第二十一話 神の世界
※ 今回の話に含まれるネットゲーム用語が分からない人は以下の用語解説を参照してください。
https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330667713499439
§ § §
我々の住む世界は神様が作ったっと伝えられている。無神論者は否定するだろうが、殆ど全ての宗教でそう信じられているのは確かである。
一方ゲームの中の世界では、神すらも創作物の一部であり、舞台装置の一つに過ぎない。
~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~
§ § §
「それじゃ、こいつらゴブリンに命令されて俺達を襲っていたのかよ。
そうと知っていれば手加減してやったのに、かわいそうな事をしたかな」
イザネは寂しそうに地に倒れ伏した狼を見下ろしている。たたずむイザネの上に風が青い落ち葉を宙に舞わせ、降らせ続けている。
「それにしても、どうしてゴブリンが狼を飼うのじゃ? ルルタニアでは、ゴブリンが狼に命令してるところなど見た事がなかったぞ」
「飼いならした狼をゴブリンは乗騎として使うんだよ。 狼の背に乗ってゴブリンが人を襲うんだ」
首を傾げるべべ王に向かって、俺はギルドで学んだ知識を披露する。狼に乗ったゴブリンはゴブリンライダーと呼ばれるのだと、そこで俺は教えられていた。
「ルルタニアではプレイヤーが馬にすら乗れなかったのに、ここではモンスターさえも騎乗できるんですね」
「前から思ってたけどよ、この世界の開発は本当にマメだよな」
東風さんと段が、いつものようによくわからない会話を交わしている。
普段の俺は、こういう会話に深く突っ込まない事にしていた。ルルタニアについてなにか質問してみても、四人の答えはどうせ「仕様だから」「システムだから」の一辺倒なので、俺は彼等の世界を理解する事をもう諦めていたのだ。
しかし諦めてはいても、長く付き合ううちに彼等の世界についてわかった事がいくつかある。”開発”と呼ばれる者が、彼等の世界の創造主である事。そしてその開発と呼ばれる者はズボラな性格で、世界をいびつで不完全に作ってしまったがために、彼等は不満を持っているという事だ。
十中八九、それこそがこの世界と彼等の世界の決定的な差なのだと、俺はようやく理解するに至っていた。
「この世界に開発って奴はいないよ。この世界を作ったのは神様だからね」
途端に、四人がざわめきだす。俺の言葉がそんなに意外だったのだろうか?
「神? 神アプデとか、神開発とか、そういうのか?」
またまたよくわからない言葉が、段の口から飛び出す。
「いや、アプデでも開発でもなく神様だよ」
「けどよ、神様って言われてもピンとこねーよ。あいつらスゲー存在って事になってるけど、基本ストーリー上のイベントでしか活躍しねーし」
混乱する段とは対照的に、その後ろで東風さんがなにかに納得した様子で深く頷いている。
「考えてみれば、ここにはルルタニアに中途半端にしか存在しなかった物も、飾りとして形だけしか存在しなかった物も、完全な姿で存在していますね。
ルルタニアがユーザーから見て不完全な世界だったのに対し、ここは完全な世界と言えるのかもしれません。神が作った世界だといわれるのも、わかるような気がします」
東風さんの言葉に耳を傾けていたべべ王は、まるでこの世界を見上げるかのように夕暮れに赤く染まった空を仰ぐ。
「確かにここには、マスター達がいくら運営に乞うても実現しなかった物が殆ど存在しておる。マスターからはぐれてしもうたワシ等がそれを堪能しているというのは、皮肉な話じゃのう」
「そうかぁ? ルルタニアの方が冒険しやすかったし、むしろよくできてたと思うぜ俺は」
段だけは相変わらず腑に落ちない様子だ。
(そういえば……)
イザネがさっきから静か過ぎるのに気づいて振り向くと、彼女はまだ寂しそうに狼の死骸を見つめていた。
「こいつらもゴブリンに利用されていただけなんだし、せめて死体は埋めてやるか。誰かさんが魔法で大穴を掘ってくれたことだしさ」
俺はなるべく明るく大きな声でそう提案し、段が魔法で森ごと地面をえぐった跡を指した。段の作った地割れの底には、つい先ほど天高く舞っていた岩や木々が降り積もっていて、死骸を埋めるにはおあつらえ向きに地面も柔らかそうだ。
「そうだよな。それくらいは、してやってもいいよな」
イザネの表情が、少し明るく変わってくれた。
