思いやりは輪郭が見えない
私とシリルさんがとことこと劇場までの道を進む。
シリルさんは相変わらず愛想のない顔をしていたものの、意外なことに腕を差し出してきたのに、私は驚いて顔を上げた。
「あのう?」
「なんだ、観劇に行くんだからエスコートしないと駄目ではなかったのか?」
「あわわわわわわ……」
まだ劇場にすら着いてないのに、この人の腕にしがみついていいんだろうか。私は小さく首を振る。
「あ、あのう……私、そういうのに、慣れてなくって……騎士さんは、慣れてるかもわかりませんが……その……魔女をエスコートして、大丈夫なんでしょうか……」
最後はみっともなくも、尻すぼみになってしまっていた。
私が縮こまっているのに、シリルさんは大袈裟に鼻息を立てた。
「騎士だからと言って、貴族令嬢を毎度毎度エスコートしている訳じゃないぞ? たしかに見合いや縁談の話はたびたび舞い込んできたが、大概は『雑』と一刀両断に切り捨てられて、先方から断られている。俺のこれに毎度毎度縮こまっているのなんて、エスターくらいしか俺も知らん」
「そ、そうなんですかねえ……たしかに、シリルさんえらそうですし、口悪いですけど」
「おい」
「……優しいじゃないですか」
ポツンと漏らした言葉に、またしてもシリルさんはオーバーに溜息をついた。
「俺だって誰にも優しい訳じゃない。むやみやたらとありがたがる前にさっさと掴まれ」
「は、はい……」
私が恐々と腕にしなだれかかると、そのまま進みはじめた。
不思議なことに、周りはシリルさんをポーっとした顔で眺めるものの、私が赤髪をなびかせていたら向けられてくるような嘲笑めいたものは、投げかけられては来なかった。
それが私にとって不思議でしょうがなく、思わず「なんで?」と彼を見上げてしまった。
それにシリルさんは謡うように言う。
「堂々としていればいい。堂々と。エスターはダリアみたいな女だ。むやみやたらとその綺麗な髪色を隠すよりも、堂々と見せていたほうが、誰もなにも言わない。誇らしくしているものを、傷つけるために嘲笑を向けたほうが、人間が悪いと誰だってわかるのだから」
「……はい」
その言葉に安心しながら、私たちはようやく広場に辿り着いた。舞台に入る前に食事を済ませようと、パブやバーが出て賑わっている。
どこの店もあまり長居したことがない私は、きょろきょろそわそわしていたら、シリルさんが「舞台がはじまる前になにか軽く食べるか?」と声をかけてくれた。
私が小さく頷くと、パブに連れて行ってくれた。
「普段から、こういう場所に行かれるんですか?」
「仕事帰りだな。エスターは行かないのか?」
「私は……ひとりではなかなか入れませんから」
魔女をそういうものとして扱ってくれる人は、結構限られている。人形師として店にいる場合は普通にしゃべられるけれど、向こうも店の店員として扱っているだけで、人間として扱っている訳ではない。
だからこそ、人形師としても魔女としても見ずに、私個人として扱ってくれているシリルさんみたいな人は珍しいんだ。
私の言葉を聞いていたシリルさんは首を捻った。
「俺には、お前が普通の女にしか見えないが。魔女はそこまで嫌がられるものなのか?」
「いろいろ……いろいろあるんですよ。シリルさんがいたら、あまり怖くはありませんけれど」
そう言いながら、パブへと入っていった。
パブの中では、昼間から陽気にビールを飲んでいる人たちがおつまみを食べてはしゃいでいるようだった。
シリルさんは席に着きつつ「酒は飲めるか?」と尋ねてきた。
私も一応お酒は飲めるし、そこそこ強い。
「観劇中に眠らない程度なら」
「そうか。ならビールに、シェパードパイでいいか?」
「あ、はい。おいしそうです」
カウンターでクラフトビールを二杯に、シェパードパイを頼んで持っていくと、早速食べはじめた。
クラフトビールは泡までおいしくいただけ、少々香辛料の効き過ぎたシェパードパイともよく合った。シェパードパイはミンチに香辛料が効き過ぎてその部分だけ食べると辛過ぎて食べにくいけれど、マッシュポテトと合わせて食べると不思議と高揚感が沸いておいしい。
「おいしいです」
「そりゃよかった。仕事明けに飲み食いするものだから、観劇前には腹に溜まり過ぎると思ってたが」
「普段だったら朝ごはんしっかり食べてから出かけますけど、今日は服と髪型と化粧に気を取られて、ほとんど着の身着のままで出てきましたから……」
私のボソボソとした言葉に、シリルさんは目を剥いた。
「……ちゃんと食べろ。観劇中に腹が鳴り過ぎたら、集中できないぞ? 見に行きたかった舞台なんだろう?」
「は、はい……!」
シリルさんがあまりに実感篭もって言っているのは、おそらくは人形のふりして観劇に出かけて腹の虫をずっと鳴らしていた結果だろう。
私は勧められるままにビールを飲み、シェパードパイもしっかりいただいてから、劇場へと向かっていった。
