第32話 帰省


 ブラッドフォード邸の応接室は、異様な緊張感に包まれていた。

 といっても実際に緊張しているのは辺境伯子息レニー・ガードナーだけで、ブラッドフォード侯爵は何を考えているのかわからない微笑を浮かべ、侯爵夫人は上機嫌。アレクシアの弟アーヴィンだけは無表情だった。

 自己紹介を済ませ侯爵と夫人の言葉を待つレニーは、激しい緊張に苛まれながらも背筋は騎士らしくぴんと伸ばしている。


「よく来てくれたね、レニー卿。アレクシアもついに愛する人を見つけたのだね。歓迎するよ」


「アレクシアが幸せなら、わたくしたちはもう何も言うことはないわ」


「ありがとうございます。私のすべてをかけて、アレクシア嬢を幸せにすると……いえ、二人で幸せを築いていくとお約束します」


 その言葉に、アレクシアが幸せそうに微笑する。


「素敵な言葉ですね。幸せにすると言われるよりは二人で幸せを築くと言われるほうがうれしいですわ。さすがわたくしの未来の旦那様です」


 侯爵夫妻の笑みが深まる。

 そんな和やかな雰囲気の中、アーヴィンだけは黙り込んでいた。


「アーヴィン。その仏頂面はおやめなさい。失礼よ」


 侯爵夫人がたしなめるが、アーヴィンはふいと顔をそらす。

 レニーはそんな彼に怒るでも焦るでもなく、苦笑していた。


「本当に困った弟だこと。わたくしからもお詫びいたしますわ、レニー。アーヴィンは幼い頃からわたくしのことが大好きで、姉上と結婚するぅぅぅと」


「姉上!」


 姉の言葉を遮るように叫んだ彼の頬は、羞恥ゆえかかすかに赤く染まっていた。


「そんな理由ではありません。僕はまだ彼を認めていません」


「認めるも認めないも、私とベアトリスが認めているんだからお前の出る幕ではないだろう」


 あきれたように侯爵が言う。


「すまない、レニー卿。私の教育不足だったようだ」


「気にしておりません。それに、私はアレクシア嬢のご家族の皆様に認めていただきたいと思っております。アーヴィン卿は、私のどんなところが認められないとお思いですか?」


「あなたは次期辺境伯としての地位を確立していなかった。それが解決したことは知っていますが、何故長年後継者指名を受けていなかったのですか」


「未熟さゆえに剣気を扱うことを恐れ、剣を持てなくなってしまったからです」


 隠すでもなく、レニーが言う。


「ガードナー家の剣気酔いの話は知っています。それゆえでしょう。あなたの中には戦いによろこびを感じる残忍性が潜んでいる。そのようなさがが、姉に向かわないと言えますか」


「アーヴィン」


 アレクシアが低い声で弟の名を呼ぶ。その瞳には、静かな怒りが宿っていた。

 レニーはアレクシアの手に自分の手をそっと重ねる。「大丈夫だから」という合図。


「アーヴィン卿は姉思いなのですね。私にも妹がいるからわかります」


「! そういうわけでは」


 怒るどころか姉思いなどと言われて、アーヴィンが動揺する。

 レニーの言葉に皮肉など微塵も含まれていないからこその反応である。


「どうかご心配なさらないでください。アレクシア嬢を傷つけるようなことは決してありません。愛する人を傷つけるくらいなら、この手で自らの命を絶ちます」


「わたくしはそんなことをしてほしくありませんわ。ねえ、アーヴィン。わたくしが尊敬し、愛している方なのよ。並の男性ではないわ。今はまだ彼を信じることが難しいのなら、わたくしを信じなさい」


 アレクシアがレニーを見る。

 彼もまた見つめ返す。その瞳は、どこまでも優しかった。


「見ただろう、アーヴィン。愛し合う二人の間には、お前が口を挟む隙間などないのだ。このアレクシアが愛した男性だぞ。余計な心配はするな」


「愛の力は偉大なのよ、ねぇあなた」


「もちろんだともベアトリス」


 応接室がなんとも言えない空気に包まれる。

 アーヴィンはやや気の抜けた顔をしていた。


「……わかりました。ひとまず引き下がります」


 挑発ともとれる言葉に、怒るどころか姉思いとまで返されてはアーヴィンはそれ以上は何も言えない。

 レニーもおそらくそれをわかって言ったのだろうとアレクシアは思った。

 彼は真っ直ぐで不器用ではあるが、決して愚かではない。そして、易々と挑発にのる男でもない。

 それを感じ取ったからこそ、アーヴィンも引き下がったのだろう。


「レニーは素敵でしょう? アーヴィン。カッコイイお義兄様ができてうれしいですと正直に言ってもいいのよ」


「何を……」


「アーヴィンは昔から素直じゃないからなぁ」


「そうですわねあなた、おほほほ」


「ふふ、かわいい弟ね」


「……」


 アーヴィンを除いたブラッドフォード家の人々が和やかに笑う。

 レニーは少し困ったような顔で微笑を浮かべていた。


 その夜は、アレクシアとレニー、侯爵夫妻と態度が多少軟化したアーヴィンとで夕食をとった。

 久しぶりの慣れ親しんだ味に珍しく食べ過ぎてしまい、旅の疲れもあって早めに部屋に入った。

 さすがにレニーと同室ということはなく、彼は来客用の部屋で休んでいる。

 ノックの音が響き、返事をするとブラッドフォード侯爵が部屋へと入ってきた。


「お父様? わたくしの部屋にいらっしゃるなんて珍しいですわね」


「少し用事があってね」


 父が差し出したのは、一封の封筒。

 その封蝋は第一王子クリストファーの印章。


「今日の午後に殿下の侍従が直接持ってきた」


「今日の午後……」


 おそらく、アレクシアたちがブラッドフォード邸に到着したあと。

 ガードナー家の家紋付きの馬車が門をくぐるのを待ち構えていたのかとぞっとした。


「……クリストファー殿下が、今さら何の用なのでしょう」


「なんだろうね。何日我が家の周辺を見張っていたのか知らないが、ご苦労なことだ」


 さすがに王子の手紙を無視するわけにはいかず、仕方なしに封筒を開けて手紙を読む。


『アレクシア、君が婚約したと聞いた。最後に君に直接謝罪したい。私が前に進むためにも、どうか謝罪だけでもさせてくれないか。一度だけ会ってくれたら、もうしつこくしないと誓う。私たちが初めてデートした貴族街の薔薇園のあの温室で、明日早朝から待っている。明日君が来なければ、明後日も、明々後日も。君が来てくれるまでずっと』


 読むほどにアレクシアの眉間にしわが寄る。

 特に最後はあまりの気味悪さに呪いの手紙かと言いたくなった。 


(何を考えているかわからないわ。待っているというのなら永遠に待っていればいいのよ)


 とはいえ、なんとも言えないもやもやが胸に残る。


「会いたいと書いてあるのかい?」


「……ええ」


「君の思うとおりにしたらいい。無視したところでそれを咎めるような人間はいないだろう。会ってすっきりと決着をつけてくるつもりなら、騎士をつけよう。一人で行かせるわけにはいかないからね」


「……」


 アレクシアは、しばし無言で考え込んだ。

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