普通なら感傷に浸り、死んだ狼などに構っている暇はない。大至急村に戻って対策を講じなければならない事態だ。近くでこれほど多くの狼が飼育されていたのだから、大規模なゴブリンの群れが村に迫っていると考えねばならない。
しかし今は事情が違う。
大猿ですら赤子扱いできる冒険者が四人もいるのだ。ゴブリンが何匹いようがいつでも退治できるだろう。
(これだけの事態なのに、焦る必要すらないとはね……)
俺はまずショートソードで仕留めた狼を穴の中に運び、軽く手を合わせた。その骸は存外に重く、そしてまだ温かかった。
* * *
「心配ないですよブライ村長、ゴブリン相手なら戦いにもならないですよ。害虫駆除みたいなもんです。
今からだと遅くなりますから、朝を待ってまだ動きの鈍いゴブリンを退治してきます」
俺達の口からゴブリンの再来を知った村長の動揺は、事前に予想していた通りだった。額にしわを作る村長を、俺は精一杯元気な声でなだめようと試みていた。
(この場にいるのがブライ村長一人で本当に助かった。他の人達まで集まってたらどんな騒ぎになっていた事か……、特に臆病なバンカーさんがここにいたら……)
狼退治を終えた俺達五人は、その報告のため村長宅の一室に集まっていた。
「カイルくんがデニムと退治したゴブリンの群れも、もしかすると……」
「ええ、大きな群れの一部だったと考えられますね。
数の多い群れの割にリーダーを務める亜種がいないのは不自然だと、デニムも考えていたみたいですし」
俺の見解を聞いて、村長は複雑な表情を浮かべる。
「そうか、大猿退治の報酬でさえ払えていないというのに済まないな」
「気にする必要はないぞ村長」
ずっと俺と村長の会話を静観していたべべ王が、初めて言葉を発した。窓から差し込む夕日が、べべ王の白ヒゲをオレンジに染めている。
「ここは既にワシ等の村でもある。
金に不自由している訳でもなし、自分達の居場所を守るのに報酬を求めようとも思ってないわい」
「たまにはいい事を言うじゃねーか、ジジイ」
段がべべ王の頭を遠慮なくバンバン叩く。
「さて、明日は早朝からゴブリン退治に行く事だし早めに休ませてもらおうかの」
「ああ、よろしく頼む。村長として本当に感謝するよ」
べべ王が席を立ち、皆がそれに続く。俺も一緒に立ち上ろうとした、その時だった。
(……もしかして、この辺りの魔物が増殖しているのか?)
ふとそんな不吉な考えが脳裏をよぎり、俺は慌てて首を振ってそれを否定する。
ゴーダルート周辺では見かけなかった大猿がここの周辺で縄張り争いしていたのも、沼のスライムが大量発生したのも、今回のゴブリンの群れについても、周辺で魔物が大量発生しているなら全て説明がつく。しかしそれは、俺達の住むリラルルの村だけでなく、この近くの村々もまた同様に、魔物の被害に遭っているという事にもなるのだ。
「なんじゃカイル、難しそうな顔して」
つまらぬ考えに取りつかれて立ち上がるのが遅れた俺を、べべ王の髭面が不思議そうに見つめていた。
* * *
「のぉカイル、いくつか聞いておきたい事があるんじゃが……」
俺達五人が村長の家を出てすぐに、べべ王が口を開いた。
「なぜ、おぬしはそんなにゴブリンの事に詳しいのじゃ?」
俺にとってそれは意外な質問だった。それはおよそ歴戦の冒険者が、駆け出しの冒険者に聞く質問ではなかったからだ。
「なぜって、ギルドで習ったからだよ。当たり前じゃないか」
家路を歩き始めながら、俺は何の気なしに答えた。
「そんなチュートリアルは覚えがないぜ。ルルタニアでゴブリンとは飽きるほど戦ったけど、一切なかった。
だいたいは知識ゼロの状態から戦って、モンスターのおおよそのステータスや行動パターンを把握していくのが攻略の基本だったし、朝か夜かでゴブリンの行動が変わるなんて事もなかったぞ」
イザネが怪訝そうに眉をひそめるが、俺にとってはそっちの方がありえない。
「嘘だろ! ギルドじゃ、”ぶっつけ本番でなんとかしようなんて奴は早死にする”ってさんざん教えられたぜ!」
とんでもない事を言う小柄な女戦士のせいで、俺の口から洩れる声がすっとんきょうに裏返る。
「デスペナが重い世界じゃから、ルルタニアと同じ要領で冒険する訳にもいかぬという事じゃろうな」
べべ王は顎髭に手を置き、なにか考えるそぶりを見せながら言葉を続ける。
「のぉ、カイル。今回のゴブリン退治のリーダーは、お前がやってみんか?」
「いいのかよ、このクランのリーダーは爺さんだろ!
