第77話 フリム最大の壁。


基礎的な勉強でもけっこう大変だった。学ぶのが苦と言うわけではなく、むしろ新しい文化というのはとても楽しい……ただ、教科書に出てくる登場人物の名前や地名が横文字で…………日本的なものと違いすぎていて覚えるのが難しいのである。


学業だけでも忙しいのに、他の仕事もあって疲れがたまる。


リグレグとかいうモーモスの元侍従からはなにも情報が出てきていない。しつこく来るルカリム本家のお嬢さんのお誘いは全て無視しているが「貴女のところの刺客ですか?」と問いただしたくもなる。そもそも襲われる可能性があるから会おうとは思わないが……。


やっぱりストレスフリーにはなれない。誰かが自分を狙っているというのは嫌な気分になる。肉体的疲労はゴロ寝したいときもあるが水さえあれば無いも同然である。しかし、この水に回復能力があったとは……もしもなかったら賭場でボコボコにされていた頃の怪我の後遺症もあったのかもしれないな。



私にとってはちょっと美味しいか普通程度の水、周りの人が大げさに騒ぎ立てるほどには美味しいとは感じない。それでもいつも飲む普通の水にこんな効果があるのなら悪くはないな。


倉庫の契約者と挨拶したり、賭場に顔を出し、ついでに水も大量に出しておく。変な杖に吸われはするもののそれ以上に出せば問題はない。


なんだかこう、こちらでは水を売ったり買ったりは普通のはずなのだが「ルカリムの美味しい魔力水」だの「健康フリム水」だの「学園の賢者が認めた水」などと……屋敷でどう売るかの会議をしているのを見たときは怪しすぎてちょっと引いた。しかもどう高く売るかを考えて木箱に入れるのだとか………ほんとに売れるのかな?ぼったくり過ぎじゃない?


まぁ、欲しい人がいて納得して買ってくれるのはありがたい。水の販売部はそこそこ盛況のようだ。


倉庫の使用権は私がいなくても契約できるはずなのだが、偉い人が相手の場合「私との挨拶をしてからの契約」が普通らしい。倉庫事業による交流によって味方を増やせるのならそれに越したことはない………………倉庫の像への絶賛はやめろ契約打ち切るぞと心の中で思うこともあるが笑顔で対応する。



「<水よ。凍れ>」



私の出した水は私が操作しやすい。だから氷室で溶けた水もある程度は凍らせて再利用が可能だった。そもそも大質量の氷というのはなかなか溶けないみたいだけどそれでも溶けた分で実験してみた。カビとか怖いし入れ替えや清掃も行うがこのやり方はこのやり方で隙間なく凍らせられるし、結構使い勝手が良い気がする。


たまには顔を見せろとエール先生経由でシャルル王から連絡が来ていたのでちょっとお菓子を持って行く。


王宮のシャルルは金髪で……いつぞやの黒目黒髪の不審者の姿が初対面だっただけにその姿がよぎっていまだに慣れない。あと生首みたいな状態。あれ、めちゃくちゃ怖かった。



「これは?」


「持ち運べるお菓子です」



明日でアーダルム先生との授業も終わりだ。初めのうちは皆同じような講義の予定だとは思うがそれでもバラけると思う。勉強で糖分がほしいこともあるだろうしクラスメイトに配ろうと幾つかお菓子を作ってみた。


クラルス先生が作っていたカロリーバーのような複雑なお菓子はまだまだ材料の選別も難しくて出来なかったが糖分お補給用ということでお砂糖多めで水分を減らした瓦せんべいのようなものが出来上がった。素朴な味のものと砕いたキャラメルナッツを散りばめたものも用意した。


ちょっとこの国の砂糖は癖があるからか瓦せんべいのようなものは思ったよりも美味しく仕上がった。同じ味だけだと飽きると思うし砕いたナッツを表面に散りばめたものと厚みをまして生地自体に練り込んだもの……堅焼きクッキーを通り越して瓦せんべいほどに固くなったが保存性の問題もあるしね。



「少し硬いが……素朴に美味いな」


「湿気に気をつけておけば長持ちするように作りました。携帯しやすく、小腹がすいた時に食べやすいものですね。勿論食べ物なので傷んでると思ったら捨ててください」


「わかった。じゃあお返しにこれを食べてくれ、ほれ」



彼の中では病人だった私の印象が強いのだろうか?四角いテーブルの角で話していたのだがケーキのようなものを小さく切り分けてフォークで口の前に差し出してきた。


何だかなと思うが素直に食べておく。


粉砂糖をふりかけたほんのり固めのスポンジケーキ、一口で花のような香りが鼻を突き抜け、柔らかな果物の甘味とマッチする。……生地の目が荒く舌触りと歯ごたえも少しあってそれがとても良い食感だ。日本では食べたことのない不思議な風味がとても美味しく感じる。喉の水分が取られて、お茶ともよく合う。



