「叡俊、一回しか言わないからちゃんと聞いてね」

 夾竹桃が、ずんずん叡俊に近寄る。

 夾竹桃も叡俊も、戦闘には向いていない。ならば夾竹桃は言葉で説得してくるはずだ。

 復讐をしても無意味だとか、そんなことをしても死んだ人は喜ばないとか、そんな言葉で止めようとしてくるのだろう。

 叡俊は何を言われても丸め込んでこの場から離れてもらおうと頭の中を高速回転させる、が。

「歯食いしばって」

「へっ」

 ボガッ――。

 一瞬のうちに三百通り近く叩き出された言葉の群れはすべて吹き飛び、夾竹桃の右拳が叡俊の頬に叩き込まれた。

 派手な音を立てて倒れ込む叡俊の緩んだ手から、夾竹桃は素早く【炎】の札を抜きとる。

「じゃっ」

 ひらりと手を振ってそのままさっさと歩き出す夾竹桃に、叡俊は「……は⁉」とがばっと起き上がる。

「ちょ、ちょっと待って!」

「はいはい、急いでるからまた後でね」

「いやそうじゃなくて、なっ……なんかないの⁉ 四年間の相棒が裏切ったんだよ⁉」

「別に」

 夾竹桃が振り返って、そしてぐっともう一度右手を握ってみせた。

「私、拳で語るタイプの女だから」

 呆気にとられた叡俊は、夾竹桃が階段に差し掛かりそうになったところで我に返る。

 笑顔を貼り付けたままだった顔がくっと歪んだ。

「……っ返して、夾竹桃。いくら君でもそれは」

 立ち上がって走り寄る叡俊を軽く交わして、夾竹桃は手の中で札をぐしゃりと握りしめる。

 それを、ひょいっと口に入れた。

「……えっ」

 食った。

 完全に固まる叡俊に、「ふぉれふぇこれでふぉえふぁく取れなくふぁったふぇなったね」と夾竹桃はもごもご言った。

 そして、紙を口にいれたまま器用に舌打ちする。

「話しづらいな」

 もぐもぐ、ごくん。

「……は⁉」

 飲んだ。

「ちょっ、きょうちー! 吐き出して! ペッして、ペッ!」

「私は赤ん坊か」

「赤ん坊よりバカだよ! 何してんの!」

 慌てて夾竹桃の背中をばんばん叩くと不満そうな声が上がったが、叡俊には夾竹桃の奇行のほうが理解できない。

「だって、口に物入れたまま話すの難しいし」

「なら吐き出せよ! 飲み込むなよ!」

「私、心理戦でも身体戦でも叡俊に負ける自信あるから、食べちゃえば絶対取られないかなと思って」

「【炎】の札だよ⁉」

「もうお腹の中なんだから、炎なんか出ないでしょ」

「何考えてんのきょうちー……」

 本気で引いている叡俊に、夾竹桃は不思議そうな声音であっさりと言った。

「いざとなったらお腹切り開いて手術で出せばいいじゃん」

「もっと大事にしてよ自分の体を!」

 夾竹桃はいつもそうだ。昔からそうだ。

 自分のことを後回しとか周りのために我慢するとか、そういう問題じゃない。そもそも自分を勘定に入れていない。我慢という感情さえ知らずに、それが当たり前のように我慢してきたように見える。

 達観を越えて、どこかで全部諦めている。

 どうしてそうなのか、わからない。知らない。知ることができない。

 だから。それが。ずっと。

「まあ手術は冗談として、閻魔様の業火ならなんとかできるでしょ」

「……業、火」

 叡俊は唖然として呟いた。

 いや、それは。どうなんだ。

 閻魔大王が操る業火には確かに浄化作用があるが、呪霊が封じられた【封】ならともかく【炎】の札を燃やすとなると、なんらかの反応が起きて発火してしまう可能性だってある。

 言葉の出ない叡俊に、夾竹桃は首を傾げた。

「大丈夫だと思うけど。別に火傷はしないよ」

「そういうことじゃなくて」

 なんで夾竹桃がそんなことしか考えていないのか、叡俊には理解できない。

 怖いとか、嫌だとか、不安とか。

 そういう当たり前の感情がちゃんとあるはずなのに、そんな一番大事な部分をまったく考えていない気がする。

 表情に出ないからって、感情がないわけじゃないだろう。

 痛みを感じないわけじゃないだろう。

 なのに夾竹桃はいつだって、そんな感情を隠してしまう。

 苛々した。

 胸の奥で何かがくすぶって、それがたまらなく不快だった。

「悔しいでしょ」

「なにが!」

「叡俊が殺したかった相手を私が命懸けで守って、その私を叡俊が裏切りたかった人だけが救えるんだよ」

「……」

 叡俊は動きを止めた。

 夾竹桃の透き通った黄檗色が、相変わらず何の感情も浮かべずに叡俊を見ている。

「次はどうする? 叡俊。まさかこれで終わりじゃないでしょ」

 夾竹桃は知っている。叡俊の狡猾さ、計画の精密さ、天才としか言いようがないその頭脳を。

 でも。

「だけど私だってやめないよ。叡俊が次にどんな奥の手を出しても、私は絶対に邪魔をする。……それこそ、今度は死んでも」

「死ぬとか」

 押し殺すような低い声が、叡俊の唇を震わせた。

「……死ぬとか、簡単に言うな。人が消えることが、どんなに重くて、残された側が苦しいかわかって」

「苦しいの?」

 夾竹桃は首を傾げる。

「意外。叡俊の未来には、私は要らないと思ってたのに」

「俺がいつ、そんなこと言ったんだよ」

「言ったよ、皆が笑っていられる世界にしたいって」

 ずっと前の話だった。

 それは両親の願った世界だ。

 叡俊が過ごせる未来がもっとよくなるように頑張るからね、と。

 皆が笑える世界にするんだ、と、二人はそう言って笑っていた。

「だったら笑えない人わたしは、叡俊の理想の世界には居ないでしょ。叡俊、私が少しでも泣いたり笑ったりしてるの、この四年間で見たことある?」

 叡俊が、さっと目を見開いた。

 見ていない。夾竹桃の笑顔なんか、知らない。

 それでも両親と同じ理想を、虚ろなまま掲げていた。

 怯える子供に気づかなかった、あの大人たちと同じように。

 自分には、笑えない相棒が見えていなかった。

 あんなにずっと、見ていたのに。

 目の前に、すぐ傍に居たのに。

「ねえ、叡俊。無理だよ。皆が笑っていられる世界なんて、幻想だ。叡俊は私より頭いいんだから、ずっと前から気づいてるでしょ」

「……っうるさ――」

「叡俊。今、一番したいことなに?」

 悲痛な声を遮った夾竹桃の目が、光を帯びてまっすぐに、迷う青年を、立ち止まった少年を見ていた。

「そんな壮大な理想じゃなくていいから、今叡俊が思ってること教えてよ。ほんとのことを聞かせて」

 揺れる赤を、覗き込んだ。

 目を合わせて、真剣な眼差しで、正面から向き合う。


「私は、叡俊が何を考えてるのか知りたい」

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