それにさっき村長の家でも言ったとおり、相手がゴブリンとはいえ百匹以上いてもおかしくない群れを相手にするのに、新米の俺がリーダーで大丈夫か?」
俺は内心動揺していた。ベテランの冒険者パーティをまとめる自信など、当然ない。
「別に構わんよ。
この世界のゴブリンについてはカイルが一番知っておるし、わしらがルルタニアでやっていた冒険の仕方では早死にするのじゃろう?
もしカイルがどうしてもリーダーをやりたくないというのなら、話は別じゃが……」
べべ王は気後れする俺の心を覗くように、そしてなにかを試しているかのように片眉を上げてこちらを見やる。
「わ、わかったよ。リーダーなんてまともにやった事ないけどさ、みんなもそれで文句ないんだよな?」
俺は歩みを止めぬまま四人を見渡した。
「別にいいんじゃねーの? 百匹以上いたって所詮はゴブリンだし、誰がリーダーをやろうが俺は問題ないと思うぜ」
「何も知らずに、スライム退治の時のような事になっても困るしな」
「むしろカイルさんが適任だと思います。よろしくお願いしますね」
イザネも段も東風さんも、俺がリーダーを務める事に不安も不満もないようだ。
「ところでカイルさんは、モンスターの知識をどのくらいお持ちなのですか?
ゴブリンや狼やスライムについて詳しいのはわかりましたが、他のモンスターについての知識はどこまであるのです?」
「俺がゴブリンについて詳しいのは、駆け出しの冒険者がよく退治するモンスターなので、ギルドで念入りに教えられたからですよ。狼についても同じ理由ですが、スライムは要注意モンスターとして教えられました。
でも、ランクの高いモンスターの知識は、ギルドから教わってません。せいぜいオークぐらいの強さのモンスターの知識までしかないですよ」
東風さんに、俺は冒険者ギルドの講習内容を思い出しながら答える。まだそれほど月日は経っていない筈なのに、ギルドでの訓練の日々が遠い昔の出来事のように今は感じられた。
「じゃあ、強いモンスターを相手にする時には、やっぱり戦いながら攻略法を編み出すのか?」
まるで考えなしのその言葉に半ば途方に暮れてうなだれながら、俺は段の方に顔を向けた。
「そんな訳ないだろジョーダン。
強いモンスターの知識が欲しいなら、ギルドで先輩冒険者に聞けばいいのさ。場合によっては討伐経験のある冒険者に、依頼を手伝って貰う事だってできるだろ」
もっとも、チコのような金に汚い先輩に頼んだら、どれだけ吹っ掛けられるかわかったものではないのだが。
「ギルドに入らにゃならん理由が増えたのう。
まぁ、ワシ等は幸運なのやもしれぬ。強いモンスターに出会う前に、ルルタニアとこの世界での戦い方の違いを知る事ができたのじゃから」
べべ王が、顎髭をゆっくり撫で下ろした。
「そういや、旅商人が来るっていうファルワナの祭りまで、あとどんくらいだっけ?」
俺の顔を見上げるようにして、隣を歩いていたイザネが尋ねる。
「だいたいあと二週間くらいかな」
「ところで、ファルワナの祭りってどういうイベントなんですか?」
視線を下に向けてイザネと話していたら、今度は上の方から東風さんの声が降ってきた。
「ファルワナの祭りっていうのは”迎夏の祭り”とも呼ばれていて、夏の到来を祝うんです。飾りつけをしてみんなで踊ったり、祭り用の特別な料理を食べたりするんです。
そしてこの時期になると祭りの準備のために各村々との交易が盛んになるから、旅商人達もゴーダルートの周辺を巡るんですよ」
俺はもう忘れかけていたが、もともとこのリラルルの村に住むことになったのも、旅商人に紛れてゴーダルートの街に入り、そこで冒険者ギルドに登録するための手段だった。
「交易要素かー。ルルタニアじゃバザーくらいしかなかったよなぁ、そういえば」
赤ハチマキを風にたなびかせながら、イザネが呟く。
「祭りなら酒も飲めるんだよな!」
「お前はゼペックと毎日のように飲んでるだろ、ジョーダン」
