今世は長生きしたいので悪役令嬢的行動は慎んだのに断罪イベントが発生しました。

夕藤さわな

前編

「隣に立つのにあなたのような人は相応しくない! 婚約破棄です!」


 どうしてこんなことになってしまったのか。

 卒業パーティという華やかな場に相応しくない不穏な空気の当事者の一人であり、この世界における悪役令嬢でもある私は額を押さえてため息をもらした。


 どうして自分のことを悪役令嬢だなんて言うのかって? 恋敵をいじめたから? 亡き者にしようとしたから? いいえ、いいえ。そんな恐ろしいこと、していません。

 前世では地味で目立つことが苦手なゲームをやることだけが楽しみのしがない会社員でしかなかったに私にそんな恐ろしいことできるわけがない。


 そう――。

 令和の日本に生まれ育ち、血の繋がらない妹に婚約者を奪われた挙句に殺され、私を養子として引き取り育ててくれた義母に泣いて謝られながら山中に埋められただけのしがない会社員だった転生者。


 それが私。


 私が転生したのは『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』という死ぬ直前にやっていた乙女ゲーの世界。

 ヒロインは東のど田舎で貧乏貴族の長女として育ったソフィー。生まれてすぐに妖精のイタズラで同じ日、同じ晩に生まれた貧乏貴族の子と取り替えられたけれど、本当は大国アリストリアの第一王女、という設定だ。性別にかかわらず第一子が王位につくこの国では次期国王という立場でもある。

 ちなみにこのヒロイン・ソフィーというのが――。


「どう考えても女神なのに悪女呼ばわりするなんてとんでもない人!」


 私の隣でぷんすこ怒っている筆舌不可な天使様。この国の王族らしくと言うべきか、乙女ゲーのヒロインらしくと言うべきか。薄桃色の髪に空色の瞳をした綿菓子のようにふわっふわで甘くてかわいいを全身で体現している超絶美少女様だ。

 やや青みを帯びた白いフリフリのドレスがよく似合っている。まぁ、天使なので何を着ても似合うし、かわいいのだけれど。


 そして、そして――。

 本当はど田舎の貧乏貴族の長女だけど、大国アリストリアの第一王女・次期国王として育ったのがベアトリス。私が転生した『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』の悪役令嬢・ベアトリスというわけだ。


 アメジストのような紫色の瞳と紫がかった銀色の髪を持った雪のように凛とした美しさを全身で体現している超絶美少女様。でも、数いる王の子供たちの中で唯一、違う髪の色、目の色をしていれば目立ってしまう。もちろん悪い意味で。

 不義を疑われて正妃でありながら軽んじられている母と自分の身を守るため、ベアトリスは幼い頃から完璧であろうとした。影では血の滲むような努力を続け、人前では涼しい顔で文武両道の優雅な王女を演じ続けた。


 そんな状況が一変するのが十五才のとき。明日がゲームの舞台である王立学園の入学式という日の夜に妖精がやってくるのだ。|イタズラの――取り替え子チェンジリングのネタ晴らしをしに。寮に入り三年間は王城に戻らないベアトリスに短い別れを告げに来た、ベアトリスを実の娘と信じて愛そうと十数年、努力してきた正妃の目の前で、だ。


