都合の良い幻覚?

 カルメの目が覚めた時、視界に入ったのは見慣れた天井だった。

『やっぱ体調不良には、寝るのが正解だな』

 昨夜に比べると、頭や喉の痛みは大分ましになっていて、鼻詰まりもほとんど治っていた。

 全身に纏わりついている汗がウザったく不快感があるが、それでも体調はだいぶ回復している。

 昨日までの弱っていた自分を思い出して、カルメは苦笑した。

『死ぬとか、そんなわけないだろ』

 弱気だった自分を嘲笑ってカルメがベッドから起き上がろうとした時、自分の手が何かにギュッと握られているらしいことに気が付いた。

 カルメの手を握るのは、自分以外の誰かの手だ。

 恐る恐る、自分と手を繋ぐ人物を確かめる。

 そこにいたのは、カルメのベッドに顔を突っ伏して眠るログだった。

「ログ? なんでここに?」

 今まで口に出すことができなかったログの名前が、ごく自然に零れ落ちた。

 そっと青い髪に触れてみる。

 サラサラとしていて、悪くない触り心地がした。

 次は、ふにふにと柔らかい頬を優しく摘まんでみる。

「温かい……本物?」

 ログが側にいてくれていることが信じられなくて、夢でも見ているような気持ちになった。

『それとも、本当に私は天に召されてしまったのか? あの世で都合のいい幻覚でも見ているのか?』

 ふと、以前ログが頬を抓ってくれと頼んできたのを思い出した。

 頬を抓られる痛みで自身が現実にいるのかを確かめるという手法であり、カルメは、それによって目の前の光景が現実であるのかを確かめようとした。

 しかし、

『でも、ログは自分で抓っても知らずに加減してしまって、痛くならないから分からない、って言ってたな』

 と、思いなおし、自分の頬を抓るのは止めにした。

 代わりに、

「おい、ログ。起きろ」

 と、ログの肩を揺さぶって起こした。

 ログは瞳をとろんとさせて、眠そうにまぶたを擦っている。

「どうしたんですか? 抱っこはしませんよ」

 口をムニャムニャとさせながら言う言葉に、カルメは少し顔を赤くして狼狽えた。

「抱っこ? な、何の話をしているんだ、お前は。いいから、私の頬を抓れ」

「え、なんで? まだ熱があるんですか?」

 ログは上手く呂律の回りきらない様子で、トロンとカルメを覗き込んだ。

 無防備に自分を見つめる少し幼い姿に、愛おしさがこみあげる。

 カルメの頬が完全に赤く染まった。

「その目で私を見るな。いいから、私の頬を抓れ」

「ええ……なんで?」

 文句を言いながら、ログはカルメの頬をそっと摘まむ。

 ムニムニと頬を触られる感覚はくすぐったく、つい、にやけてしまった。

「おい、全然痛くないぞ」

 少し笑みがこぼれそうになるのを、眉間に皺を寄せることで誤魔化す。

 だが、いまだに寝ぼけたままのログは、

「そりゃ、カルメさんに痛い事なんて出来ませんし……それより、顔が真っ赤ですよ。やっぱり、まだ熱があるんじゃ」

 と、ふにゃふにゃとした口調で言いながらカルメの顔を覗き込み、額に手を添えた。

 ログの手は温かくて優しく、カルメの体温はどうしようもなく上がって心臓が飛びはねた。

 それはもう、痛いほどに。

「も、もういい。現実だってわかったから、もういい」

 カルメは胸を押さえ、ログの手のひらを自分の額から離させるとそっぽを向いた。

「現実? まあ、大丈夫ならいいんですが。体の具合はどうですか?」

 ログに言われ、カルメは改めて自分の体に意識を集中させた。

 汗をかいていて多少の不快感がある。

 ぼんやりと頭は痛いし、喉も痛む。

 また、多少だるい感じもするが、それでもカルメは確実に回復していた。

 きっとあと一日休めば、すっかり風邪は治るだろう。

「お腹空いた」

 感じる食欲を素直に口にすれば、ログは嬉しそうに笑った。

「おお、食欲が出たんですね。よかった。スープなら食べられますか?」

「食べられる」

 その言葉を聞いて、ログは嬉しそうに微笑んだ。

「じゃあ、これから作ります。台所を借りますね、少し待っていてください」

「わかった」

 カルメが素直に頷いたのを見ると、ログは立ち上がって台所へ向かおうとした。

 しかし、二人の手は繋がれたままになっている。

 ログが少しだけカルメの手を引くが、彼女は決して手を放そうとしない。

「放してくれないと、スープ、作れませんよ」

 苦笑いを浮かべて、繋がれた手を軽く振る。

「わかった。じゃあ、ついて行く」

 カルメはログの手を離すと、よろつきながらログの後をついて行った。

「寝ていてほしいんですが」

 カルメの体調を心配しての言葉だが、彼女はゆるゆると首を横に振って拒否した。

「ついてっちゃだめなら、ご飯、食べないからな」

 堂々と、子供のようなことを言って胸を張る。

「ええ……分かりましたよ」

 ログは苦笑いすると、カルメの手を取って台所まで連れて行き、そこにあった背もたれ付きの椅子に座らせた。

「寒くないですか? 何か羽織るものでも持ってきますよ」

「じゃあ、それがいい」

 カルメが指差したのは、ログの白衣だ。

「え? 俺の白衣? 昨日から着ているので、汚いですよ」

 我武者羅に走ってカルメのもとへ訪れたせいで、白衣は泥で汚れ、茶色いしみがついている。

 とても清潔には見えない。

 ログは再び苦笑いをした。

「いい。それがいい」

 カルメがグイグイと白衣の裾を引っ張るので、仕方なくログは白衣を脱いでカルメに渡した。

 それを嬉しそうにカルメが羽織ると、ログはおかしそうに笑った。

「カルメさん、昨日から、なんだか甘えん坊ですね」

「うるさい」

 体調不良のせいで自分が必要以上にログに甘えている自覚はあったが、いざ指摘されると恥ずかしく、カルメはそっぽを向いた。

 そして、同時にログの言葉に違和感を覚えた。

「昨日?」

 カルメには、酷い風邪と寂しさ、悲しさに苛まれた辛い記憶しか残っていない。

 ログの言う「昨日」がいつの事なのか、カルメには見当がつかなかった。

 ある程度体調の回復した今も体はだるく、頭には靄がかかったような感覚がしている。

 そのせいで、どんなに記憶を掘り起こそうとしても、「昨日」を思い出すことはできなかった。

 そんなボヤっとした状態だから、今ログが目の前にいる状態をなんとなく受け入れて、甘えることができている、ともいえるのだが。

「覚えてないんですか? 俺、結構大変だったんですけど」

 そう言われても、思い出せないものは思い出せない。

 しかし、それでも記憶を探るうちに、確かにログが家に居たらしいことは思い出せたようで、

「ちょっとだけ、でも、ほとんど思い出せない」

 と、頭を押さえながら呻いた。

「ログはいつからここに居てくれたんだ? 私、何か変なことをしたか?」

 カルメが質問すると、ログは何とも言えない複雑そうな顔をした。

 その表情に不安が沸き起こる。

「変なことと言いますか、なんと言いますか……聞きたいですか?」

「ああ。記憶がないのは怖いしな」

 カルメが頷くと、ログはスープを作りながら昨日の話を始めた。

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