運命は、すれちがったままじゃいられない

やなぎ怜

(1)

 ラップトップパソコンの画面に映っているのは、人気アイドルがダブル主演する今期話題の恋愛ドラマ。内容は、アルファとオメガの大波乱の「運命」を描くという、言ってしまえば使い古された題材。けれどもアルファとオメガの「運命」にロマンチックなものを見出す人間は多いのか、放送のたびにSNSのトレンド欄を席巻している状況だ。


 かくいう私も、アルファとオメガの「運命もの」とも言えるようなジャンルが大好きな女子大生。主演を務めるアイドルのファンである友人と、ドラマが放送されるたびに盛り上がって感想を言い合っている。原作つきじゃないオリジナル脚本のドラマだから、先の展開が読めないこともあって、SNS上同様に私の友人たちのあいだでも大盛り上がりなのである。


 そんな私たちの第二性別は当然のようにベータ。一般大衆代表で――あえて悪く言うならば、凡人。アルファとオメガなんて雲上人だと思っていて、彼ら彼女らの「運命」にあこがれたり、うらやましがったり、あるいは嫉妬したりする……そんな存在。


 だからアルファとオメガの「運命」がフィクションの中で繰り返し、飽きるほど消費されているのを見ても、基本的にはなんとも思わない存在だ。当事者性を欠いているのだから、当然かもしれない。


 そもそもフィクションでは飽きるほど描かれる「運命」は、基本的にそのへんには転がっていない。そのうち八〇億に届こうかという人間がこの地球にはひしめているのだから、当たり前だ。だからこそ、フィクションでこぞって取り上げられるわけだが――。


「……つまんなかった?」


 私を抱きしめるようにして、クッションを下敷きに座っている千春ちはるに問う。


「普通」

「『つまんない』って言ってるようなもんでは」

「別にどうも思わなかったから、『普通』」


 こんな格好で私の後ろにいるのだから、千春と私は恋人同士という関係だった。とは言え、恋人同士の甘さとか、熱さみたいなものはあまり感じない関係だ。言うなれば友達の延長線上の関係。一緒にいると心が安らぐ、気の置けない間柄。私はそれで満足していた。


「まあ、このアルファはもっと根性見せろよって感じだが」

「ええ~……オメガのミズキくんを思っての行動なんだよ。切なくていいじゃん」

「大切にしてるわりにはオメガ泣かせてんじゃん。口先ばっかりで行動が伴ってない」

「手厳しい……」


 千春はお世辞にも愛想があるとは言えないし、少々口調はぶっきらぼうだけれども、こうして感想を言ってくれたり、このドラマが好きな私に付き合ってくれるのだから、優しいところはちゃんとある。私を抱きしめるといった愛情表現もしてくれるし、結構思っていることは秘さずに口に出してくれるから、付き合いやすい。


 他人が見たらぬるま湯みたいな関係に思えるかもしれないが、私たちはそれで満足しているからオールオーケー。


「千春はあこがれとか、ないの?」

「はあ?」

「ほら、千春にだってこの地球上に『運命のつがい』が存在してるわけだしさ。会ってみたいとか思わないの?」


 私は、一般的で平々凡々な女子大生で、ベータ。


 千春は、体格にも頭脳にも容貌にも恵まれた、アルファ。


 私たちはアルファとベータのカップルなのだ。


「思わねえよ」

「えー? 本当に? 私がアルファだったら『運命のつがい』ってどんな感じかなーって思うけど」

「お前がいるのに会いたいとか言ったら、浮気だろうが」

「『もしも』の話をしているだけだし、浮気に入らないんじゃ……」

「お前のその『もしも』の話も浮気だ」

「えええ……」


 私の背後で千春が「許さねえからな」と言って低く笑った。千春の熱を持った吐息が首筋にかかって、たまらず身をひねろうとするも、こちらを抱きしめる彼の腕に阻まれる。そして――


「――痛っ! 痛いって!」


 千春が私のうなじを噛んだ。血は出ていないだろうが、結構な強さで噛まれたそこは、じんじんと熱を持ったような感じになる。


 私が抗議の声を上げれば、千春はそれをなだめるように、今度は私のうなじに舌を這わせる。ざらざらとしていて、肉厚の熱い舌が、ゆっくりと私のうなじをねぶるように動く。次いで「ちゅっ」とリップ音がした。


 けれどもそれで私の中で湧き上がった、多少の怒りが収まるはずもなく。


「ねえ……噛まないでって言ってるじゃん! 痛いんだけど!?」

「血は出ないように噛んでるんだから、いいだろ」

「よくなーい!」


 私を囲うように抱きしめていた千春の腕を振りほどく。あっさりと振りほどけてしまうあたり、千春はまったく本気じゃないことがわかる。アルファ男性である千春が本気を出したならば、ベータ女性の私を制圧するなんて片手でだって出来るだろう。


 私は右手でうなじをさすりつつ、背後にいる千春を振り返った。


「私はオメガじゃないんだから、噛んだって意味ないよ?」

「知ってる」


 アルファは、性交中にオメガのうなじを噛むことで、オメガを「つがい」にすることが出来る。「つがい」となったオメガは、その特徴のひとつである発情期の際に振りまくフェロモンが、「つがい」であるアルファにしか効かなくなると言う。だれかれ構わず誘惑してしまうフェロモンの性質が変わることもあり、「つがい」が持つ意味はアルファにとってもオメガにとっても大きい。


 けれども私はオメガじゃない。ベータだ。アルファである千春とは婚姻関係を結べるけれど、アルファとオメガのあいだに作られる「つがい」の関係は、私たちには無縁の話だった。


 だということを、私よりもずっとずっと頭のいい千春が理解していないはずがない。


 だというのに、千春は繰り返し私のうなじを噛む。


 愛想がないと言われてばかりの千春だったが、私のお願いはたいてい聞き入れてくれるし、嫌がるそぶりも見せない。……けれども「うなじを噛まないで」という私の頼みは一向に聞いてくれない。


 今回もそうなのだろう。そう思うとため息しか出なくなって、私は嘆息するように息を吐いた。

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