第29話 ◆初めての

 これで何度目かそろそろわからなくなってきた高原家への訪問。

 もう来る前の連絡はしていない。連絡を入れるのは他に用事がある時だけ。彼のお母さんである水希さんにも「いつでもいらっしゃい」と言ってもらってることだし、だいたい訪ねる時間帯も決まっているしね。

 お昼ご飯を食べてすぐに私は家を出る。着く頃には涼も食事を終えてる。そういう時間。

 暑い時間帯だけどそこは我慢する。昼前に行くと私の食事まで水希さんに気を遣わせてしまうから。


 インターホンを鳴らす前に制汗スプレーを使う。だって汗臭い女の子って思われたくないからね?

 鏡で髪型のチェックも忘れない。少しでも可愛いって思ってほしいでしょ?

 でも服装はラフに。気合いを入れるのは大事な時だけ。いつもばっちり決めてたら疲れちゃうし、見慣れちゃうじゃない?


 準備を整えてインターホンを鳴らす。

 昨日は髪を切りに行くからって会えなかったので、1日ぶりだ。早く会いたい。格好良くなってるかな?ドキドキする。


 インターホンに応答はなし。でもこれはいつものこと。少し待てばドアが開いて……ほら、涼が出てきた。


「栞、いらっしゃい」


 涼が私の名前を呼んでくれる時、すっごく優しい声になるの。本人は自覚してないんだろうけど、大事にされてるなって感じちゃう。


「うん!今日も来たよ!」


 これだけで声が弾んでしまう。我ながらチョロいなって思うけど止められないんだ。

 改めてしっかりと涼を見れば……すっごく格好良くなってる!涼に似合いそうな髪型を何時間も考えたかいがあった。涼のことを考えてたその時間は楽しくてあっという間だったけどね。


「涼、すごく格好良いわよ?」


 褒めるところは褒める。だって素直になるって決めたから。この人を繋ぎ止めるためなら、これくらいで恥ずかしがっていられないもの。


「あぁ、うん。ありがとう……」


 それなのに涼はあんまり素直じゃない。私が不安になった時は、あんなに真っ直ぐな言葉をくれるのに。でも、ちょっと嬉しそうな顔をしてるのはわかるよ?まったく、照れ屋さんなんだから。


「暑かっただろ?あがってよ」

「お邪魔しまーす」


 家の中へ促す涼の後ろ姿。しっかり整えたつもりなんだろうけど、後頭部に寝癖がついてる。こういう抜けてるところはちょっと可愛いなって思う。可愛いって言うと拗ねちゃうから言わないけどね?


 この後はいつも通り涼の部屋で過ごすんだけど、まずはリビングにいる水希さんにしっかり挨拶をする。長い付き合いにするつもりだもの、礼儀のない子って思われたくない。それに私は水希さんのことも好きだから。本当の娘のように優しくしてくれるからね。


「水希さん、今日もお邪魔します」

「いらっしゃい、栞ちゃん。今日も可愛いわねぇ。本当に涼にはもったいない……」

「いえ、そんなことは……涼もとても素敵ですよ?」

「だって、涼。良かったわね?」

「うるさいな……ほっとけよ……」


 こんなやりとりもいつものことになりつつある。


「これは孫の顔を見る日も近いわねぇ……」

「高1相手に何言ってるんだよ……」


 まったくその通りだ。涼ったらこないだ私がほっぺにキスしてあげたのに、涼からはしてくれないんだもの。私は私の全部を涼にあげるつもりなんだけどなぁ……涼のいくじなし!


「ほら、栞。こんなおばさんほっといて部屋行くぞ」

「あ、うん。それじゃ、水希さん」

「ごゆっくり〜」


 涼の部屋に入ると、涼の匂いがして、全身包み込まれてるように感じる。何度来てもドキドキするんだけど、同時に穏やかな気持ちになる。


 今日は音楽を流してるみたい。たまにこういう日がある。

 静かな部屋にいると、色々考えなくてもいい余計なことを考えちゃうからって言ってたっけ。こういうところ、私とよく似てるって思う。私も1人でいるといろんな不安に潰されちゃう気がする。だから本の世界に逃げた。活字をなぞり、登場人物の感情で自分の心を満たして、余計なことを考えないようにしてきた。でも最近はそれも減ってきたの。涼のことを考えていれば、なんでも大丈夫な気がしてくるから。


「今日は音楽の気分なの?」

「あ、ごめん。うるさかったら止めるよ」

「ううん、大丈夫。私もこれ好きだから」


 涼が好きでよく聞いてるアーティスト。親の影響で聞き始めて今では涼の方がファンになってるみたい。涼の部屋で聞いてるうちに私も気に入っちゃった。


「ねぇ、涼。あの曲かけてよ」

「ん?あぁ、あれね。栞はあの曲好きだよね」

「うん、好き」


 だって、なんだか自分と重なる気がするから。


『愛してる それだけじゃ足りないけど』


 そんな歌い出しの曲。やっぱりいいなぁ……

 ちょっとだけ今の気持ち吐き出しちゃおうかな。


「私ね、涼からいろんなものをもらってるんだぁ。」

「俺、栞に何かあげたっけ?」


 この人は本当に鈍いんだから……全部言わないと伝わらないのかしら?


