魔女と地下室

 魔力放出は手のひらを穴に見立ててそこから魔力を吐き出すイメージ。

 なら、逆に吸い込むことも出来るはず。

 研究部の部室には埃を吸い取って容器に溜める魔道具があった。あれを思い出すことで吸収の仕組みを広げる。

 幸い、今この場は魔力が濃い。

 フランシーヌが強力な魔法を何度も使ってくれたから、大気中に魔力が散っているんだ。これを使って『魔力喰らいマナ・イーター』の効果を伝達すれば──。


「ぐっ……」


 慣れない使い方に身体が悲鳴を上げる。

 ずき、と頭が痛むのを感じた僕は思わず笑みを浮かべた。負荷がかかるということは少なくとも「何もできていない」わけじゃない。

 感覚とイメージをさらに強めて成功を信じて。


「まさか」

「これは、興味深いですね」


 劫火を吸い込んでいく。

 一度吸引が始まってしまえば後はそこまで変わらない。きついのは身体への負担だけ。

 終わった頃には右手がろくに持ち上がらないくらい疲れていたけれど、おかけで熱を感じたのは最小限。魔力残量の差は一気にこっちに傾いた。


「嘘」


 フランシーヌが呆然と呟く。

 右手を前に出したままの姿勢で、紅髪の令嬢は呆然としていた。

 僅かな間の後、令嬢は大きく口を開いて、


「どうして、こんな状況でそんなことができるのよ!?」

「みんなに助けてもらったから、かな」


 ここに来る前のボクじゃ何年修業しても無理だったかもしれない。

 でも今は、学園入学と母さんの敵を討つことだけを考えていたあの頃よりもずっといろんなことを知っていろんな人と出会った。

 守りたい人もできた。

 ここで学園を退学したらリアを助けられなくなるから、負けたくなかった。


「順番が違うわ! 信用は実力を示して勝ち取るものでしょう!? 弱い者は信用されない、違う!?」

「信用はお互いに与え合うものだよ。価値があるからすり寄ってくる人なんてろくなものじゃない」


 ゆっくり前に歩き出すと、フランシーヌは立て続けに火球を放ってきた。爆発はせず、僕の右手に吸い込まれていくそれ。攻撃というよりも戦いの結末を確かめようとするかのようだった。

 目の前に立つと、令嬢は僕の首に右手を添えてきた。

 貴族のお嬢様に絞め殺す力はない。直接魔力攻撃をされても僕には効かない。むしろ、触れた部分からフランシーヌの魔力が流れ込んでくる。

 手は冷たい。


「良かった。……魔力はもう十分減ってるみたいだ。これなら体調は悪くなったりしないよね」

「貴方は。貴方たちは、どうして」

「僕が勝ったら、僕とも、リアとも仲直りしてくれないかな。話なら聞くからさ。普通にご飯を食べたり酒を飲んだりできないかな」

「……っ」


 首に触れていた指が震える。

 右手を下ろしたフランシーヌは倒れ込むように僕にもたれかかってきた。


「……私の負けです。オリアーヌ様は、地下に」


 慌てて抱きとめると嘘みたいに軽い。

 女の子だから、というのもあるだろうけど、体力も限界だったに違いない。体温もむしろ低すぎるくらいだ。


「先生! 誰かフランシーヌの治療をお願いします」


 医務室の先生がいてくれたのでフランシーヌの治療をお願いした。僕はフェリシー先輩に持っていてもらったポーションを一気飲みして無理やり体力を戻す。

 一本じゃ足りないのでもう一本飲んだらそれなりに動けるようになった。


「あまり短時間に多量摂取するのはお勧めできないのですが……クリス君なら副作用も最小限に抑えられるかもしれませんね」

「それに、早くリアのところに行かないと」


 戦いが終わって熱の発生源がなくなったことで暑さは和らいできている。返してもらった制服の上だけ羽織ってスカートは鞄の中に入れた。戦闘着にもスカートがあるので二重になって動きづらい。


