第12話『一方、事務所では』

 草田に連絡が入る。


 スマホを取り出して中身を確認すると、差し出し人は【管理長】。


 普段は連絡をよこさないというのに、一体何の様だと思いながらメッセージを開くと――。


『草田くんお疲れ様。2点ほどお話をしなければならないことがあるので、できるだけ早く事務所に顔を出してください』

「えっ」

「なになに、どうしたの?」


 スマホを片手に驚く草田を前に、柿原はメイク道具を整備していたところから顔を向ける。


「まさか、彼氏とかだったりして」


 ノートに服の組み合わせを書き下ろしている目里は、自分の作業に集中しつつ茶々を入れた。


「もう、そんなのいるはずがないでしょ。何が悲しくって同い年の女3人で作業用の部屋で集まっているのよ」

「そりゃあ、美夜ちゃんのためでしょ」

「そんなの当たり前じゃない」


 ここは3人が自腹でお金を出し合って借りているアパートの一室。


 彼女達以外の誰も出入りしないことから、生活感を何一つ隠すことのない部屋だ。

 全員が真面目な性格ではあるが、あまりの忙しさゆえにごみを出すのを忘れたり、食べ終わった皿が台所で水を張りっぱなしになっていたりする。

 せめてもの救いは、誰もタバコを吸ったり飲酒したりしないことぐらい。


「それで、実際のところはなんだったの?」

「なんかね、管理長から話があるから来いって連絡が来たの」

「え」

「え」


 柿原と目里は目を見開く。


「もしかして、まさかだよね」

「……そうであってほしくはないね」

「覚悟はしていたけど、いよいよってか」

「やめてよ2人とも。私を不安にさせないで」

「ごめんね」

「ごめん」


 草田は壁に取り付けられたハンガーから上着を手に取り、羽織る。


「とりあえずは話を聴いてみないことには分からないから、行ってくるね」

「上手くやってね」

「頼んだよ」

「何言ってるのよ。私は、美夜ちゃんのマネージャーなのよ。何を言われようとも、意地でも食らい付いてやるんだから」




「よく来てくれたね。まさかこんなに早く来てくれるとは思ってなかったよ」


 藍色の上下スーツの男は、椅子に腰かけながらネクタイを締め直し草田と向き合う。


「ちょうど近くに居ましたので」


 先ほどまでいたアパートから、ここまで来るまで30分。

 柿原と目里にかっこいいセリフを吐いて飛び出してきたものの、車内、そして管理長室にたどり着くまでの廊下では心臓が飛び出そうになっていた。


 そして、管理長を前にした今も。


「それで、お話と言うのはどのような」

「ああ。少しばかり込み入った話ではなるんだが、まず1つ目――最近、草田くんが担当している子はどんな感じかね」

「美夜ちゃんのことでしょうか」


 管理長が美夜のことを名前で呼ばないことに、毎回のことだとしても眉を一瞬ピクつかせる。


「ああ、その子なんだけど、こっちにも報告が来ていてね。上手くいってないみたいじゃない?」

「まだデビューしたばかりですので、結果がついてきていないのは事実です」

「まあそれはそうなんだけど、でも、もうデビューしてから3カ月ぐらい? 経っているんだよね」

「そ、そうで。ですが、美夜ちゃんは、た――高校生でもありますので、学業の方も頑張っているんです」


 草田は気持ちが昂るあまり、声が大きくなり2歩前に出る。


「うーん、言いたいことはわかるよ。学生の本分は勉強やら青春だからね」


 理解が得られ、胸に手を当てて一息吐こうとすると、


「それは、その子が一般人だったら、だよね」


 一気に心臓を鷲掴みにされた感覚に襲われ、一瞬だけ呼吸が詰まる。


「で、ですが……」

「どっちも頑張っている。こちらとしても、どちらも等しく結果を出せなんてことを求めたりはしないさ。鬼ではないからね。でも……聞いた話じゃあ、学業の方も成績が平均以下というじゃないか」

「……美夜ちゃんは、頑張――」

「頑張っているだけで許されるのなら、誰にだってアイドルになれてしまう。しかし現実はそんなに甘くない。それに、こちらは彼女を雇っているということは、給料を支払っているということだ。わかるね?」

「は、はい……」

「うちらみたいな小規模事務所は、大手と違ってお金が湯水のように湧き出てくるわけじゃないんだ。そこで、だ」


 草田は息を呑む。


「彼女には、今後の活動を考えてもらわないといけない」

「なっ! どうしてそんな酷いことをっ! 認めません! 事務所が強制的に美夜ちゃんを辞めさせるというのなら、私もここを去ります!」


 草田は、腕を組んで座る管理長の前にある机へ、ドンッと勢い良く両手を突いた。


 管理長は体をビクリっと跳ね上がらせる。


「ままあ落ち着いて。ちゃんと話は最後まで聞いてって」

「す、すみません」


 その一言で我に返った草田は、着崩れたスーツの上着を直しながら一歩下がった。


「こちらとしても、せっかくデビュー出来た子を容易く手放すことはしないさ。だから、最後のチャンスというものを与えようと思う」

「どのような……」

「壁が大きすぎると無理があるからね。まずは学業――次の大きなテストで全体順位の半分以上か、全教科満点中半分の総点数を獲得すれば、今後とも活動を継続できるということにしよう。という感じに」


 管理長は足を組み替え、咳払いをした後に話を続ける。


「優秀な草田くんだ。この意味はわかるね?」

「……はい」

(わかっている。ここで反論しても、何の意味もないということを。これは、事務所が出した意向であると同時に、最大限の譲歩だ。だからこそ、私が美夜ちゃんに与えられた最後のチャンスを奪ってしまうわけにはいかない)


 草田は悔しさを堪え、姿勢を整える。


「まあ、くれぐれも本人にはこのことを伝えないことだね。プレッシャーを感じて勉強できなくなってしまってはかわいそうだ。その子を思うなら、ね?」

「はい、わかりました。それで管理長、もう1つのお話とは?」

「ああ~。酷な話だとはわかっているが、そろそろ次の担当を決めないとって思ってね。すまないが、草田くんのように優秀なマネージャーを遊ばせておくわけにもいかないし、柿原くんや目里くんのように優秀な人材を放っておくわけにもいかないのだよ」

「……大丈夫です。その心配には及びませんので」

「そう、なるよね。まあ今でなくてもいいさ。資料は事務所にいつでも置いてあるから、気が変わったりしたら目を通しておいてよ」

「話は以上でしょうか」

「だね」


 草田は鼻から大きく息を吸い、


「それでは、失礼します」


 と、一礼後に踵を返す。

 そして、決心を胸に宿し部屋を後にした。


(絶対に、美夜ちゃんの夢を潰すわけにはいかないんだ)

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