいたのかと。俺には、厳しいながらも俺のことを思って正しく導いてくれる父がいましたから」


 誰もが彼を、クリストファーという人間ではなく王子としてしか扱ってこなかったのだろう。

 そう考えると哀れではあるが、だからといって一連の身勝手な行動が許されるわけではない。


「やっぱりわたくしが好きになったレニーは素敵な方ですわ。殿下についてそんな風に考えるなんて、優しすぎます。ますます好きになりました」


「そのように言ってもらえてうれしいです。ですが俺にも醜い部分はたくさんあります。殿下に対しても、どこまでアレクシアを煩わせるつもりなのか、今さら愛しているなどと言ってアレクシアを俺から奪おうとするのかと、一瞬殺意が芽生えました」


「あら、ますますうれしいですわ。それもわたくしを愛するがゆえなのですから」


「本当にアレクシアには敵いませんね」


 アレクシアがレニーのたくましい腕に頭を預ける。

 彼も遠慮がちに華奢な肩を抱いた。


 その日の午後、二人は晴れて婚約届を提出した。

 

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