#150 お盆も様変わりです
昭和中期のお盆休みとは ふるさとのお盆に帰って
ご先祖を揃ってお迎えするためのお休みだったんですよ
地域によっては この時期に盆踊りや特別なお祭りもあって
毎年 同級生に再会したりしてね
若い人がみんな都会に出てしまう町で
お盆に成人式をする というのも
この時期には 必ず返って来るという
共通認識ありきなんでしょうね
きいた風な事言ってますが 私の実家は両親が初代で
仏様がいないので 何かやってるのを見た事はありません
父の新盆にお経をあげに来た和尚に 母が
特上寿司を出してしもて… 恥をかいたので
二度とお呼びしませんでした(理不尽だけど)
*寿司は生臭もので仏事には本当は禁物
通夜振る舞いで 普通に出ますけどね
な訳で 少し知っているのは 祖母の家のお盆ですが
そんなに派手なお飾りはなかったです
帰って来る子供が5人+その連れ合い5人+孫が8人
のお供物で一杯 宴会準備だけで大騒動です
和尚が来ると 狭い部屋にぎっしり座ってお経を聞きます
坊さんもその日は稼ぎ時 ゆっくり飲み食いする事なく
単車に乗ってすぐ次の檀家に行くので お布施の他に
お膳料を現金で包んでお渡ししてました
当時はさほど暑くなかったので 一軒一軒でお茶
飲んでるとトイレが近くなるからとお茶も口付ける
だけでしたね 今は…自前で持ってるかも
その後が 里帰りの宴会です
祖父母合わせて 20人といえば 中々の規模
今にして おばあちゃんシンドかったやろなあ と思いますが
盆と正月は 必ずあった宴会でした
その頃になると 小さな孫たちが遊び始めます
仏壇から 木魚やお鈴(りん)やじゃらん(小さなシンバル様の仏具)
を出してきて 演奏会です
滅茶苦茶怒られる場面ですが 祖母は
「まあまあ 賑やこうて仏さん喜んではるわ」と言って
笑っていました 私は… むりかな
戦前になりますが 曾祖母の時代は
一つ一つの仏具を 灰で磨くところからはじまり
位牌の数だけの小さなお皿やお鉢に煮物や素麺を盛りつけて
お迎え火で焚く〝おがら(苧殻)〟を削って箸を作って
並べたと 母から聞いています
裏側に梵字を染め抜いた お寺さん専用の紫の座布団も
あったそうです
この時期は終戦の日に重なりますね
『日本の一番長い日』という映画にも描かれていましたが
無事 8月15日に終戦の詔勅が国民に伝えられたのは
戦争継続派(武闘派)の妨害を命がけでくぐり抜けた
人々の ぎりぎりの奇跡でもあったそうです
最近になって 私はこれって お盆に戻って来られた
戦争で亡くなられた沢山の方々の国を思い 子孫を思い
何としても戦いを終わらせたいという魂の後押しがあった
のではないかと思い始めています
昨年の終戦記念日には 聞き書きの戦争について書きました
#93
https://kakuyomu.jp/works/16817330657023690109/episodes/16818093082967114530
お時間があれば お訪ね下さい
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます