第33話 覚悟

(さてと、な~んかめんどくさいことになりそうですねぇ)


 善は急げとばかりに、あらかたの事業計画を小一時間で練り上げた雅宗院を表通りまで送ったなつめは憂鬱な気持ちを浮かべつつテクテクと通りを歩いていた。

 いちごのSNSは、主役となるアプリ、ステージとなるサーバーが用意されたことになる。

 あとは何時ショウを開始するかという事なのだが……。


(ん? ああそういや朝から何も食べてませんでしたね~)


 目の端にファーストフード店が映ったあけびは、フラフラとそのドアをくぐった。



 ★



「ども~。無事タクシーに突っ込んできましたよ~」


 お土産代わりの2人分のバーガーセットを小脇に抱えつつ、自身はすでに一つを頬張りながら事務所のドアを開けたあけびは、間延びした声でそう言った。


「あっ! ありがと……」


 テーブル上に所狭しと並べられた資料を前に、江崎と打ち合わせを行っていたいちごは、あけびの帰りに気が付き、彼女を迎えようと立ち上がった所でピタリと動きを止めた。


「ん? どうかしたっすか? はいこれ、いちごさんの」


 あけびはむしゃむしゃとバーガーを食べつつ、小脇に抱えた紙袋を棒立ちするいちごに渡そうとして――


「ッ⁉ 駄目だッ!」


 事態に気が付いた江崎が切迫した声を上げる。

 だが、それは今更な話だった。


「うっ――」


 顔面蒼白となったいちごは、口元を押さえて床へと崩れ落ちる。


「え? えっえ?」

「悪い! あけびちゃんはちょっと外にッ!」


 有無を言わさぬ江崎の言葉に、あけびは素直に外へと引き返した。



 ★



 すっかり冷めきった食べかけのバーガーを片手に、事務所の前でボーっと立っていたあけびに、内側から江崎の声がかかる。

 あけびは江崎にうながされるままソファーに腰かけた後、ちらりと隣室へ視線を向けて口を開く。


「……いちごさんは?」

「まぁ、最近はいい薬もあってね。休憩室で眠ってるよ」


 そう言って、困ったような笑みを浮かべた江崎は、ふぅと大きく息を吐いた後こう続けた。


「全ては僕が原因だ。ちょっとしたミスから始まったごくありふれた行為の結果。彼女は普通の人間が見てはいけないものを見てしまった」


 江崎は、顔の前で汲んだ手に爪を食い込ませながら、絞り出すようにそう語る。


「何とか無事に帰ってきた彼女を見て、僕は愚かにも大丈夫だったと判断してしまった。

 だが――そんな筈はなかった」


 江崎の行動パターンとしては、朝事務所に来て、取材の準備をし慌ただしく出ていった後、帰ってくるのは夜遅く。

 住み込みで事務所の番をしているいちごといる時間は正味1~2時間と言った所。

 故に気が付くのが遅れた。

 だがそれは所詮言い訳に過ぎない。江崎は常にそう思っている。


「ある日、偶々昼飯時に事務所に帰ってこれた僕が、彼女の分として弁当を買ってきた。

 コンビニで買ったどうってことの無い幕の内だ。だが、それを見た彼女は顔面蒼白となり嘔吐した」


 あの日の光景は一生忘れないだろう。己が犯した罪の具現。

 まるで死人のような顔色をして、尋常じゃないほど体を震わせながら、空っぽの胃液を嘔吐し続ける幼い少女。


「あの日見たある光景。それはいつまでも彼女の瞳に焼き付いていて。彼女は肉類が全く無理な体になってしまった」


 食べることはもちろん、それらが視界に入るだけで容赦なく浮かぶ血まみれの路地裏フラッシュバック


「それだけじゃない。彼女はこのビルから一歩たりとも外に出ることは出来なくなった」


 江崎は口惜しそうにゆっくりと首を横に振った。


「……そっすか」


 なつめは一言そう答える。

 少し前まで自分が所属していた組織だ。そのやり方は十分によく知っている。

 ぼかして言われたが、いちごが何を見てしまったのかおおよその想像は容易くつく。

 なるほど、まぁ色々とあったんだろう。


(だけど、所詮は他人事っす)


 そう結論をつけ、この話は適当に忘れようとして――


「……正気っすか?」


 つい言葉が口から出た。

 雅宗院スポンサーを説得するにあたり、否それ以前から考えていた『Step』を売り出すためのセールスポイント。

 つまるところ、広告塔としてのいちごの役割。

 それは雅宗院が指摘した通り、ありとあらゆる視線が少女へ向かう事となる。

 その視線の重圧に、そんな精神状態で耐えることが出来ると?


 そんなことはバカげている、そんなことはあり得ない。

 本来ならば数年間は精神病院なりなんなりで静養しなければならない身、それぐらいのことは素人の自分でも判断できる。


 だが、彼女の呟きに答えたのは、目の前に座る男からではなかった。


「はい、戦うと、私は決めたから」


 まだ蒼白な顔色のまま、のしかかる様に力なく体重をドアに預けたいちごは、よろよろとそう歩を進める。


「いちごちゃん⁉」

「あはは……慣れてきちゃったのか、直ぐ目が覚めちゃって」


 崩れ落ちそうになるいちごにそっと肩を貸す江崎。その肩にいちごはカタカタと震える手を遠慮がちに置きながら、なつめへ向かってはっきりとこう言った。


「ヤツラは多くの人の不幸の上に君臨しています。

 弱者の血と肉で築き上げた黒い城郭。

 ヤツラの望む世界は、全ての人間を家畜とし餌とし玩具とする、そんな地獄のような世界です。

 けど……そんなことは関係ありません。

 これは私が決めた、私の戦いなんです」


 人に支えられないと立つこともままならない、そんな押せば倒れるような少女の言葉に、なつめは何も言うことが出来なかったのだった。

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