第一章 狂い始める物語(1)
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俺の名はアルフレッド・ディーグ。
元々は王国騎士団副団長を務めていたんだが、昔の話だ。
とっくに引退して、今はギルバート侯爵家の執事なんてのをやっている。
もう随分と長くやってるが……つくづく思うぜ。――執事なんてやめときゃあ良かった、てな。
俺は嫌いなんだ……貴族って連中が。根本的に向いてねぇんだよ、俺には。
じゃあなんで執事なんてやってんだって話だが、まあ恩義だな。
当時俺は戦場で大きな判断ミスをし、多くの仲間を俺の指示で殺してしまった。
今でも夢に見るぜ……死んでいった仲間たちの姿。
あの状況なら仕方ない、お前のミスじゃないと団長は言ってくれたが、俺が自分自身を許せなかった。だから騎士を辞めたんだ。
指南役をやれとも言われたが、どの面下げてやれってんだ。仲間を死なせるような無能に務まるはずねぇだろ。
指南役も断った俺は当然路頭に迷ったんだが、ギルバート家の先代が拾ってくれた。
物好きな人だった。平民出身で言葉遣いすらままならない俺に、一から執事としての振る舞い方を教えてくれた。
当時から貴族嫌いだった俺だが、あの人のおかげで価値観がほんの少し変わったんだ。
だが、やはりあの人が変わり者だっただけだ。当代からは平民というだけで同じ人間ではないかのように見下すクソな貴族になりさがった。……いや、貴族ってのはこれが普通なんだ。
むしろ見下すだけで、なんの悪事にも手を染めていないギルバート家はマシな方さ。
まあ、この仕事は俺に向いてねぇがコツは覚えた。心と体を完全に切り離すことだ。ただ淡々と仕事をこなす。
それだけでいい。もう随分とそうやって過ごしてきた、今日だって変わりゃしねぇ。
変わりゃしねぇ……はずだった。
「俺にィィィィィィィッ!!」
突然、俺の前で苦しむように叫びだしたコイツの名は、ルーク・ウィザリア・ギルバート。ギルバート家の嫡男だ。
メイドたちがよく話しているんだが、コイツはやればなんでも涼しい顔でできてしまうらしい。実際、このガキは異常に要領がいい。
だが、俺は好きになれねぇ。コイツの目が気に入らねぇんだ。全てを見下したその目が。
なんだが……この日は少し違った。
何かに必死に抗い、もがき苦しんでいるようだった。明らかに異常だ。
どんなに嫌いな貴族だろうと、俺は受けた恩義は忘れねぇ。
それ以前に、こんな一目でわかる異常事態を放置することなんてできるわけねぇだろ。
だから俺は聞き返した。
「どうなさいましたかルーク様! はっ! やはり体調が――」
「違ァァァァう!!!」
……どうやら体調不良じゃないらしい。
じゃあなんだってんだ。執事になる為にたいていのことは学んだが、それでも今のコイツの状態がさっぱりわからねぇ。……というか、突然なんなんだ。
一度も面と向かって話されたことなんてねぇ。同じ人間として認知してない。
俺の貴族に対する嫌悪を凝縮したようなガキだった。
だが、今はどうだ。
相変わらず目の奥では見下してやがる。それでも……しっかりと目を見て、何かを必死に訴えようとしている。
その一点だけは僅かに好感がもてるな。まあ、今までが悪すぎたがゆえの評価だが。
「俺にィィ……剣をォ……教え、ろ……」
……コイツは今なんて言ったんだ?
剣を教えろだと? 剣を教えろって言ったのか?
……冗談だろ。剣術ってのは、騎士の家系でもない限り貴族は毛嫌いしている。
それはあまりに当たり前な話で、ギルバート家だって例外じゃねぇ。なのに……剣術を魔法が使えない無能の遊戯くらいにしか思ってねぇはずのコイツが、今俺に剣術を教えろって言ったのか?
「……はい? 今なんと?」
それはほとんど反射的に出た言葉だった。
あまりに現実味のない言葉を脳が理解することを拒みやがったんだ。すると、ほんの一瞬だがこのガキがこの世の終わりかのような顔をした気がした。……見間違いだよな?
