第二十六話 世界を統べる教え

 「これを知らずして、どうやって我々の元にやって来るエネルギーメジャー達に対抗しようというのだ?」

 とある資源国においては、富豪達がこう言ってある宗教の教典を配っているのだそうだ。これは彼等の元に訪れるエネルギーメジャー達の思想を理解し、対策するためである。

 宗教・民族の垣根を超えて平等であるべしとの建前ではあるが、一部の業界において特定の宗教・民族が幅を利かせているのは、よく噂される話である。


 ~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~



         §      §      §



「あ゛あ゛あ゛あ゛っ! クソがーっ!!」


 俺は思わず棍(こん)を地面に叩きつけてへたり込む。

 村のみんなの拍手と歓声の中、最後の攻防で何が起こったのかさえも頭の中で整理できぬまま、俺は一人絶望に浸っていた。

 俺がギルドの訓練生になる以前から欲していたもの、冒険者になってからもずっと追い求めていたものは、今回も手に入らなかった。俺はそれを手に入れるため、あと何度同じ思いをしなければならないのだろう。


「いい勝負だった! 感動したぞ! 俺は!」


 近くでガフトの声が聞こえる。


(うるせぇ! バカ! 黙ってろ!)


 俺は悔し涙をこらえながら、心の中でガフトに悪態をつく。

 しかしコイツは想像以上に単純な男であるようだ。直前に自分がボロ負けしたことも忘れ、素直に俺達の試合に感動していられるのだから。

 駆け寄てきた笑顔のガフトは、覆いかぶさるようにして俺の肩を抱いてくるが、今はそれが苛立たしく感じる。


「引き分けだな」


 見上げるとキースが右手を差し伸べている。全力で戦った相手の笑みが、不思議な事に俺のささくれ立った心を少しずつ静めてくれていた。


「いえ、キースさんの勝ちです」


 俺はうつむいたままキースの手を握って立ち上がる。


「君にとってはそうなのかもしれないが、僕にとってはさっき転んだとこを君に見逃された時点で負けなんだよ。

 だから、間をとって引き分けという事にしておいてくれないか?

 それに……」


 キースは顔をイザネの方に向ける。


「もし勝ったって事になると、僕は約束通り君の師匠と試合をしなきゃならない。

 こんな勝ち方で、『勝ったから勝負してください』って言うのはいくらなんでも恰好が悪すぎるじゃないか。だから引き分けって事にしたいんだよ」


「まぁ、そういう事でしたら……」


「ありがとう!」


 俺のいまいち煮え切らぬ返事に、キースは相変わらずの笑顔で答えてくれた。


「この勝負は引き分け! 引き分けだーっ!」


 キースは観客達に向かって声を張り上げた。

 一層勢いを増す村のみんなの拍手と歓声の中、心に沈殿していた暗いものが晴れていく心地よさを俺は感じていた。

 負ける度に罵倒され、蔑まれていたギルドの訓練生時代の心の傷は未だに俺の中に健在であったが、負けても健闘を称えられ、称賛を受けるこの体験はそれを癒す効果が確かにあったのだ。


「キースさんよ、俺様とも勝負してみちゃくれねぇか?

 ちょっと試してみたい技があってな、あんたなら練習台に丁度よさそうだ」


 振り向くと、すぐ後ろに段が立っていた。


「ジョーダン、試合が終わって疲れているところに、いくらなんでもそれはないんじゃないか? 技を試すならイザネが相手でもいいだろ?」


 俺は勝負の余韻に水を差されたような気がして、段に顔をしかめながら言ってやった。


「イザネはガードが固すぎて相手しててつまんねーんだよ。なぁ、だからいいだろキース」


「ああ、構わないよ。ジョーダンさん、あんた優しいんだな」


 それがさも当然の事であるかのように、キースは木剣を携えて段から距離を開けた。


「俺の武器はこいつだ。だから、寸止めでいこうぜ」


 段は拳を握り、拳闘の構えをキースに披露する。


「あんたはモンクなのか?

 でも、いくらモンクでも武器を持った相手に素手はないんじゃないか? せめてヌンチャクとかトンファーとか、モンク用の武器を使うものだと思っていたが?」


 段の恰好は怪し過ぎて到底モンク(武道僧)には見えないが、そのハゲ頭と拳闘の構えからキースはそう思ったのだろう。


「ああ、武器を持つ相手の間合いで戦うやりにくさは、こないだ体験したばかりだ。だから、その対策用に覚えた技を試してみたいんだよ」


 段は槍を持ったホブゴブリン達を相手にした時の事を言っているようだ。そして、その段の台詞はキースの興味を掻き立てるものでもあったようだ。


「面白い、その技は僕も是非見てみたいよ!