浅黒い段のニヤケ面を、俺は横目で睨んでやる。
(まったく、これからゴブリン退治の用意だってあるというのに、どこまで呑気なんだよ)
冒険よりも祭りの方により強い興味を示すみんなの変化に、その時の俺はまだ気が付いていなかった。
* * *
「ほーらメルルー、べろべろばぁ~~!」
「キャハハハハ」
イザネが鼻栓を付けた顔で”いないいないばあ”をして、メルルが笑い転げる。
バンカーさんの宿の一階で晩飯をごちそうになりながら、俺達は作戦会議をしている最中だった。少なくとも俺は真面目にゴブリン対策を考え、説明していた筈だったのだが……。
「本当にこんな布を鼻に詰めて戦うのかよ! かっこ悪いにも程があるぜ!」
段がイザネの顔を見て文句を垂れる。この怪しげな恰好のハゲ頭は、わざとらしいくらいに嫌そうな顔をしてこっちに視線を向けた。
「ゴブリンの巣って臭いんだよ。実際に行ってみれば鼻栓があってよかったって思うぜ、きっと」
※ 挿絵
https://kakuyomu.jp/users/tekitokun/news/16817330667713458209
俺はゴブリンの巣に入った事はまだないが、ゴブリンの臭いの酷さはデニムとの冒険で経験済みだったし、鼻栓を用意するのはギルドでも教えられていた事だ。
「そのゴブリンの巣というのは、どこら辺にあるのか見当は付いてるんですか?」
ララさんの手作りスープを飲み干した東風さんが、俺に尋ねる。
「狼の群れがいた、すぐ近辺ですね。
何度も往復した跡があったから、あれを追えばすぐ見つかります。大規模な群れだから足跡も多いし簡単ですよ、たぶん」
「なぁ、この地図を使ってくれよ」
料理を運んできたバンカーさんが脇にはさんで丸めていた布のような物を、テーブルの空いたスペースに広げてみせる。
いつもは宿の仕事をララさんに一任して専ら力仕事をしているので、バンカーさんがここにいるのは珍しい。
「ほう、この村の周辺の地図じゃな」
フォーク片手にべべ王が、机の上を覗き込んだ。
「これ羊皮紙じゃないですか! こんな高そうな物をどうして?」
羊皮紙は、製造量の少ない高級品だった。職業にもよるのだが、庶民に文字を書く事ができる者が多い訳でもなし、紙を使うのは貴族や大商人が殆どだからだ。
なんでこんな小さな村の地図のために、そんな高価な物を使ったのだろう? 庶民が何かものを書くとしても、余った布を使うのが普通なのに。
「まだ村に余裕があった時に作ったんだよ。あの頃は新しく村に住んだ人達が欲しがったからね、せっかく作るならと奮発(ふんぱつ)したんだ。
最近では使う機会がなくてしまっておいたんだが、あんたらが使ってくれよ」
「そういう事なら、ありがたく使わせていただくかの」
べべ王はそう言って、軽くバンカーさんに頭を下げた。
「なぁ、この地図には現在位置が表示されないのかよ?」
段がべべ王の後ろから地図を覗きながら訪ねる。
「現在位置ってなんだい?」
バンカーさんが、目をしばたかせた。
「いやだって、自分達のいる位置が地図に表示されるもんだろう普通は?」
メルルをあやしながら、今度はイザネが尋ねてくる。
「貴族達が持ってる魔法の地図にはそんなのがあっても不思議じゃないけど、普通はないよそんなもん」
俺はとりあえずそう答えたが、本当にそんな便利な地図があるものか確信はできなかった。貴族達の所有するマジックアイテムとて、そこまで万能とは限らない。
「そうなのかぁ? でも現在位置がわからなきゃ迷うだろ?」
不満そうに口をへの字に曲げているジョーダンに、俺はポケットから方位磁石を出してみせる。
「これで方向を確認して、周囲の景色と地図を照らし合わせて位置を確認するんだよ」
「マジ? そんな器用な事ができるスキル、俺様はもってないぞ」
「慣れろ……」
俺はこめかみを抑えながら段にそう告げてやる。
「ほら、たぶんゴブリンの巣があるならこの崖の付近だ」