「俺にィィィィィ……剣をォォォ……」
「いや、失礼。老体ゆえ、己の耳を疑ってしまいました」
「ハァ……ハァ……そうか」
どうやら俺の耳はまだイカれてなかったらしい。
それはそうと本当になんなんだコイツ。なんでいちいちそんな苦しそうに叫びだすんだ? 挙げ句の果てに肩で息してやがる……だが、まぁいい。
俺は少しだけ考える。おそらく、コイツは剣術をナメてる。一朝一夕で身につくもんじゃねぇんだよ、剣術ってのは。
魔法のように机に座って優雅にお勉強とはいかねぇ。何度も泥に塗れながら身体で学ぶもんだ。そんなことをコイツの両親が許すはずもねぇ。野蛮やらなんやら言われて、とばっちりを食うのは俺だ。
まぁ、コイツも本気じゃねぇだろ。貴族の思いつき、ほんの戯れ。ちょっとでもめんどくさいと感じりゃあ飽きてやめるだろう。――そう、俺は結論付けた。
「かしこまりました。私で良ければその役目、務めさせていただきます」
「…………」
――この時の俺は、本当にこの程度にしか思っていなかったんだ。
翌朝、コイツは約束通り現れた。
内心ガッカリしているのは言うまでもない。
来なけりゃ教えずに済んだ。だが来たとなりゃ教えなきゃならん。
――めんどくせぇ。
一応、昨日の段階で旦那には話を通している。めちゃくちゃ嫌な顔をされたが、なんだかんだ許可された。
俺はガキに剣を渡す。当然、レプリカだ。怪我でもされたらたまったもんじゃねぇ。
「では、まず『型』を見せます。私の後に続いて同じように剣を振ってみてください」
剣を志す者でも型を嫌う者は多い。その理由は至極単純、つまらないからだ。
もし俺が本当に弟子をとって剣を教えるとなりゃあ、まずは実戦的な技術を最初に教える。剣に興味を持ってもらい、それから型だ。
どの道、全ての基礎が詰まったこの『型』ってやつを避けて通ることはできねぇからな。
だが、どうでもいい。
俺の目的はさっさとこのガキに剣はつまらないものだって理解してもらうことなんだから。
「よ、よよよ、よォォォォォ……ハァ……ハァ……さっさとしろ」
……昨日からなんなんだよコイツの情緒不安定具合は。ったく、さっさとしろだァ? 仮にも教えを乞う立場だろうが。
俺が弟子をとるならまずその根性を……いや、考えるだけ無駄だ。――さっさと終わらせよう。
「ではいきます」
――数回。
ほんの数回、その剣捌きを見ただけでその異様さに嫌でも気付かされる。
剣を振る、と言ってもそう単純じゃねぇ。
足さばき、重心の移動、力の伝え方、タイミング、呼吸……それら全て会得して初めてまともに剣を振ることができるんだ。
だから素人に剣を振らせてもデタラメな動きになっちまう。
それをコイツは……コイツはたった一回俺の動きを見ただけでやりやがった。
いや、まぐれかもしれない。
……確信に近いその直感を俺は何とか否定した。
それからしばらく型を続けてみた。
そして、もはやそれは否定しようがないものとなる。
――怪物。
そんな言葉が脳裏に浮かんだ。
「……ルーク様。失礼ですが、どこかで剣のご経験が?」
あるわけがない……答えは既に出ている。俺は四六時中コイツと一緒にいるんだ。
それでも聞いてしまったのは、この理解できない存在をどうにか理解しようとした結果だ。
「……あると思うのか?」
心底見下した目でそう問いかえされた。
しかし、もはやそんなことはどうでもいい。些細なことすぎる。
「……続けます」
「…………」
ザワつく心をなんとか鎮め、俺はさらに型を続けた。
……どうやら人間ってなぁ、理解できないものを見たときに抱く感情は『恐怖』らしい。
結局一度も勝つことができなかった“団長”にすら抱かなかった感情を、俺は剣を握って数分のガキに抱いている。
剣を振る度に動きが洗練されていく。暴力的な成長速度。
このガキは知る由もねぇだろうが、スタート地点がそもそも並の剣士が必死に努力してようやく到達できる地点なんだ。……ありえねぇ。……ありえねぇよ。
そして、数分で終わるはずだった稽古が一時間を迎えた頃、俺はその一振りを目の当たりにした。
あれ、今の一振り――俺より良くね?