 村長さん、すまないがもう一度試合開始の合図を頼む!」


 キースは待ちきれない様子で木剣を構え、ブライ村長が再び広場に進み出る。


「やりすぎないでくれよ、ジョーダン」


 村長はそう念を押してから片腕を青空に伸ばし、段はそれに合わせるかのように左腕を下げたまま前に突き出して、拳闘のステップをその場で踏みはじめる。


「………………はじめっ!」


 村長が腕を振り下ろすと同時に、段は頭の動きでフェイントを掛けながら瞬時に右構えのキースの背中側へステップインしていた。5メートル近くあった両者の間合いが一瞬の内に3分の1に縮まる。


ッシュ……


 段の左腕がキースの顔へと延びたかと思えば、段はまた元の間合いへとあっという間にステップアウトしていた。


※ 挿絵

https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16818093073584505428


つ……


 段の動きに反応できず、一歩も動けなかったキースの鼻から血が垂れると、段が片腕を高々と掲げた。観客たちは何が起こったのか暫くわからず静まり返っていたが、数秒の時間差を置いて歓声が上がる。


「まいったな、まさかここまで伸びてくるパンチがあるとは」


 左で鼻を拭いながら差し出したキースの右手を、段は迷わず握り返す。


「付き合ってくれて助かったぜ。ありがとうよ」


 キースとの握手を済ませた段は、こちらに歩きながら手を上に掲げる。ハイタッチの構えだ。


(あいつ、ぜんぜん力の加減をしないから痛いんだよな)


パンッ


 俺が段に合わせて手を上げると、思った通り掌にハイタッチの衝撃ととんでもない痛みが伝わってきた。


「おいジョーダン、ちゃんと寸止めしたんだよな? キースさん鼻血出てるぞ」


「ぬふふふふ。ところがどっこい拳は触れる直前で止まってるんだぜ」


 段は得意気に笑って、拳を構える。


シュ……


 段の拳が俺の顔の前を通り過ぎ、前髪がパンチで巻き起こった風で浮く。


「風圧……だよ」


 段はそう言ってわざとらしくウインクしてみせると、次のハイタッチの犠牲者の元へと駆け寄る。


「ゼペッーーーク!」


パァンッ


「こら! ちょっとは加減しろジョーダン!」


 遠慮なしのハイタッチでダメージを受けた右手を庇いながら、ゼペックさんが段を叱りつけ、周囲のみんなの笑いを誘った。


「さぁさぁ! 試合はここまでといたしましょう!

 ご用のある方は、宿に停めてある私の馬車までいらしてください! 本日も良い品を仕入れておきましたよ!」


 マークさんがまだ試合の興奮さめやらぬ広場に向かって大声を張り上げる。


「べべ王さん、街まで同行する話は、商売が終わってからという事で」


「了解じゃ」


 マークさんは隣のべべ王に一言そう告げると宿の方へと歩きはじめ、村のみんながぞろぞろとそれに従う。


「惜しかったなカイル」


 気付くと俺の肩にイザネが手を置いていた。


「わりぃ、勝てなかった」


 俺の謝罪を聞いたイザネは、なぜかキョトンとしてている。


「何言ってんだ? あれは俺の教え方が足らなかったとこに付け込まれただけだぞ。

 二度とあんな負け方させないように鍛えてやるから、楽しみにしとけよ」


 イザネは笑顔のまま少し済まなそうに眉でハの字を描いてみせてから、俺と一緒にみんなの後を追った。



         *      *      *



「なんだい! これっぽちなのかい!?