 あなたはわたくしの自慢の娘。

 第一王女らしく、次期国王らしくありなさい。同年代のどの子よりも誰よりも優秀でありなさい。

 あなたは間違いなく王とわたくしの子なんですもの。きっとできるわ。えぇ、絶対にできる。


 そんな言葉でベアトリスに血の滲むような努力を強い、依存的な愛情を注いできた正妃は妖精の告白を聞くなり手のひらを返し、怒り狂う。


「わたくしの子を……王の血をひいたわたくしの本当の子を返して!」


「お母様、やめてください!」


 健気なベアトリスは妖精につかみかかろうとする母を守ろうとしただけだった。怒った妖精は何をするかわからないから。

 でも――。


「本当の娘でもないくせに馴れ馴れしく触れないで! 〝お母様〟などと白々しい! わたくしと娘からすべてを奪った泥棒ネコのくせに……!」


 怒り狂った正妃はヒステリックに叫んでベアトリスを突き飛ばした。


 血が繋がっている。

 それはとても重要なことだけれど十数年の月日も努力も一瞬でなかったことになるほどに重要なことなのかしら。


 そう静かにベアトリスが語るのは断罪イベントの終盤でのこと。


 ベアトリスは生みの母親ではないけれど育ての母親ではあるはずの正妃に拒絶され、衝動的に殺し、妖精と契約して存在すらも消した。

 こうして正妃の死という一大事も、王女が取り替え子だという一大事も明るみに出ないまま。ヒロインは王立学園に入学し、ゲームは開幕し、ベアトリスは自分と同じように妖精のイタズラの被害者である本当の第一王女を――ヒロイン・ソフィーをも正妃と同じように殺し、存在を消そうと暗躍するのである。


 王の血をひいている。

 ただ、それだけで王女としての立場だけでなく母も、家族も、婚約者も……私が死ぬような思いで築き上げてきた十数年間の何もかもを奪っていくあなたこそが泥棒ネコではないのかしら。

 大切なモノを守るために火の粉を払おうとする。それの何が悪いの? 私、何かまちがったことを言っているかしら?


 断罪イベントで攻略対象キャラなイケメンたちに取り囲まれながらほの暗い瞳でヒロインを見つめるベアトリスは妖しく美しく、完璧な悪役令嬢――……。


「だけれども! そんな美少女に転生できてちょっとうれしくなっちゃったけれども! よくよく考えたら断頭台一択じゃん! ベアトリスの結末、断頭台一択じゃん! 断頭台の露と消えるのは困る! そんな恐ろし過ぎる最期、本っっっ当に困る!」


 と、叫びつつ前世の記憶を思い出し、ここが乙女ゲー『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』の世界で、自分が悪役令嬢・ベアトリスに転生しているのだと気が付いたのは入学式前日の朝。

 つまり今夜には妖精がやってきて正妃の前でネタ晴らしをしてベアトリスの悪役令嬢人生、スタート! というタイミングだった。


 前世では地味で目立つことが苦手な、ゲームをやることだけが楽しみのしがない会社員でしかなかった私だ。第一王女という立場も次期国王という立場も興味がない。興味がないどころか前世の記憶と人格を取り戻した今となっては全力で遠慮したい。ど田舎の貧乏貴族大歓迎。庶民的暮らし大歓迎だ。一国の王とか国民の生活とかムリムリ。重責過ぎて考えるだけで吐いちゃいそう。前世に引き続き、家族運に恵まれなかったっぽいのは残念だけど、今世こそは長生きしたい。

 そんなわけで前世の記憶を思い出してから約半日。頭をフル回転させて妖精のネタ晴らしを聞いて怒り狂う正妃を前にどう立ち回り、何を言うかを考えに考え抜いた。

 結果――。


「ど田舎の貧乏貴族として庶民と変わらない環境で育ったアンタの娘には王族どころか貴族としての最低限のマナーも備わっていないぞ!」


 緊縛魔法で妖精を吊るしあげた私はソフィーの現状を洗いざらい吐かせた。妖精の答えは予想していた通り。なにせゲーム開始時のソフィーがまさにそういう設定だったからだ。

 実の娘の現状を聞いて絶望する正妃に優しく寄り添い、私は耳元で囁いた。


「彼女も王立学園に入学するようです。私が三年間、手取り足取り付きっきりで淑女教育を施します。イイ感じに仕上がったところでお披露目といきましょう。目標は三年後、卒業パーティあたりで!」


 三年後の卒業パーティはベアトリスの断罪イベントが発生する日だ。その日をゲームでは存在しないヒロインのお披露目大団円イベントに塗り替え、どうにか断頭台を回避しようという作戦だ。


 ど田舎の貧乏貴族大歓迎、庶民的暮らし大歓迎なんて言いながら王立学園に通うのはやめないのかって? たしかに学園を通うのをやめればヒロインと接触しないで済むし断罪イベントが発生する可能性もグーンと低くなる。でも、イイところの学校に学費の心配をすることなく通えるならそれに越したことはない……と、学歴社会・日本で生まれ育った私は思ってしまったのだ。