「美味しいですね」


「それは良かった。気に入ったのならそこにある分……いや、5つほど持って帰ってくれると助かる。叔母上の作でな」


「とても美味しかったとお伝え下さい。良ければ私のお菓子も……また改めて作ってきたほうが良いですかね?失礼になります?」



先にお菓子を持ってきたのは私だが、用意してくれていたお菓子のお礼というのなら後日改めたほうが良いのかもしれない。


幾つもお土産としてシャルル王には渡しているが、それはシャルル王に渡したものだしね。



「いや、叔母上には私の分から取り分けよう。きっと喜ぶ」


「仲がいいんですね」


「確かに悪くはないな。叔母上が王になってくれればよかったのに……いや、そういうわけにも行かないのだが」



このあたりは流石に勉強した。シャルル王の叔母は結婚して貴族に嫁いでいたが流行り病で旦那が死亡。領地から戻ってきて貴族派の相談役のような立場に収まっている。


シャルル王は王位を叔母がなればと言うが、しかし彼女はそもそもが養子であって王になれる資格そのものがない。


そんな彼女はお菓子作りが得意で、暇を見つけてはシャルルにお菓子を作るらしい。


今日は張り切って作っていて……味見のしすぎでもう甘いものが嫌になっているシャルルには幾つも作られた物を持って帰ってほしかったのだと。美味しいんだけどな。



「……学園での報告は受けているが心配にもなる」


「報告?エール先生ですか?」


「ヒョーカから何も聞いてないか?既に40人ほど捕まえたそうだぞ?」



聞いてない。下手人の何人かはインフー先生のところに送っていたりもするが、それは一部で学園内の騎士団や王城にも捕まった人は連れてこられていたそうだ。


何のためかと意味が分からなかったが味方と思っているはずの誰かが何処かで関与している可能性もあるのだとか。私は警察機関に当たる組織の裏切りなんて考えていなかったが……もっと気をつけないといけないかもしれないな。



というかヒョーカ・カジャール。いないと思ったらちゃんと働いてたのか。



不正や汚職ありきで何かしらの対策や予防をしていたり、貴族と平民との関係性に学園のあり方。身分社会ではあるがこの国、なかなかいい部分もあるんじゃないかな?


貴族の子弟は学園に通って、卒業後に領主になる。酷い貴族は矯正もされるが……まぁ領地で戻ってしまうかもしれないがまた世代交代時には改善されるかもしれない。人であるからコントロールはしきれないだろうけどそれでも全く自浄作用のない身分社会であれば平民を玩具のように弄ぶ可能性もあるはずだ。



「そうだ、その杖のことなんだが時間があればリヴァイアスの領地に行くと良い。認められたのなら領地もやろう」


「ありがとうございます?」



もう浮いてついて来ることにも慣れたこの杖だけど……やっぱりリヴァイアスに関わらないといけないのか。



「学園内に詳しいものがいるかも知れないし、調べてから行く事をおすすめする。―――悪いな、城には資料はなかった」


「いえ」



また頭を撫でられた。やはり気恥ずかしくもあるがフリムちゃんは子供だしなぁ。



試験、的の破壊、決闘……それらでそこそこ目立ったと思うし、フリムちゃんへの関心は学園内で高まっていると聞く。気になって調べている人もいるだろう。もしかしたらそろそろ情報も出てくるかもしれないな。


後は談笑して、働いている宰相にも水をいっぱい出して帰った。あのおじいちゃんは自分の質量以上に食べれる健食家だったはずだし水を喜んでたからこれぐらいのサービスは良いだろう。



学園ではようやくなれてきた授業がこれからは皆バラバラの講義になるとあって皆少し不安そうだ。



「これからアーダルム先生の授業じゃなくなるー……。皆バラバラって何だか寂しいよぉ」


「初めのうちは皆同じ講義を受けて試験も同じですよ」


「そう言えばおかしなことがある」


「テルギシアさんどうかしましたか?」


「出れる講義が皆半分だけ、おかしくはないだろうか?」


「あー、それ気になってた!」


「き、き貴族様も、平民も皆半分だけなんですよね」



リコライは私達相手でもすぐどもる。


緊張を通り超えてもうこれは彼の性分なのかもしれないな。いや、声をかけてもビビりすぎてバックステップされていたことを考えると少しはましになってきているし……いつか普通に話せるだろう。



「なにかあるのでしょうか?」


「先生の予定がなくなったとか?」



講義は予約を取らないといけない。予約が取れればその担当講師のもとで講義の期間がある。基本は自由参加だがどんな講義を行うかは講師の裁量次第である。そして一定期間ごとに試験がある。


試験に合格すれば次のレベルに進めるし、実力主義の試験一発勝負で判断する講師もいるから普段の講義を受けることは必要ない場合もある。生徒の学力によって卒業までに差が出る。


平民は数年以内の卒業が求められるが貴族は余り関係がない。式典や儀礼、国の行事なんかがあるから講義に出られない時はある。人によっては進学や卒業よりもわざと学園に残る場合もあるようだ。


卒業すれば平民は基本就職、何らかの技能があったりすれば高等学校に進学する。


貴族の中でも当主になりうる継承権の高いものは強制的に高等学校までの進学は決まっている。



自分一人ではなく教室の皆が講義が無くなっているのなら……なんだろ?


講師側の予定が取れなかっただけではないか?貴族の子弟は単位を取るのに追われることはないが平民の子たちにとっては不安だろう。予約を取る時に教えてもらいたいものだが……。



「アーダルム先生はなにか知っているのですか?」

「講義の割当が少ないと卒業までの時間が」

「先生がずっと教えてくれればいいのに」

「あいてる時間はどうすればいいでしょうか?」


「まぁ、そうだな。頑張れとだけ言っておこう。フレーミス君は特に」


「ん??」



不安がる生徒たちがアーダルム先生に群がっていたがなぜかこちらに声がかかった。



――――教室に人が入ってきた。




「入学試験からずっと諸君の審査をしていた先生だ。逆らわず、素直にいうことを聞くように」


「ありがとう。賢者アーダルム」



つかつかと教室の中央、私達の……というよりも私を見据えて前に出てきた中年のおばさん。



「一月が経ってこの学園にも慣れてきたことでしょう。これから皆さんの講義の割当の半分はわたくしが担当いたします。―――礼儀作法担当ギレーネ・バリュデ・エンカテイナーです」



―――――……私の悪夢が、ここに来た。

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