 これじゃ秋までもたないどころか、ファルワナの祭りにだって足りやしないじゃないか!」


 マークさんの馬車から運び出された商品を見て、マーサさんが不満の声をあげる。

 確かに並べられた商品の量を見ると、種類によって数に大きなバラつきがあった。一部の商品はまるで仕入れに失敗したかのように、数が極端に少ないのだ。


「実は、私が懇意にしていたこの周辺の村々の殆どが、モンスターによって壊滅しているんですよ。

 そのため、仕入れがままならなかったのです。この村が生き残っている事すら、私にとっては僥倖(ぎょうこう)でして……」


 マーサさんが一通りの不満を吐き出すのを待ってから、マークさんは重々しく口を開いた。


「マークさん! その話、もっと詳しく聞かせてくれ!」


 そして、その話に血相を変えて飛びついたのは、ブライ村長だった。


「この周辺のモンスターが増えている事は、新村長もご存じですかな?」


「ああ、詳しくは知らんが増えているとは聞いている。

 しかし、周辺の村々がことごとく壊滅する程とは思わなかった。だいたい、魔物が大量発生した事は今までだって何度かあったろう」


「そうですね。

 ゴブリン程度の魔物が多少増えただけでしたら、例年通りの事ですから大した被害にならなかったのでしょうが、今年は大猿の化け物までこの周辺に繁殖地を広げてしまいましたから」


「ああ、その化け物ならうちの村の近くにも来た。

 召喚ゆ……冒険者達がおらねば、この村も大変な事になっておったろう」


 村長の言葉を聞き、マークさんはちらりとべべ王達と俺の方を見てから話を続ける。


「その大猿の化け物が曲者でして、なにせこの辺りには生息していなかったモンスターですから、退治のために雇った冒険者達もことごとく返り討ちに合ってしまっている有様なんです。

 私が雇ったキースのパーティ以外には、討伐に成功した冒険者を私は知りません」


「そっからは俺が説明するぜ」


 マークさんの後ろに控えていたガフトが、大きな声を上げながら胸を張った。


「俺はあの猿野郎の生息地、北西のヴァーチクルの出身でな、詳しいんだよ。

 あの大猿、普段は縄張りを守って外にはあまり出ないんだが、一度縄張り争いが起こると狂暴化して周囲を荒らしまわって手が付けられねぇんだ。で、壊滅させられたここいらの村はその縄張り争いに巻き込まれたか、大猿に荒らされた後に大量発生したゴブリン達に狙われたかの2パターンだな。

 猿騒動のどさくさに紛れて村を襲いまくって、勢力を増したゴブリンの群れも幾つかあるって聞いてるぜ。

 大猿を退治しようにも、他の大型モンスターのように力任せとの巨獣と思って挑むと、その身軽さと素早さに翻弄されちまう。おかげで大猿の知識のないこの辺の冒険者は正面から挑んでは、大量の死傷者を出しちまったって訳だ。

 あれを退治するには、その習性を利用して罠にかけてから仕留めるのが定石だが、その習性というのがまた特殊で……ててて……フィル! 何をしやがる!」


 話に熱が入り過ぎて、マークさんの”もういいから下がれ”のジェスチャーを見逃したガフトが、魔術師風の冒険者仲間に耳を引っ張られて後ろに引っ込む。


「……なるほど、あの大猿が他の村にまで……」


 顎に手を当てて話を聞いていたブライ村長は、目を細めながら口を開いた。


「しかし分からぬ。それほどの惨状ならば、なぜ領主様は兵を動かさぬ。

 マークさん、あんた達の言う事が本当ならば、もう冒険者達だけに任せておける状況ではないだろう。こんな時のための軍ではないのか!?

 今までモンスターが大量発生した年は、いつもモンスター討伐の兵を出していたではないか! 領主様さえいつものように早く動いてくだされていれば、このリラルルの村とてこんな有様にはならなかった!

 住民の殆どが既にこの村を棄てたのだぞ! 兵も出してくださらぬのなら、なんのために我々は領主様に税を納めているのだ!」


 ブライ村長の声は途中から熱を帯び、興奮で震えだし、最後にはその拳をマークさんの商品の木箱にドンッと叩きつけた。街ほどではないにせよ、領地内の村々にもそれなりの税金はかかっているのだ。