俺の剣が錆び付いているわけじゃねぇ。コイツの執事であると共に護衛も兼ねてる俺は、この歳になるまで剣を握らなかった日々なんざ数える程しかねぇんだ。
そのとき、ぼんやりとメイド達の会話を思い出した。
ルーク様は凄い。なんでもたちどころにできてしまう。きっと天才なんだ。
口々にそう話していた。……いや、違ぇな。
コイツはそんな陳腐な言葉で片付けちゃ絶対にいけねぇ。
怪物、化け物、逸脱者。そういった言葉が相応しい。
「ルーク様、今日はこのくらいに」
「……なんだと? もう終わりか?」
「はい、ルーク様は今日初めて剣を握られました。急いでも良いことはございません」
「そうか。そういうものか」
俺はルーク様を部屋に送り届けてから、旦那様のもとへと向かった。
自然と足が速くなり、思わず笑みが零れる。
「二、三年だ……ほんの二、三年で俺を超えるぜありゃあ……」
今の俺は随分と気味の悪い笑みを浮かべていることだろう。
だがなぁ、これが笑わずにいられるか?
曲がりなりにも俺は元王国騎士団副団長。この国において、剣の腕に関しちゃ№2の地位にいた男だぜ?
何にもなかった俺は物心付いた頃から剣を振っていたんだ。その俺をよぉ……一振りとはいえ剣を握って高々一時間のガキが超えるだぁ?
「……タッハ! ヤベェじゃねぇの」
羨望、嫉妬。そんな感情を抱くことすらできない隔絶された圧倒的才能。
間違いない。アイツは剣を振る為に生まれてきた存在だ。
「見てみてぇなァ……」
アイツがどこまで上り詰めるのか見てみてぇ。
俺は抗いがたい強烈な感情に支配されていた。――いや、魅了されちまったんだ。
悪魔の理不尽を体現したかの如き才能に。
俺は勢いそのままに扉をノックした。
「旦那様、少しお話が」
「入れ」
さて、どうやって切り出そうか。
まあいい、地べたに這いつくばってでも懇願するつもりだ。
――ルーク様に剣を教えさせて欲しいと。
§
アルフレッドさんから剣術を習い始めてから約一年が経過した。
本当は魔法の勉強も始めたかったが、一気に色んなことを始めても全てが中途半端になってしまうのがオチだ。一段落するまでは剣術に集中する方がいいだろう。
……なんてのは建前。――剣術、クッソ面白い!!
何がどうとか、上手く言えないんだけどとりあえずめちゃくちゃ面白い。
いい汗かけるし、剣術を始めてからというもの夜の寝付きがすこぶる良い。
それにやればやるほど上達する感覚がある。その感覚が本当にやみつきになるんだ。
だが、模擬戦ではアルフレッドさんに一度も勝てていない。
その度に俺は耐え難い強烈な屈辱感に襲われるんだ。
たかが執事に負けた、その事実がどうしようもなく腹立たしい。
悔しさと苛立ちのあまり、アルフレッドさんや自分自身に対して
……しかし、その一方でこれら全てを楽しんでいる自分がいるのだから、人間の心とは本当によくわからない。
ただ、この感情を早めに経験できたのはとても良いことだと思う。
『敗北』したことがあるという事実が俺に、いや、“ルーク”に与えた影響はとてつもなく大きいだろう。
というか、負けるのなんて当たり前だろ。相手は元王国騎士団副団長だぞ。
本来悔しいなんて感情を抱く方がおかしいんだよ。
それに……なんだろう。アルフレッドさんもちょっとガチすぎないか?
最近なんて特にそうだ、こっちはまだ剣を握って一年だぞ。今回も案の定負けたし。
もう少し手を抜いてくれても――
「……たった一年。たった一年でルーク様は、剣術の基礎から応用までほぼ全てを習得してしまいました。それどころか……いえ、なんでもありません」
え、いつの間に?
