13 辺境伯


 屋敷の廊下を左に折れてまっすぐ行くと、立派なドアの前に護衛が二人立っている。レニーを連れて来た護衛は立ち止まってノックした。

「連れてまいりました」

「入れ」

 中から返事があってドアを開けると、レニーをその部屋に押し出して護衛はドアの外に立つようだ。


「さあ、こっちにおいで」

 先回りしたのだろうか、もうシノン伯爵が部屋にいる。屋敷の中を無駄にぐるぐる回ったから、帰り道がわからないようにしたんだろうか。


 豪華な装飾を施された部屋にはテラスも広い窓もない。天井からのシャンデリアと壁のブラケットと高い小窓の明かりだけだ。何かの香が焚かれている。獣のような変な臭いだ。部屋の中にいる七人の見知らぬ男たちの視線が痛い。


(これ全部、僕が相手をするというのか?)

 レニーの身体が震える。

「喉が渇いただろう、これを飲みなさい」

 召使がグラスを差し出した。赤紫の液体が入っている。甘ったるい匂いが鼻につく。

 レニーはグラスを両手で受け取って、ゆっくりと飲み干す。


 鑑定結果は『媚薬』だ。子供相手になんてことをしやがる。

 もちろん飲まない。果実水と入れ替えた。


 闇属性の魔術師がレニーの側に寄ってくる。この魔術師のレベルはそんなに高くない。レニーの手を掴んで呪文を唱えた。

 レニーの手に気持ちの悪い紋章が浮かんだ。


「ああっ……」

 悲鳴を上げる。気持ちが悪い。紋章に手を当てて全力で『吸収』した。

(『隷属』の魔紋だ。首輪じゃなくて魔法で来たか)

 ここまでするのか。もう売る気満々だな。


 レニーは逃げる事にした。何が何でも、最後まで逃げる。

 とてもじゃないが、何もかも受け入れられない。



 まだ魔術師がレニーの手を掴んで呪文を唱えている。

『排出』

 その手に魔術師に『隷属』の紋をお返しした。

「ぐっ」

(もういらないよ。上手く行ったって言って)

 小声で囁いたが伝わったようだ。

「……上手く行きました」と、魔術師が報告する。


「僕はどうなるの?」

 顔を少し上げて、ウルウルの涙目で聞く。

「お前はザルデルン帝国に売られるんだよ」

 シノン伯爵はあっさりとばらした。そりゃあ僕は絶体絶命だけど、この人は詰めが甘いのかな。


 この部屋の人、全部鑑定しちゃった。よし、逃げよう。

『アースウオール』『キュアガード』『エアシールド』を自分に『排出』

「きさま! 何をした!」


 石を『拡散』してバラバラ投げつける。ついでに水を『拡散』して排熱する。

「わっ」

 怯んだ間に逃げる。

「魔法は使えない筈じゃないのか!」

 そんなことまで調べていたのか。

 レニーは部屋の出口に走ったが、ドアが開かなかった。


『吸収』

 ドアの『結界』が吸収できた。ドアを開けると護衛がいる。

 石を『拡散』した。バラバラと石の雨が降る。

 ついでに『拡散』で、さっきの媚薬を周りにばら撒いた。

「わっ」


 他人の子供を攫ってないで、自家発電しろって、自給自足しろって。他人に迷惑かけちゃいけないって、習わなかったのか。


 廊下に出ると向かってくる護衛達に石を『投擲』する。

 シノン伯爵邸は、レニーがばら撒いた水と小石でドロドロになった。このまま逃げたら弁償しろって言うかしら。それはそれでやばいけど、今は逃げる一択だ。


「来るなー!」

 走って逃げながら『探知』で探る。無数の赤い点がこちらに向かっている。

 これ、捕まったら終わりだな。レニーは泣きたくなった。

 逃げ込む予定の緑のポイントは、遠い、とても。

(僕の体力持つかしら)



  * * *



 緑のポイントの部屋は何処だ。まるで脱出ゲームだ。追いかけて来る護衛と警備兵たちに、温水と石を投げて、逃げて──。

 武器を持ってきた。やばいなあ。殺されるかしら。石と水。『排熱』で温度上げて。媚薬もばら撒いてやる。部屋は何処だ。もう足がもつれそう。

 でも、レニー頑張っている。鍛錬のお陰だね。


 一個、緑の印がこっちに向かっているのが見えた。

(誰だろう)

 その時、ひゅんひゅんと何かが足元に飛んで来た。ブーメランみたいな木で出来た武器だ。避けようとしたけれど、もう疲れて足が上手く動かない。

「わっ」

 避けられずに、前につんのめって転けた。

 おっきい男達がドヤドヤと走ってくる。いくら防御魔法があっても、押さえ付けられたらやばい。くそ──。


「レニー様!」

 廊下の向こうに見慣れた姿が見えた。

「エリアス!」

 でも、とても遠い。起き上がって行くまでに捕まってしまう。

『パライズ!』

 あ、エリアスの魔法だ。麻痺魔法かな。バチバチと雷撃のような青い光が周りに落ちた。

「うがががが!」

 潰れたような声を出して、周りにいた男たちが通路にバタバタと倒れた。ビリビリと痺れているようだ。


「レニー様」

「エリアス、あっちの部屋だ」

 起き上がって指さす。

「分かりました、こちらに」

 エリアスが背を向ける。レニーを背中に負ぶって走り出した。早い。そういや鍛錬の時、いつも最後はこれだった。



 緑色表示の人たちがいる部屋に辿り着いた。

「この部屋だ!」

 しかし、ここもドアが開かない。

「くそう、『吸収』」

 先程のシノン伯爵の部屋と同じような『結界』を吸収して、ドアが開いた。


「助けて下さいっ!!」

 部屋の中に転がり込む。その部屋には威厳のある人と、レニーより少し上の子と、護衛の騎士たちがいた。どの男も腕っぷしが強そうだ。

「君は?」

 ひげを生やした威厳のある男が聞いた。ガタイの良い大柄な男だ。

「失礼します。レニー・ルヴェルと申します。保護をお願いしたい」


 だがその時には、もうシノン伯一行が追いついて来た。

「アロン辺境伯、その子は私が父親に預かったのだ。こちらに渡してもらおう」と手を差し出す。


 この人がアロン辺境伯。かの有名な、小説によく引っ張り出される辺境伯か。主役を張ることもしばしばで、立派な体躯と凄く強いというイメージの。

(いや、この世界の辺境伯は知らないけど)


 レニーは、部屋の中央にでんと余裕で座っている、この世界のアロン辺境伯をまじまじと見た。筋骨隆々で逞しそうだが、深い藍色の瞳には知性が溢れている。

「そういう訳にもいかん。我々に保護を求めて来たのだ。その武器を仕舞いたまえ」

 おお、正統な辺境伯だ。

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