「今年はクザーラの休息の年です」


 マークさんの言うクザーラとは富豪の多い民族で、独自の宗教を信仰しているらしい。少なくとも俺は、それくらいの事しか今まで知らなかった。


「クザーラの金貸し共が、なにかしでかしたのか!」


 ブライ村長は、拳を木箱の上に置いたまま、震える声でマークさんに問いただす。


「8年に一度のクザーラの休息年には、クザーラ人達は金の流れを止めるのです。彼等の教義によれば、その年には休息をとらなければならないと定められているからです。

 そして普段から国や貴族に金を貸していたクザーラ人の富豪達が、それを止めてしまったので、軍費を捻出するのも今は容易くはないのです。

 ですから領主様は軍を動かしたくとも、動かせない状態なのですよ。皆さんの納めた税だって、その何割かはクザーラへの借金返済に充てられていると聞きます」


「クザーラ人の事は単なる噂と思っていたけど、本当にそんなに凄い力があったのかい?」


 マーサさんが夫の興奮をなだめるようにブライ村長の肩に両手を置きながら、マークさんに尋ねた。


「ええ、財政・金融の専門家もクザーラ人だらけですよ。

 世界中の王国の金庫番さえも、多数のクザーラ人が混ざっていると聞きます。彼等を無視できる国は、もうないのやもしれんません」


「よもや、国教でもない一民族の宗教の教義に、国どころか世界の行く末すら左右される事になっていようとは……」


 興奮は冷めたものの、村長はまだ肩を落としたままだった。


「国や世界の事より、今はファルワナ祭と秋までの蓄えだよ。

 べべちゃん達、あんたら町に行くついでに買い物を頼まれてくれない? ギルドへの登録に幾らか時間は掛かるかもしれないけど、買い物する時間くらい余るでしょ?」


「構わんよ。

 帰りは自分達用の馬車を調達して戻る予定じゃし、少しばかり帰りの積み荷が増えても問題ないわい」


 マーサさんのお願いにべべ王が即答するが、たぶんこれは何も考えずに条件反射でしたものだろう。この爺さんは、いつも楽観視ばかりしており、いい加減に安請け合いをする悪い癖があるのだ。

 俺は慌てて、頭の中で日程を計算する。


 リラルルの村からゴータルートの街までは馬車ならば半日かからないくらいの距離だ。

 今日マークさんはこの村に泊まり、明日の午前中に村を出発すると考えるならば、ゴータルートで一泊したとしても、翌日中にギルドの登録をして、買い物を済ませ帰るだけの時間はある。

 だが、ギルドへの登録と買い物を一日で済ませるならば、村に戻るのは夕方になってしまう計算だ。


「ちょっと待ってください、マーサさん。

 ギルドへの登録と買い物を済ませて帰るとなると、この村に戻るのはファルワナ祭当日の夕方になってしまいますが、大丈夫ですか?

