第15話 小さなレディ
日差しの眩しい午後。
アレクシアがメリンダを伴って庭園をゆったりと散歩していると、ベンチに腰掛けているフィオナを発見した。
何をするでもなく庭の花を見つめるその横顔は、どこか沈んでいるように見える。
「フィオナ嬢?」
「! あ、アレクシアさま」
ベンチからぴょんと降りて、アレクシアのほうに向かって走り出そうとする。だがレディの行動としてふさわしくないと思ったのか、ゆっくりとした歩みでアレクシアに近づいた。
「ごきげんよう、フィオナ嬢。休憩をしていらしたのですか?」
「はい。アレクシアさまは?」
「わたくしは午後のお散歩です。一緒にいかがですか?」
フィオナの頬がぱあっと赤くなって、緑色の目を輝かせる。
その様を見て、アレクシアはその柔らかそうな頬をそっとつついてみたくなった。だが、まだ親しいと言えるほどではない間柄で子供相手とはいえ失礼なので、ぐっとこらえる。
「わたしもアレクシアさまとお散歩したいです! でも……」
フィオナが視線を落とす。
「これから、家庭教師の先生がいらっしゃるので……」
「まあ、そうでしたか」
「あの、またこんどさそってくださいますか?」
「ええ、もちろんですわ」
微笑を向けると、フィオナがまた頬を染めた。
とそこで、侍女がフィオナに近づいてくる。
「お嬢様、こちらにいらしたのですね。そろそろ家庭教師の先生がお見えになるお時間です」
「うん」
フィオナの表情がわずかに曇る。だが、それはほんの一瞬。
彼女は笑顔をつくってアレクシアにぺこりと頭を下げると、城の中に戻っていった。
小さな背中を見送ってから、アレクシアは後ろに控えるメリンダを振り返る。
「メリンダ」
「はい」
「フィオナ嬢の家庭教師というのはどういう方?」
「マール夫人と呼ばれている方で、前サンロード子爵の奥様でいらっしゃいます」
「前サンロード子爵は亡くなって、ご子息が子爵位を継いだのだったわね。前子爵とは年齢差のあるご夫婦だったと記憶しているわ。マール夫人は……出身は伯爵家だったはず」
「そうなのですね」
「いつからフィオナ嬢の家庭教師を?」
「今年からです。週に一度いらしています」
「授業は厳しいの? どんな方なのかしら」
「どう……なのでしょう。フィオナお嬢様と二人きりで授業をされているようなので……。私はフィオナお嬢様と接することが少なく、詳しくは存じません。申し訳ありません」
「いいのよ。ありがとう」
散歩を続けながらも、アレクシアの頭の中には何かすっきりとしないものがあった。
その日の夕食の席では、辺境伯は不在だった。
一週間ほど砦に滞在するのだという。彼が城をあけるのはよくあることらしい。
フィオナはというと、いつも通り愛らしい笑みを見せて元気な様子だった。
だが、どことなく無理をしているような気がしないでもない。
(……調べてみる必要がありそうね)
翌日。
前日と同じく散歩に出たアレクシアは、庭園を歩くフィオナを発見した。
だが、その歩き方はよろよろとして頼りない。アレクシアが声をかけようとした矢先、フィオナは転んでしまった。
「! フィオナ嬢!」
アレクシアが駆け寄ってしゃがみ込むと、涙目で見上げてきた。
「あ……アレクシアさま。みっともないところを見せてごめんなさい」
「何を言うのです。みっともなくなんてありません」
大丈夫ですか? とは聞かない。膝をすりむいて出血している。
地面に転がっているのは、フィオナの小さな靴。子供が履くにしては、ヒールが高くて細い。
「侍女はどこですか?」
「一人で散歩したいと言ったので……」
「メリンダ。フィオナ嬢の侍女を呼んできてちょうだい。フィオナ嬢の靴を持ってくるよう伝えて」
「承知いたしました」
「フィオナ嬢、わたくしの首に手をまわしてください」
「え? でも……」
アレクシアが頭を差し出すようにさらに近づくと、フィオナは細い首におずおずと両手をまわした。
それを確認してから、アレクシアがフィオナを抱き上げる。
「人目はありませんから、少し足を開いて私の腰を挟むようにしてください。そう、お上手ですよ」
横抱きにするには腕力がいる。
細身のフィオナではあるが六歳ともなれば体重もそこそこあり、落としてしまう可能性がないわけではないので、一番安定するいわゆる抱っこの状態で運ぶことにした。
最初は戸惑っていたフィオナも、安心したようにアレクシアの肩に頭を預ける。
なんともいえない愛おしさが、アレクシアの中を満たした。