バンカーさんが地図の一点を指す。そこには森が途切れた先に崖がそびえ立つ図が描かれていた。
(なるほど地形的にみても、そこならゴブリンの住んでる洞窟があってもおかしくないな)
俺はバンカーさんに向かって頷いてみせる。
「確かに狼がいた場所からも近いですし、そこが怪しいですね」
「なぁ、今夜のうちにゴブリン達がこの村に来るなんて事はないよな?」
臆病なバンカーさんが、そう言って表情を曇らせた。
「まず問題ないと思いますよ。
万が一に備えて、ダニーとクリスに今夜は寝ずの番をしてもらう事になってますし、ジョーダンの奴が無駄に派手な魔法をぶっ放したんで警戒してるでしょうから」
「なんだよ、文句あんのかよ」
なぜか不服そうにこっちを見る段。
むしろ、あんな地形を変えるような魔法を使って、文句のひとつも出ないと思っていたのだろうか? 下手すりゃ、この地図だって書き換えなきゃいけない程の被害を森に出したというのに。
「あんな森を引き裂くような魔法を見たら、普通は警戒して自分達から攻めようなんて発想はしないだろ。
闘う気なら、大魔法の使えない自分たちの洞窟に誘い込んでから仕掛けるに決まってるじゃないか」
「なんで洞窟の中だと魔法が使えないんだ?」
「あんな魔法を洞窟の中で使ったら、こっちも生き埋めになるだろ!」
「ああ、なるほど」
今更”なるほど”もないものだ。周囲の状況を配慮して魔法を使うなんて、段には期待できそうもない。恐らくは、このゴブリン退治で最も気を付けなければならないのは、段の魔法による自滅だろう。
「なぁ、そんな凄い魔法があるなら、それで洞窟の入り口を塞いでしまえばいいんじゃないか?」
「なるほど、そういう魔法の使い方もあるのか! 頭がいいなバンカー!」
バンカーさんの提案に段がおおはしゃぎするが、そいつはダメだ。
「却下」
「なんでだよ!」
顔を近づけながら食って掛かる段から、俺はとっさにそっぽを向いて逃れる。
「洞窟の入り口が一つならいいけどさ、複数あったらそこから逃げられるだけだぜ。益々厄介な事になる。
だいたいジョーダンは、洞窟の中で使う魔法があるのかよ?」
「ん? 炎の魔法で問題ないだろ?」
「おまえの炎の魔法は威力が高すぎるんだよ。
洞窟の中では熱がこもるし、燃え広がった炎や熱風で息ができなくなる恐れすらある」
「じゃあ、毒霧の魔法はどうだ?」
「その魔法は見た事ないけど、洞窟の中だと俺達までその毒霧の影響を受けるんじゃないのか?」
「むー……」
段は少し首を捻って考え込んだ後、おもむろに拳闘のポーズをとる。
「じゃあいっそのこと、これで戦うってのはどうだ?」
「ああ、そうしてくれ」
ゴブリン達は用心棒の魔法使いを洞窟の中に誘い込み、自由を奪って殺すつもりだろうが、その魔法使いがモンクと化して殴り込んでくるとは夢にも思うまい。
「ゴブリンとの知恵比べに負けて死んだ冒険者もいると聞いている、あんたらなら大丈夫だと思うけど注意はしてくれよ」
バンカーさんは紐で地図を結わえ、改めてべべ王に差し出した。
* * *
『ラパルルリッパポポプルルン』
「ギャハハハハハ! なんだよその愉快な呪文は!」
「ひぃーー、笑い過ぎて腹が痛いわい!」
ゴブリンの洞窟の前で段とべべ王が笑い転げる。
敵地の目前だというのに、なんでこうもお構いなしに騒げるのだろうか、こいつらは。
「いいからその盾を出せよ、ジジイ」
べべ王が苦しそうに腹を押さえながら、大きな顔を模した盾を俺の方に差し出す。俺がその盾の額の部分に手を触れると、そこに光の玉が貼りついた。
「へえー、明かりになるのかそれ」
やはり笑いを押し殺した表情で、イザネが光の玉を見つめる。
基礎魔法の一つとして広く知られる明かりの魔法なのだが、彼等にとっては余程珍しいのだろう。
「まぶしい……」
不意に盾の方から声が聞こえた。
「これ、じゃま……」
(もしかして、この盾がしゃべっているのか?)