 それと、秋に向けての蓄えを買うのは後日でもいいですよね? ギルドへの登録さえ済ませてしまえば、みんなでいつでも街へ入れますから問題ないと思いますけど」


「ギルドへの登録とは、そんなに時間がかかるものなのですかカイルさん。

 私は登録など、ギルドの窓口に行けばすぐに済むものと思っていましたが」


 東風さんが少し慌てた様子で俺の話に割り込む。恐らく東風さんも頭の中で咄嗟に日程を計算していたのだろう。


「ちょっといいかな?」


 その時キースが軽く手を上げた。キースは一同が自分に注目したのを確認してから落ち着いて話はじめる。


「君等はギルドの訓練所へ通ってた訳じゃないから、登録の際には簡単なテストがあるんだよ。

 長くても1時間はかからないと思うが、それでもそれなりに時間は食うと思っておいた方がいい。

 それから君等の中にソーサラーなどの魔術師系のクラス、あるいはシーフクラスを持つ人はいるかい?」


「俺様は魔術師系だな」


「私は盗賊として登録する予定です」


 段と東風さんの返事にキースはその切れ長の目を大きく見開いて驚くと、苦笑いを浮かべながら話を続けた。


「ならシーフギルドとマジックギルドへの登録も必要になる。

 僕はファイターだからそういう組織と無縁なんだが……フィルは分かるか?」


 キースが魔術師風の冒険者仲間の方に目で合図すると、真面目そうなその男は初めて俺達に向かって口を開いた。


「フィルデナンドです。

 シーフギルドの方はわかりませんが、マジックギルドへの登録は通常なら早く終わりますよ。

 ただ、あなた方の場合は街の人間でもありませんし、名の通った魔術師でもありませんので冒険者ギルドと同じように簡単な試験があると考えておいた方がいいでしょう。

 もしかしたら魔力測定もあるかもしれないですね。時間は10分とかからない試験ではありますが、問題は……」


 フィルデナンドさんは東風さんを見上げる。


「あなた、本当にシーフクラスなんですか?」


「え? ええ、そうです。

 正確には盗賊の上級ジョブの忍者なのですが」


 東風さんは首の後ろに手を当てて、フィルデナンドさんを見下ろしながら答える。


「そうですか……あ、いえ、私は忍者というクラスは知らないんですが、あなたのような大きな体格のシーフは見た事がないんですよ。

 その、シーフというのは目立つようでは務まらないクラスなので、あなたのような大きな体格の人は普通は……あぁ、まぁいいんですけど。

 でも、シーフギルドは目立たない場所にある狭い建物だと聞きますから、あなたの体で入れるかどうか」


「なるほど、そういう事でしたら影に潜ってシーフギルドの中に入る事にいたしましょう。あれなら狭い建物でも自在に入れますから」


 東風さんはフィルデナンドさんの懸念に対し、事も無げに答えてみせる。


「”影に潜る”って、それこそあんたの持つ召喚勇者としての特殊スキルじゃないのか?」


 東風さんの話に目を白黒させて固まっているフィルデナンドに代わって、キースが質問を投げかけた。


「いえ、忍者の基本的なスキルですよ」


「はは、なんでもありだな、あんた等は」


 東風さんの言葉に、キースは引きつった笑いを返した。

 マーサさんは、俺達の話が一区切りしたのを確認してコホンと咳ばらいをする。


「この人達は非常識な真似ばかりしてるから、あんた達もこれから付き合うなら慣れないとね。

 で、さっきの話だけど、買い物の時間が限られてるようだし、緊急に必要になりそうな物だけ買ってきてもらうって事でいいかねみんな?

 あたしは文字が書けるから、買い物のリストはあたしがまとめるよ」


「すぐに必要な物があったら、夜までにあんたに言えばいいかいマーサ?」


「ええ、そうよマーガレットさん」


 マーガレットさんとのやり取りを聞いた残る村の人達は、次々に賛同の意を口にしてうなずいている。


「そういう事だから、さっきの日程で大丈夫だよべべちゃん。

 ファルワナ祭の用意で足りないのも料理で使う果物くらいだから、当日の夕方までに帰って来てもらえればなんとか間に合うわよ」


「了解じゃ。折角じゃから、ついでになにか街の土産でも買って戻ろうかの」


「変な物を買って来るんじゃないよ、べべちゃん」


 マーサさんが、べべ王に向かって半笑いで注意する。


「やれやれ、これでは旅商人かたなしですな」


 ようやく話にけりが付いたのをみて、マークさんが口を開いた。


 「今回は特別に一割……いや二割お安くしておきますので、まずはお買い上げよろしくお願いします」


 割引の宣言が効いたのだろう、村人達は勢いよくマークさんの商品に群がりだした。



         *      *      *



「なんと、盗賊が街道に……それはどこら辺なんだい?」


 村人達が買い物を済ませた後、俺達とマークさんの一行はブライ村長の家で明日以降の予定を細かく詰めているところだった。

 マークさんから盗賊の話を聞き、同席していたブライ村長は不安げな顔で机の上に身を乗り出している。


「ご安心ください、盗賊が出るのはゴータルートから馬車で1~2時間程度の場所です。この村からは離れていますよ」


 マークさんの情報からすると、盗賊が出没するのはゴータルートの街に近い地点であり、盗賊達の狙いは街を出入りする旅商人であろう事が推測できる。この村にまで盗賊がやってくる可能性はほぼないだろうし、盗賊達としても貧乏な村を襲うより街を出入りする旅商人を襲った方がはるかに効率がいい。