「先生。地下の入り口はどっちにあるんですか?」

「あちらです」


 訓練場の隅に金属製の蓋がされた下り階段。蓋はきちんと閉まりきっておらず、誰かが入った、あるいは出てきた形跡がある。


「ここからは教師だけで、と言いたいところですが……」

「先生方がやられるような相手が本気になったらここにいても同じ」

「僕の能力が役立つかもしれません。連れて行ってください」

「……わかりました」


 余計なものには触れないように、と厳命されたうえで教師ふたり、僕とフェリシー先輩、シビル先輩とミシェル先輩、教師一人というメンバーで中に入った。

 広い階段は三人並んでも余裕で降りられそうだった。

 普通に歩くだけで靴音が響くので中に誰かがいればもう気づいているだろう。


「リア、いる?」

「クリス様……!?」

「リア!」

「待ちなさい。危険です」


 返ってきた返事に駆け出しそうになったところで教師に静止させられた。


「他に誰かいるのですか?」

「私です。何もするつもりはありませんから入ってきなさい」

「学園長?」


 奥は広い物置になっていて、その奥に厚く大きな扉があった。教師によると「関係者以外立ち入り禁止」だという扉は半分開いていて中が覗いている。

 いたのはリアと学園長、そしてあのメイドだ。

 メイドは僕を見ると苦々しい顔をして「お嬢様はどうしたのですか」と尋ねてきた。


「フランシーヌは無事です。無理をしたので先生から治療を受けています」

「だから、お嬢様を名前で呼ぶなと──!?」

「黙りなさい」

「っ。……申し訳ありません、奥様」

「これはどういうことですか、学園長」


 言いながら教師が扉を開け放つと内部の全貌が見えた。

 奥は研究施設のような造りになっている。だいたい何をする道具なのかわかる気がするのは部室でいろいろ見たお陰か。

 一番目につくのは部屋の中央に置かれた超巨大──人の身長の2倍の高さはあろうかという水晶。リアは手袋を嵌めたままその水晶に手を当てている。


「まさか、これは魔石……!?」


 フェリシー先輩が驚愕の声を上げた。

 魔石。魔力を籠められた石の総称で、持続型の魔道具の運用などに利用される。要は魔力を溜めておくための容器のようなものなんだけど、こんな大きさは普通ありえない。

 石の種類と品質によって値段が変わるからだ。水晶でこれならいくらになるか想像もつかない。買えば公爵家でも家がつぶれるんじゃないだろうか。


「リア、無事!?」


 少女の頬ははっきりと赤みがさしていて、息も荒い。声をかけると彼女は「大丈夫です」とどこか切なげな声で答えた。


「痛くも苦しくもありません。少し疲れてはおりますが、身体はむしろ心地よいくらいです」

「そっか。……じゃあ、魔力を流させられてるだけなんだ」


 僕との時もむしろ気持ちよさそうだったし、心配はないようだ。

 だったらどうしてこんなことをしたのか、という話だけど、


「学園長。何故誘拐などなさったのですか?」

「心外です。私はただ殿の身を案じたまでのこと。御身に傷をつけるような真似はしていませんし、用が済めば無事にお返し致します」

「……学園長。わたくしはクリス様への暴行の件を許してはおりません」

「少々手荒な真似をしたのは事実ですが、部外者に説明できる内容ではありませんでした。加えて、当家の使用人が私怨から先走ってしまったようです」

「っ」


 僕としては「よく言うよ」という感想だけど、リアは初手で眠らされていたので一部始終を見たわけじゃない。

 僕一人の証言じゃ弱いし、実際学園長がやったのは本で二、三発叩いてきたことと鎖で縛ってきたこと、大きな魔法を一発撃ってきたことくらいだ。

 ……いや、普通だったら死んでるけど。


「いや、ちょっと待ってよ。その前に『殿下』ってどういうこと?」


 ミシェル先輩が「我慢できない」とばかりに口にした疑問にその場にいる何名かが微妙な表情を浮かべて、


「言葉の通りです。このお方はオリアーヌ・ヌベルリュンヌ殿下。王位継承権こそお持ちではありませんが、れっきとしたこの国の王女殿下です」



   ◇    ◇    ◇



「殿下の身の上は学園でもごく僅かな者しか知らない重要事項です。明かすことは強く禁じられていましたし、私自身、部下にそう命じていました」

「それは、王家からの勅命だったと……?」

「そうです。オリアーヌ殿下の受け入れと秘密の徹底、そして殿下の体質に対処すること。これが勅命の内容でした」

「でも、王女様がもう一人いるなんて聞いたことないよ……!?」

「オリアーヌ様の存在自体が秘密にされていたからです。本来であれば殿下の寿命は長くない予定でしたから」


 学園長──クローデット・フォンタニエは淡々とリアの体質について語った。

 魔力を使うことができない代わりにほぼ無尽蔵に蓄えられる体質。日に日に増していく負荷にリアの身体が悲鳴を上げていたこと。


「この魔石は殿下をお救いするために用意したものです。膨大な魔力を受け入れるための器。これがあればある程度、殿下の寿命を延ばすことができると考えました」


 強制的に魔力を流させるアイテム自体は部室にも転がっていたように全く存在しないわけじゃない。部にあの手袋があったこと自体、王家の意向を受けて研究が行われた結果なんだろうけど、それはともかく。ここで重要なのは、問題になったのが流す手段じゃなくて受け皿のほうだったということだ。