「どうじゃ素敵な盾じゃろ。なにかある度に愉快におしゃべりしてくれるのじゃよ」
べべ王は自慢げにそう言うが、ただただ不平不満を不愉快に垂れ流しているようにしか俺には見えない。
もともと敵に発見されるのも覚悟のうえで目立つ明かりの魔法を使ったのだがら、盾が声を漏らしたくらいで作戦に支障はない。とはいえ、常に士気が下がるような暗い声を垂れ流されるのは勘弁して欲しいものだ。明かりの魔法は暫くその効果を発揮し続けるから、どうしようもないのだが……。
「しかたない、このまま行こう。みんな鼻栓を付けとけよ」
俺はそれだけ言うと、ゴブリンの足跡だらけの洞窟の入り口に向かった
「確かにこの臭いは強烈じゃわい」
鼻栓をしたべべ王が先頭を行き、続いて段、その後ろに俺が洞窟に入る。洞窟から押し寄せて来たむせ返るような悪臭に、俺も顔をしかめた。
知識として巣穴の臭いが強烈な事は知っていたが、実際に潜ってみるとその臭いは想像を遥かに超えるものだった。先ほどまで味わっていた早朝の爽やかな空気が、もう懐かしく感じられてしまう程だ。
後ろを見ると狭い通路の天井につかえそうになりながら、東風さんが体を洞窟にねじ込んでいた。
(よかった、東風さんもちゃんと入れた)
俺が一番心配していたのは、体の大きな東風さんが洞窟の中に入れるのかという問題だったが、それはギリギリなんとかなりそうだ。
しかし裏をかえせば、それだけの広さがある洞窟なのだ。ホブゴブリンどころかチャンプと呼ばれるもっと大きなゴブリンの亜種さえ、この奥に潜んでいる可能性がある。俺は地面についた跡からそれを判断できないか調べようともしたのだが、ゴブリン達の足跡が何重にも折り重なっていてわからなかった。
「うええぇ……」
不意に後ろから声がして振り向くと、最後に洞窟に入ったイザネが鼻を両手で押さえて悲鳴を上げている。洞窟の中で身動きの取りにくい東風さんの護衛と背後からの襲撃に備え、イザネにしんがりを任せていたのだ。
とりあえず全員が隊列通りに洞窟に入った事を確認した俺は、小さな木の板とチョークを道具袋から取り出し、早速マッピング(洞窟の地図作成)を始める。
もし吟遊詩人が唄うならば、敵地に乗り込む緊張感あふれる冒険の始まりとして語られるべき場面なのかもしれない。だが、例えどんな亜種がいたとしても、どうせゴブリン程度のモンスターならば、防御の指輪のおかげで手傷を負う恐れすらない。だから楽な害獣駆除の仕事としか、俺は思っていなかった。
自分の身の丈に合わない強力な武装に対する負い目も失せてはいないが、ゴブリン相手ならば大猿のような獣相手とは話が違う。奴等は獣のように本能で人を襲うのではなく、明確に悪意を持って、卑劣な手段を用いて人を襲っている。そしてその結果、どのような悲惨な結末が待っているのか、ゴブリンに襲われた村を見て俺は知っている。
だから、ゴブリン相手にはどんな卑怯な手も許されると俺は考えていたし、むしろゴブリンを圧倒できる力を得ていた事を喜ばしくさえ思っていた。
(この魔導弓を使う事に、あんなに抵抗があったのに……俺は矛盾しているのかもしれないな。
けど、それで構わない! ゴブリンをはびこらせておく事に比べれば、それがなんだっていうんだ!)
この暗く不潔な洞窟に漂う風には、隠しようもない強烈な死臭が確かに混ざっていた。
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