「ふむ、しかしそんな状況でワシ等が村を留守にして、いいものかのう?」


 べべ王にはそういった事情が分からないのだろう、不安を口にしながら村長の顔色を伺っている。


「大丈夫だよ。

 盗賊達の狙いは街を出入りする人達の財布のようだし、モンスターももうこの村周辺にいたやつは全部あんた達が退治しちまってる。

 それにこの機会を逃したら、街で冒険者登録できるのは次にマークさんが来る秋まで待つ事になるぞ」


「だったら今行くしかねぇな。秋までみんなで冒険するのがおあずけだなんて、もう俺様は我慢できる気がしねーんだよ」


 ブライ村長の話を聞いたせっかちな段が、それに即座にうなずいた。他のみんなも特に異論はない様子だ。


「それにしても、街の傍の街道に盗賊が出るのに、領主様は本当に兵を動かさぬのかマーク?」


 村長さんはマークさんに問いただす。が、しかし先ほどもそうだったのだが、ブライ村長の方がむしろ領主を当てにし過ぎているように俺には思えた。

 約束や義務というものは、相手と互角以上の力を持っていなければ機能しないものだ。

 領主と領民の関係では、領主はなんとでも言い訳をして約束を違える事が可能だが、領民はどんな事情があろうとも領主の権力によって約束の履行を強制されるのだから。

 現に、領民との約束や義務を忠実に守る領主などこの国にはいない。貴族や王族の語る”領民を守る義務”など、所詮は自分達に領民を従わせるための方便に過ぎないのだ。

 ごう慢な支配者層に言う事を聞かせるには、それこそクザーラ人達のように奴等の財布を握りでもしなければ不可能だ。


「一応、冒険者ギルドが懸賞金を出しているようなのですが、額が安すぎて……」


「あんなはした金じゃ誰もやらねーよ。こっちだって命がけの仕事なんだぜ」


 マークさんの隣の席で肘を机に着いて頭を支えていたガフトが、呟くように愚痴を漏らす。


「はぁ~~っ」


 思わず出たのであろう、村長さんの大きなため息が部屋に漏れ、一瞬だけ静けさが訪れた。


「では、そろそろまとめに入りましょうか」


 そして、この部屋に訪れた静寂を破ったのは、腕組みをして皆を見渡していたマークさんだった。


「私からべべ王さんのパーティへの依頼は、この村からゴータルートまでの護衛。そしてそのついでとして、べべ王さん達が街に入れるように手配を致します。

 出発は明日の朝食後、街に着いたならばすぐに自由行動といきたいところですが、私の商売の手伝いをするという名目で街へ入る許可を得る訳ですから、アリバイ作りのため明日一日一杯は私の商売の荷運びを手伝って頂きます。

 そして明後日以降は、買い物に行こうが、ギルドに行こうが自由にしていただいて構いません。

 街から出る時はギルドで冒険者登録を済ませた後でしょうし、私と別行動でも問題ないですよ。冒険者の資格さえあれば、好きなタイミングでこの村に戻れます」


 マークさんの説明を聞き、べべ王が大きくうなずく。


「わしはそれで問題ないと思うが、みんな特にないか?」


 べべ王は俺達の方に視線を向けるが、みんなもそれで納得している様子だった。


「ではマークさんの提案のとおり明後日にギルド登録を行い、その後でのんびり買い物をするとしよう」


「あー、それは止めた方がいいですよべべ王さん」


 突然、フィルデナンドが口を挟んだ。


「ファルワナ祭で市場は混み合ってますから、朝イチで買い物しないと商品がなくなっちゃいますよ。

 ギルドなんていつでも空いてるんですから、その後でいいでしょう」


 言われてみれば、確かにファルワナ祭前の市場は毎年人だかりで埋め尽くされる。

 こないだまでゴータルートの街で生活していた筈なのに気づかないなんて、我ながらどうかしていた。みんながあの街の話をしている最中にも俺はボーっとしていて、そこで生活していた事すら思い出そうともしなかったのだから。まるで他人事であるかのように。

 もしかすると俺は無意識にあの街での生活を、記憶から消そうとでもしているのだろうか? あの街にいい思い出など殆どなく、その方が俺にとっては都合が良いのかもしれないが。


「そうなんですか。細かい事まで教えていただきありがとうございますフィルデナンドさん」


「フィルでいいですよ東風さん」


 東風さんとフィルデナンドが互いに頭を下げたところで、部屋のドアが開き、マーサさんが顔を出す。


「そろそろ話はまとまったかい?」


「今終わったところさ」


 ブライ村長はそう答えて席を立つ。


「なら丁度良かった。

 マークさん、いつも通りあんたを歓迎する宴会をするから広場に来とくれよ。

 それとべべちゃんにはこれ」


 マーサさんは炭で文字を書いた布を、べべ王に差し出した。


「買い物リストを作っておいたから、忘れないでおくれよ」


「ヘーイ」


 べべ王はその布を指の上でくるくる回しながら、マーサさんに向かって適当に答える。


「それとイザネちゃん、宴会の料理とお酒を運ぶのを手伝っておくれよ」


「あいよー」


 退屈そうに話を聞いていたイザネは、元気よくマーサさんの元に駆け寄り、一緒に部屋を後にした。


「では、契約成立という事で」


 マークさんが右手を差し出しべべ王がそれを握り返すと、それを眺めていたブライ村長が口を開く。


「もし街道で盗賊に出くわしたら、決して逃がさずに退治しておいてくれよべべさん。

 あんなとこに盗賊がわいたら、益々この村が貧乏になりかねん」


 頼りにしていた領主への信頼が切れたためか、村長は未だに表情を曇らせたままだった。

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