「プレゼントとかそういう話じゃないよ?この曲のこともそうなんだけど、精神的にね?私が落ち込んでた時って、真っ暗な世界だったの。まるで死んでるみたいに。それを涼が蘇らせてくれて……『君に生かされてる』」

「歌詞じゃん……」

「うん。だからこの曲が好きなの。それでね、そんな私だから涼がくれるもの全部が糧になるの。真っ暗だった世界を優しく照らしてくれて、色をつけてくれる」


 前までの私だったら、こんな恥ずかしいセリフ絶対言えなかった。でも涼の前なら言えてしまう。馬鹿にしたりしないし、受け入れてくれるから。


「そっか……俺もさ、同じようなこと考えてたんだ」

「涼も?」


 自信がなくて勇気が出せなくて人に声をかけられなかったというのは聞いてたけど……

 涼の本当の不安ってことなのかな?


「俺さ、自分が空っぽだと思ってたんだ。やりたいこととかないし、好きな音楽だって親譲りだし。そういうのが人と関わることでバレてしまうのが怖かったんだ」

「涼は空っぽなんかじゃないよ!」

「うん、今はね。でもそれは栞のおかげなんだよ、っていつもそう言ってる気がするけど……栞と出会ってから、人と関わるのが楽しいって初めて思った。自分からそんな感情が出てくるなんて知らなかったんだよ。だから手放したくなかった。焦って友達になりたいなんて言ったのもそのせいでさ。あの時はまだここまではっきり自分の気持ちを言えなかったんだけどね。栞が俺を受け入れてくれたから言えるんだけど……俺が空っぽだと思ってた心は栞が満たしてくれてるんだよ」


 気付けば私は涙を流していた。嬉しくて、涼のことが愛おしくて……

 だってこんな不安だらけの私が、大好きな彼の力になれてたんだから。

 私だけじゃなかった。正直、私の想いは重すぎるって思ってた。一方が重すぎれば、いずれバランスを崩してしまうんじゃないかって不安だった。けど、涼も同じくらいの想いで返してくれて。

 こんなの嬉しくないわけないじゃない。


「栞、おいで?」


 付き合い始めた日、私がお願いしたことを言ってくれて……思い切り涼の腕の中へ飛び込んだ。そしたら優しく抱き締めてくれて、頭を撫でてくれて……このまま溶かされてしまいそうになる。


「私、今ようやくちゃんと涼の彼女になれた気がする……」

「ごめん、ちゃんと言えてなくて……重すぎるんじゃないかって不安だったんだ」


 もう……こんなところまで似てるんだから……


「栞、こっち向いて?」

「無理……顔ぐちゃぐちゃだもん……」


 泣いてる顔なんて絶対可愛くないもん。


「お願い。俺だって泣いちゃってるんだからおあいこでしょ?」


 涼も泣いてるならと、渋々顔をあげる。

 本当だ。涼が泣いてるところ初めて見たかも。


 涼は泣きながら笑顔を作って、私の涙をぬぐってくれる。優しい手つきが心地いい。


「栞、大好きだよ」

「私だってだいす──んっ……」


 言い終わる前に遮られた。

 え?何に?涼?顔近くない?これって……


 慈しむように優しくて、でも自分を私に刻み付けるように力強くて……

 頭の奥の方が甘く痺れる。知らなかった。キスってこんなに幸せな気持ちになれるんだ……


 あぁ、涼が離れていく。まだ足りないのに……


「ごめん、我慢できなかった……」


 涼はばつの悪そうな顔をする。そんな顔しなくても嫌じゃないのに……それどころか私の頭は「もっともっと」って叫んでるよ?


「涼のバカっ!」


 だから私から涼の唇を奪う。


 今度は私を涼に刻み付けてやるんだから!




「ぷはっ」


 息が苦しくなって顔を離す。


 涼にあげちゃった、私のファーストキス……

 へへ……嬉しいな……


「もしかして栞も息止めてた……?」

「え?うん。止めるもんじゃないの……?」


 嬉しいんだけど、途中から息が苦しくて、キスって難しいななんて思ってたんだけど違うのかな?鼻で息したらお互いくすぐったいよね?私変かな?


「俺途中から呼吸が苦しくなっちゃってさ」

「ぷっ……私も涼も不器用ね?」


 思わず吹き出しちゃった。ムードも余韻もないんだから。でもこれくらいの方が私達らしい。不器用なりにゆっくり進んでいけばいいよね?


 それから私達は隣り合って肩をもたれさせあって座って過ごした。

 お互いだんだんと恥ずかしさが込み上げてきて言葉は少なかったけど、それも嫌な感じじゃなくて、ちゃんと心が通じてる気がした。


 明日は登校日だけど、なーんにも不安じゃなくなって、この人がいるから大丈夫って思える。

 ちゃんと皆に訳を話して許しを乞おう。私のことを気に食わない人も出てくるだろうけど、そんなの些事よ。だって人間誰しも合わない人っているからね。

 だけどこんなにぴったり私にはまってくれる人に出会えたのは奇跡かもしれない。それでもあの時、勇気を出さなければこうはなってないけど。

 あの時の私に感謝してよ、涼?

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