 ちなみに貧乏貴族のはずのソフィーがバカみたいに学費の高い王立学園に通えるのは貴重な聖属性の魔力持ちで学費免除の特待生扱いだから、という設定だ。

 うーん、ヒロイン特権。


 そんなわけで入学式当日――。

 ゲームのシナリオなんて完全無視できょとんとしているソフィーに事情を説明した私はやや強引にルームメイトという立場をもぎ取ると淑女教育を開始した。それこそ寝ても覚めても終わらない詰め込み式教育だ。

 最初こそ私の、私ができる、最っっっ高に厳しい指導に戸惑っていたソフィーもそのうちに王族として、第一王女としての自覚に目覚めたらしい。自主的に学び、学園に通う様々な人たちに教えを請い、相応しい教養を身に着けるべく日々、励んだ。


「あなたのためなら私はいくらでもがんばれる。どんな努力も努力じゃないし、どんな苦労も苦労じゃない!」


 ヒロイン・ソフィーの決め台詞を生で聞いたときには『チェンジリング ~妖精のイタズラ~』ファンとしても教育係としても目がうるっときてしまった。

 本来は攻略対象キャラなイケメンに向けてのセリフなんだけど……と一瞬、思いはしたけどあまり気には留めなかった。なにせ攻略対象キャラなイケメンたちとソフィーとの恋愛イベントはゲームとは少し違う形ではあるものの順調に進行中に見えたからだ。


「ソフィー、今日も愛らしい。まるで天使のようだ」


「……はぁ」


「中庭のバラが咲いたそうだよ。どうだろう、僕といっしょにお昼を……」


「ベアトリス、中庭のバラが咲いてるんだって。今日のお昼は中庭で食べよう!」


「……え、えぇ、ソフィー」


 多分、きっと、順調に進行中のようなに……見えないこともなくもないと思ったのだ。


 と、いうか――。

 ベアトリスが偽りの王女で、ソフィーが本当の王女で、妖精のイタズラで取り替えられた子供だということはまだ私とソフィー、正妃と王立学園の学園長くらいしか知らないというのに――。

 ゲームと同じように攻略対象キャラのイケメンのうち一人はベアトリスの婚約者で、二人はベアトリスの護衛を命じられた騎士で、一人は教師だというのに――。

 ゲームと違って私とソフィーはルームメイトで、仲が良く、常に行動をともにしているというのに――。


「僕は真実の愛を見つけたんだ。教えてくれたのは……そう、君だよ、ソフィー!」


「騎士の家系に生まれたこの身が憎い。しがらみも命令もすべて無視して君だけを守れたらいいのに」


「……!」


 なんてセリフを婚約者であり護衛対象者であるベアトリスの目の前で――私の目の前で言いますか? という話なのである。まぁ、断罪イベントを発生させないためにグッと言葉を飲み込んで聞こえないふりでそっぽを向いてましたが。

 唯一の救いは――。


「へえ、はあ、そうですか。それじゃあ、私はベアトリスとお昼を食べるので。ベアトリスと二人で食べるので!」


 ソフィーが手を引いてさっさとその場から連れ出してくれることだ。おかげでブチギレることも、うっかり泣き出してしまうようなこともなく卒業の日を迎えることができた。


 だから、そう――。

 断罪イベントなんて起こるはずない。そう信じていたのに。

 王立学園の卒業パーティというゲーム的にも大国アリストリア的にも重要な舞台で妖精のイタズラというとんでも事情を正妃が説明し、偽りの王女であったベアトリスが三年間のソフィーの努力を讃え、本当の王女であるソフィーを大々的にお披露目して大団円! となるはずだったのに――。


「隣に立つのにあなたのような人は相応しくない! 婚約破棄です!」


 婚約破棄宣言である。断頭台の露と消えるよりはずっといいけれど、だけど、それはさておき、断罪イベントが発生しちゃったのである。

 しかも――。


「……どうして私の婚約破棄をあなたが宣言するんですか、ソフィー」


 というわけである。

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