確かに最近は模擬戦の頻度がやたら増えていたけど。
アルフレッドさんは天を仰いだ。何かを考えているような、何かを諦めたような。
どちらとも取れる表情をしていた。そして、吹っ切れたようにこちらに目を向けた。
「私は、王国騎士団副団長を務めていました……」
「何を今更。そんなことは知っている」
できるだけ丁寧な口調を心がけた結果がこれ。
「数多の戦場を駆け、実に多くの命を奪って参りました」
「…………」
分からない、なんでアルフレッドさんは突然こんな話をするんだろう。
でも、少しでも理解したい……アルフレッドさんは恩師だから。感謝してもしきれない存在なんだから。
俺はその言葉を必死に咀嚼し、理解しようと思考を回転させる。
「剣とは他人の命を奪う道具に過ぎません。大事なのは持ち手の心。磨き上げた剣術で何を為すのかは、剣を握ったその者に委ねられているのです。正義を為すも、悪を為すも。――どうか、どうかそのことをお忘れなきよう」
そう言って、アルフレッドさんは深々と頭を下げた。
本当にどうしたというのか。……やはり分からない。なんて言ったら良いのだろう。
とりあえずここまで稽古をつけてくれたことへの感謝を……いや、無理だ。
傲慢不遜を体現する“ルーク”の意識がそれを許さないことは、この一年でよく分かっただろう……じゃあなんて言えば。
「――ですが」
その会話の隙間を縫うように、アルフレッドさんの言葉は続いた。
纏う雰囲気をガラリと変えて。
「たとえ悪に傾こうとも、私はルーク様が何を為すのか見たいッ!! どうしようもなく見たいのでございますッ!! あぁ、ダメだ。この欲求だけは全くもって抑えられる気がしないッ!!」
「……え」
……急に何ッ!?!? どうしたのアルフレッドさんッ!!
目が完全にイッちゃってるよ!! 紳士だったアルフレッドさんはどこ行ったの!? 俺が努力したからこうなったのか!? なんの分岐だよこれ!!
「ですので、次回からは戦場で私が命のやり取りを繰り返す中で会得した、相手を殺す為の様々な術を教えようと思います。これは王国の由緒ある剣術とはまるで違います。ですが、必ず勝利への一助となることをお約束致します。本当は今すぐにでも戦場に赴き、直にその空気を味わっていただきたいのですが……さすがにそれは旦那様が許されないでしょう」
いや本当になんなの!? 殺す術!?
アンタ十一歳の少年に何を教えようとしてんだよ!!
俺は急変した現実を受け入れられなかった。
しかし――
「――これは持論ですが、どんなに汚い手を使おうと『死』という絶対なる敗北よりは良いと考えております」
「……ほう」
アルフレッドさんの突然の変貌。
それにどうしようもなく戸惑う俺だったが、その言葉だけはストンと腹に落ちた。
――『敗北』
その言葉は途轍もなく重い。
俺の中に残る“ルーク”としての激情が決して許さないもの――それが、『敗北』だ。
この一年、俺は何度も敗北を喫した。何度も、何度も。
模擬戦をやる度に敗北した。それでも、俺の中の自尊心が小さくなることは全くなかった。
俺を見下すな。
今に見ていろ。
そこは俺がいる場所だ。
絶対に引き摺り下ろしてやる。
そんな声が頭に響くんだ。――だからだろうか。
「ククッ……アッハッハッハッハッ!!」
なぜか、笑いが込み上げてきたのは。
「そうか、そうだな。敗北よりはいい。お前の考えは実に正しい。何一つとして間違っていない。――最後に勝ってさえいればそれでいい」
「……ッ!! これほど……これほどとは……ッ!!」
自然と言葉が溢れた。止まらなかった。
「お前だって例外じゃないぞアルフレッド。いつまでも見下していられると思うな。俺は必ずお前にも勝つ」
あぁ、多分これは“ルーク”の、いや、もう“俺”の本質なんだ。
きっと死ぬまで変えることはできない。膨大すぎる自尊心を抑制する術はなく、その自尊心を満足させるには勝つしかない。――勝ち続けるしかないんだ。
まったく、めんどくさい人生だ。本当にめんどくさい。
でも、そうだな……そう悪くはないかもな。
やってやるさ。
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