 人間に魔力を流すのはとても危険な行為。

 他人の魔力が身体に合わない可能性もあるし、それ以上に魔力が増えすぎて身体を壊す可能性が高い。魔力を受けた後、大して間を置かずに消費したはずのフランシーヌでさえ立っていられなくなるほど体力を消耗していたのだ。とても現実的じゃない。

 なら、人じゃなくて物に流すしかないけど、魔石の容量はそれほど大きくない。非常識なリアの魔力を受け入れるには非常識な魔石が必要になる。


「だからこんな馬鹿でかい魔石を用意したんだ」

「この魔石自体、高度な魔法を駆使して作り上げた技術の結晶です。満たせば最高クラスの魔女数人分程度の魔力になります」

「実現すれば国宝級の価値になりかねないではありませんか……!?」

「魔道具に使えば恐ろしい兵器だって作れる」


 より恐ろしいのはこの魔石でさえリアの魔力を全部は受け入れられないということだ。

 リアがいかに重要な存在かということと、リアの体質がいかにどうしようもないかということがよくわかる。

 学園長は「リアの魔力が一日で全回復する」という事実を知らないのか、それとも知っていて敢えて言わないのかはわからないけれど、王家としてはリアの身体がどうしようもなければ魔力を取れるだけ取って兵器開発をするつもりだった可能性もある。


「オリアーヌ様の存在は二重の意味で機密だったのです。ですが、それ以上に危険な存在が現れてしまいました」


 クローデットの話が新しい段階に入った。

 誰かが「危険な存在?」と疑問の声を上げるとそれに明快な答えが示された。


「『魔力喰らい』オリアーヌ様の魔力を受け入れ、運用することの可能な人間。彼がオリアーヌ様を手に入れれば戦力となるでしょう」


 そんな馬鹿なこと、とは誰も言わなかった。

 他でもない学園長自身が『爆炎の魔女』と謡われ、都一つを火の海に変えられると噂されているからだ。その彼女の魔力量でさえリアの足元にも及ばない。僕がリアの魔力を好きに使って訓練に励めばどれだけすごい魔法が使えるようになるか想像もつかない。


「危険性はこの水晶の比ではありません。彼──クリスだけはどんな手段を用いてでも排除しなければならない」

「じゃあ、どうしてクリスを殺さなかったの?」


 シビル先輩が冷静に指摘する。


「彼の背後に何者がいるのか把握しきれていなかったからです。相手によっては仕損じていた可能性もある。あるいは彼など策の一つに過ぎないかもしれない」

「僕に裏なんてありません。誰かに命令されたわけでも──」

「シルヴェール・レルネ。『調律の魔女』の息子がオリアーヌ殿下を救う鍵となる力を持っていて、同時期に入学してくる。そんな偶然が本当にあると思う?」


 酷薄な笑みと共に『爆炎の魔女』は僕を見つめた。

 そう言われてしまうとさすがに言葉に詰まる。僕は自分の意思でここまで来た。そのつもりだったけど、例えば『あの人』がどこの誰で、どんな目的で僕を養ってくれたのか全部知っているわけじゃない。裏があった可能性は残っている。

 母さんのことだってまだわからないことだらけだ。

 僕の能力が最初から「リアを助けるために」用意された可能性だってある。

 だけど。

 だとしたら。


「三年と少し前。僕の母さんが殺されたのもなにか関係があるのか?」


 くすくす、と、笑い声が地下室に響いた。

 クローデット・フォンタニエは心底おかしそうに笑うと僕を侮蔑の表情で睨みつけて、


「あの子の企みを潰すために仕掛けた策だったのだけれど、まさか本命が息子のほうで、しかもあの爆発でも殺せなかったなんてね」

「っ!?」


 瞬間。

 僕の頭の中は完全に真っ白になった。

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