#123 昭和中期の歳末風景(年越しそばとか)

29日のく飾り 31日の一日飾り はご法度とか

大晦日に風呂に入ったら 肌着は全部新品を着るとかは

前にも書いた記憶があります


正月に関係ない商店は今の会社くらいは堂々休みます

(30日~1月早くて5日ゆっくりだと7日)

除夜の鐘が鳴るまで 働き続けるのは美容院とそば屋です


私の家の近くのそば屋は午後10時ごろには店を閉めて

     それまでは 店に年越しそばを食べにくる客がいる

配達に全力投球します


確か 始めの頃は(私の記憶のです)普通に注文のそばを

配達してたけど

それでは追い付かなくなって ざるそばだけになりました

     ざるなら近くの何軒分かを一緒に積み上げて

     自転車で配達できたからです


その頃になると 配達時間も早かったり遅かったりで

除夜の鐘を聞きながら食べたい母は鍋や皿を店に持参して

受取りに行ってました

そういう人が増えたのか 店側がゆでたそばとだしを

ワンパックにして 店頭に来た人に売るように

変わって行ったと思います

      正直 真夜中に配達してたなんて 今では

      信じられませんよね


大晦日の習慣は〝一陽来復〟です 

ご近所の八幡様でメッチャ行列してもらってきた

〝一陽来復〟と書かれたお札を 新しい年の恵方に向けて

ポッポッポ~ンと0時になった その瞬間部屋に貼るんです


椅子の上に乗って 構えててポンと貼るんですが

ポロッと落ちるとかのアクシデントがあった時は

リベンジチャンスは 節分の夜0時にあります


これで いったん眠って 元旦の行事になる訳ですが

下準備は 屠蘇散(漢方薬らしい そんな匂いがしてた)を

日本酒に漬けてお屠蘇を作ります

うちは 酒ではなく味醂でしたどっちが正式かは知りません

いずれにしろ 美味しくはなかった


ちなみに 屠蘇散は薬局で売ってはいるのですが

顔見知りの薬局に行けば 毎年〝お年賀〟の袋に入れて

ただでくれてました


もう一つの準備は 元旦から いつもより数倍重たい新聞を

配達してくる子たちに ささやかなお年玉を新聞受けに貼って

置きます 朝 新聞を取る時 それが消えてるとほっとします


団地でも 集合ポストなんてなかったから 階段上って一軒一軒

配達するので 大変だったと思いますけど だからこそ

こんな事も準備できた そんな昭和の年越しです 


   これは平成ですが 私が 勤めていた会社では

   大正生まれの会長の命令で 初荷を運んでくるトラック運転手

   にもお年玉を渡していました

   社用車には 松の内は注連飾りをつけて走るように言っていて

   若い社員は 得意先の女の子に「これ なんですのん?」とか

   聞かれて 恥ずかしい と嫌がってましたね

   昭和の時代 車に注連飾りは普通につけて走ってましたけどね

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