15 アカネ
「……アカネさん、ですか。僕は彼女の……知り合いです。すみませんが、速やかに彼女から離れていただけませんか」
『なんでそういうこと言うのぉ?』
ニヤけるように、嘲るように、怒りを込めて。アカネさんの声が低くなる。
「アカネさん、落ち着いて。セイは男の人だけど、良い人だから。あなたに手を出したりしないから」
『男だけど、良い人? 手を出したりしない? ねぇ? そんなの世の中にいると思う?』
アカネさんは男の人が苦手、というか嫌いなんだ。だから、遭わないように道を変えようと思ったのに。
『男なんてみんなクズ。女をモノだと思ってる。何してもいいと思ってる。ねぇ、あたし、何か間違ったこと言ってる?』
「落ち着いて、アカネさん。セイはアカネさんに何もしないから」
『そんなの、どこにも証拠はないよね? ねぇ! そこのクズ!』
「?!」
アカネさんの体が急激に膨らみ、口が裂け、私は膨らんだアカネさんに飲み込まれかける。
「ナツキさん動かないで! 今──」
「クソッ!」
私は思い切り体をひねり、膨らんで肉の塊のようになったアカネさんの体に回し蹴りを食らわせ、強引にそこから抜け出す。
「セイごめん! 聞いてなかった! なんだって?!」
買い物袋を放り投げ、臨戦態勢を取る。
ああ、セイを──男性を見て、それがトリガーになって、アカネさんは悪霊になってしまった。
「いえ、あの、強いですね……」
「伊達に経験積んでないからね! で、セイ! 聞きたいことがあるんだけど!」
男がいる、クズがいる、穢れた生き物がいる、いや、やめて、男なんて、近づかないで。
そう呟きながらどんどん大きくなって奇形になっていくアカネさんを見ながら、セイに問いかける。
「この状態のアカネさん! 成仏させられる?!」
「っ……出来ると、思います」
「お願いしていい?! 料金とかは後で払うから!」
「……いえ、要りません」
セイが凪いだ声で言う。そっちを見れば、セイは無表情で、右手を伸ばし、その人差し指を、アカネさんに向けていて。
「……少し、苦しいでしょうけど、すぐ楽になるはずです」
その人差し指で円を描いた。するとその円は大きくなって、それを元に光る細かい模様だのが描かれた円──俗に言う魔法陣みたいのが出来上がって、それがコピペされるみたいに何個も出来て、アカネさんの周りを覆う。
『ああ! やだ! やだぁ! 助けて! 嫌ぁ!』
「せ、セイ?! これ、大丈夫なの?!」
「この声は、アカネさんの混濁した記憶からの声です。魔法陣は、アカネさんを傷つけない」
『あああああああああ!!!』
アカネさんの叫び声とともに、魔法陣がひときわ強く光る。
『ああ、あ……あぁ……』
光が収まると、そこには肉塊ではなく、地べたにうずくまるアカネさんがいた。
「アカネさん!」
彼女に駆け寄ろうとしたら、
「動かないで。彼女に触れないでください。これ、少し繊細な作業なんです」
セイに冷静に、それでいていつもより強めの口調で言われた。
「っ……アカネさん、ここから、どうなるの」
「……彼女が過去を見つめて、そこから解き放たれたいと思えれば、彼女の魂は縛りから解かれるはずです」
過去を、見つめる。
彼女にそれをさせるのは、酷な話だ。
「……どれくらい近付いていい?」
「……。半径一メートルくらいなら、たぶん、あれだけの力を発揮したナツキさんなら、大丈夫だと思います」
「分かった」
言われた分だけ近付いて、地面に膝をついて、できるだけ頭を下げて、アカネさんの顔を覗き込む。
「アカネさん。私が分かりますか?」
『……ナ、ツキ、ちゃん……?』
「はい。ナツキです。もう、あなたを傷つける人はいません。酷いことをする人はいません。安心して下さい」
アカネさんは、少しだけ顔を上げた。その頬には、涙が伝っている。
『ホントに? もう、されない……? 私に、無理やり、あんな、あたし、いや……!』
「言わなくて大丈夫。大丈夫だから。もう、安心できる場所に行けるから」
『……あんしん……?』
「うん」
『……行け、る、かな……』
「行ける。大丈夫」
『怖い、ところじゃ、ない……?』
「うん。怖くない」
『ナツキ、ちゃん……うぇ、うぁぁああん……!』
アカネさんが、泣きながら光り輝いていく。そして光の粒になって、消えた。
「……これで、完了?」
セイへと振り向けば、
「はい。彼女は地獄行きにならずに済んだと思います」
セイは悲しげな笑みを浮かべながら、そう言った。
*
「いやあ、ぶん投げた食材が傷んでなくて良かった良かった。セイに卵持ってもらってて良かったよ」
「あの、本当に大丈夫ですか……? その、食欲とか……」
家に帰って荷物を片付けていると、セイが躊躇いがちに聞いてくる。
「大丈夫だよ。悪霊は見慣れてるし、今回は成仏するところも見れたし。逆に安心してる」
私は、セイに顔を向けた。
「アカネさんが人を襲わなくて良かった。あの場にセイが居てくれて良かった。セイには感謝してる」
微笑んでみるけど、
「……そうですか」
セイはまだ私を気遣うような表情を向けてくる。
「ほら! 気を取り直して! 夜ご飯作るよ! あ、それともセイの方が無理そう?」
「いえ、僕も場馴れしてますから。大丈夫です」
首を緩く振られるけど、どこか、苦しそうで。
「……セイ」
「はい。……?」
彼の前に立って、
「嫌だったら言ってね。引っ込めるから」
「え?」
その左の頬に手を添えた。セイの動きが止まる。けど、そのまま続ける。
「アカネさんを、気遣ってくれてる?」
言えば、彼はガラス玉のような水色の目を見開いたあと、少しして、その奥に暗い色を滲ませた。
「……少し、ですが……。彼女の言葉や、発せられていた気配から、憎しみと悲しみと、記憶の断片が読み取れてしまって。けど、こういうことはいつものことなので、大丈夫です」
「……そっか。セイは優しいね」
「…………そう、ですかね」
何かを押し込むような感情。それが、水色の瞳から見えた。
どうすれば、彼のその顔を、笑顔にできるかな。
『ンにぃ!』『ナァ』『ニァオ』
「ん?」
足元に、ふわふわした感触。
「あ、ごめんごめん。君たちのことを忘れてたわけじゃないんだよ」
ミケとクロとシロを抱き上げ、「ほら、またセイが来てくれたんだよー」と三匹に顔を見せるようにセイに向き直れば。
「……セイ?」
セイは右手で目元を覆って、俯き加減に私から顔を逸らしてた。
「え、ごめん。ほっぺ触るの、やっぱ嫌だった?」
「いえ、そうではなくて。その、今、様々な感情が、押し寄せてきてて……その、少し、時間をください」
セイはそう言うと、廊下に出ていってしまった。
大丈夫だろうか。
『ナォァ』『ニゥ』『ニイィ』
私の腕の中から抜け出そうとする気配のない三匹に顔を向け。
「……えーっと。ブラッシングでもして待ってよっか」
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