そのままアレクシアはフィオナをベンチまで運び、座らせる。
「少し待っていてくださいね」
アレクシアは庭園にある水汲みポンプで桶に水を満たし、それを持ってベンチに戻る。
「傷が悪化しないよう、傷を洗い流さなければなりません。少し染みるかと思いますが……」
「はい」
フィオナの傷口に水をかけ、土を洗い流していく。
だいたい洗い流し終わったところで、ハンカチで傷口をそっと押さえる。
「ありがとうございます、アレクシアさま」
「どういたしまして。フィオナ嬢は細いヒールの靴を履いて歩く練習をしていたのですか?」
「はい。その……はやくすてきなレディになりたくて……」
「……マール夫人に、そうするよう言われたのですか」
「! そ、それは……。でも、わたしもアレクシアさまのようなレディになりたかったので、その……」
うつむいて言いよどむフィオナの髪を、そっと撫でた。
「経緯はこれ以上聞きませんわ。ですが、子供の足にあのような靴はいけません。もっと大きくなってからになさってください」
「ですが、舞踏会などではもっと高いヒールの靴をはいておどるって聞きました。いまから練習しないと、じょうずになれないって……」
マール夫人が言ったのね、という言葉は飲み込んだ。
これ以上そこに言及すれば、フィオナを困らせることになる。
「たしかに、舞踏会ではそうですね。ですが、フィオナ嬢はデビューまでまだ十年以上あるのですから。それに、わたくしが六歳だった頃、どんな子供だったかわかりますか?」
「?」
アレクシアが微笑する。
「かくれんぼとかけっこが得意な子供でした。弟といつも庭を駆け回り、泥だらけになる日もありました。年齢が近かったので弟とは喧嘩もよくしましたよ。いつも私が弟を泣かせて、両親にたしなめられていました」
「そ、そうなのですか」
「ええ。とてもお転婆な子供でしたわ。わたくしが六歳の頃に受けていた教育といえば、簡単な字の読み書きとピアノくらいでしたね。ピアノは好きでしたから」
「……」
「わたくしと同じようにしろとは申しません。ですが、ヒールが高く細い靴だけはやめてください。それでマール夫人に何か言われたら、わたくしが強く反対したと伝えてください」
「はい……その……」
もじもじとするフィオナ。
彼女にとって家庭教師の方針に逆らうということは、簡単なことではないのだろう。
だが、こんな靴を子供に履かせ続けるわけにはいかない。成長期の足には悪影響が出る。
「フィオナ嬢はマール夫人とわたくし、どちらのようになりたいですか?」
自信満々にアレクシアが微笑する。
咲き誇る薔薇のごときその笑みは、子供ですら見とれずにはいられないほど美しかった。
「アレクシアさまのように、なりたいです……!」
「ふふ、ありがとう。ではまず、美は健康から。これだけは憶えておいてくださいね」
「はい!」
話が終わった頃、ようやくフィオナの靴を持った侍女が到着する。
一緒に戻ってきたメリンダは、薬や包帯の入った箱を持っていた。指示を出さずとも持ってきたその手際に、アレクシアは満足する。
「フィオナ嬢の侍女。あなたの名前は」
「は、はい。サリーと申します」
「サリー。屋外では主人と離れないほうがいいわ。一人になりたいと言われたのなら、少し離れながらも何かあったらすぐに対応できる距離に控えているようにしてね」
「はい……申し訳ありません」
深々と頭を下げるサリーに、アレクシアは小さくうなずいた。
アレクシアはまだヴァンフィールドの女主人ではなく、サリーもアレクシアの侍女ではないため、軽くたしなめるにとどまった。
「靴擦れもしてしまっていますね。メリンダ、薬箱を」
「はい」
「何も言わなくても薬箱を持ってきてくれたのね。ありがとう、メリンダ」
「! は、はい!」
褒められて、メリンダがうれしそうに頬を染める。
最初こそ間違いを犯したメリンダだったが、もともとは素直で気が利く人間である。
自分の部下や侍女がこうして成長していくのを見るのが、アレクシアは好きだった。
アレクシアはフィオナの膝とかかとに薬を塗り、手早く包帯を巻いていく。
「アレクシアさまはなんでもできるのですね。レディがこんなことをできるなんて」
「何事も経験ですわ。でも、焦る必要はありません。知識も技術も、少しずつ身に着けていけば良いのです」
「はい」
手当をするアレクシアを、フィオナは憧れと尊敬の表情を浮かべて見つめていた。
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