ふたりでチケットを入り口で見せてから、中に入っていく。ふたりで座席を探している中。私は見覚えのあるふたりを見つけた。
「あちらに行きたいんです。よろしい?」
「はい」
片方はヘンリエッタ様だった。ワインレッドのアフタヌーンドレスに頭にボンネットを被り、優雅に立ち振る舞っている。
少し驚いたのは口調で、彼女は女の私相手にすらおどおどとした言動を取っていたというのに、今の彼女にはなんの澱みも迷いもない。
私が人形を納品したばかりだというのに、いくらなんでも変わり過ぎじゃないかなと、唖然としていたら、もっと唖然としたのは。
私に人形の服を買い求めに来たコーニーリアス様だった。
服だけだったらそこまで驚かなかったものの、コーニーリアス様は舞台化粧を施していた。遠巻きに見えてもくっきり見えるように意識している化粧で、ただでさえ中性的なコーニーリアス様の容姿は、性別が全くわからなくなり、男装の麗人なのか女装の美魔女なのかさえも危うく、観劇に来た人々の目が釘付けになってしまっていた。
これがもし人間であったら、劇場の人々から「ドレスコードが違います」と厳重注意するだろうに、この人と来たら人形のふりをして、瞬きすら我慢して歩いているのだから、誰もなにも言えない。
「どうしたエスター。あそこにいる人形は、お前の制作したものか?」
シリルさんも、コーニーリアス様が人間か人形かすら、判別がついていないようだった。はっきりと人間と人形の区別のつく人なんて、魔女や人形師くらいのものだ。
私はそれに困った顔をした。
「いえ、知り合いに似ていたのですが、違うみたいですから」
男性恐怖症をなんとか克服したいと思っていた矢先に男装劇団にハマッたヘンリエッタ様に合わせ、人形のふりをする決意をしたコーニーリアス様。
ふたりの中でいろんな葛藤があったんだろうとは想像つくけれど、想像はあくまで想像。こちらでいろいろ指摘することでもないと、そっと見なかったことにした。
****
演目はとにかく素晴らしいものだった。
まずは席。シリルさんがもらってきたチケット……おそらくは、男装劇団の俳優の関係者が配っていたものだろう……は比較的いい席だったために、双眼鏡なしで舞台を一望することができた。
お芝居の中身や歌唱力もそうだけれど、とにかく男装の麗人を浴びるほどに拝むことができる。
舞台から降りてきて、客席の近くでも歌って踊っていると、ふんわりとした素敵な香りと一緒に、美麗なオーラを一身に浴びてめまいだってしてくる。
麗しい男性と、男装の麗人たる男装女優だと、摂取できる栄養が全然違う。これにハマッて抜け出せなくなる人だっている訳だよなと感心しながら劇場を後にした。
一方、チケットをもらってきてくれたシリルさんは、腕を組んで感心しきりだった。
「あまりピンと来てなかったんだが……面白いものだな。男装しているんだろうと思っていたが、舞台の上だと皆男性に見えるんだから、女性しかいない舞台には見えなかった」
「不思議なんですよね、これ。私も観劇経験がそんなに豊富ではありませんが、男装劇団が人気な気持ちもわかります」
ふたりでそううきうきしながら見終わったあと、ヘンリエッタ様とコーニーリアス様が一緒に連れ添って歩いているのが見えた。
周りは最初は「男装劇団の新人女優!?」とざわついていたものの、人形だと思い込んで一斉に視線を散らしていく。
ヘンリエッタ様は、見違えるほど元気な顔で、コーニーリアス様に話しかけていた。
「素晴らしい舞台でしたわ。コミカルなのに、ただドタバタしているだけではなく、笑いの中にもシニカルさがあり、トキメキもロマンスもあり……そうでしょう?」
「そうですね」
「ええ、ええ! なにより王子役の役者さんがですね!」
ヘンリエッタ様は本当に男装劇団が好きなんだなあ。私たちは「面白かった」「楽しかった」みたいなシンプルな感想だった中、なにがよかった、どこが見どころだったかまで、パックリと口に出している。
そしてあれだけ感想を浴びせられても、コーニーリアス様と来たら、人形じゃないとバレてしまうんじゃないかというくらいに優しい顔でヘンリエッタ様を眺めていた。
婚約者の男性恐怖症を心底心配なさっていた方だから、彼女とたくさん話ができて嬉しいのかもしれない。あれだけ中性的な方でも、人形のふりをしていなければ、まともに話せないみたいだったから。
ヘンリエッタ様も、人形を買ってまで男性恐怖症をどうにかしようとしていたのも、婚約者と話がしたかったからだろう。誘拐されたなんて心の傷、時間薬をもってしてもなかなか治るものではないのだから、本当に少しずつ努力をしていく他あるまい。
私は男性恐怖症を克服する手助けはできても、人形師の手助けはたかが知れている。完治させるのはまず無理だ。
ふたりで手を取り合って、立ち向かえればいいなと、ただふたりにエールを送ることしか、今の私にはできそうもない。
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