9話

 翌日の昼休み。

「いたいた。タァーケルくぅーん、ちょっと来いよォ」

 教室で友人らと昼食を食べながら他愛のない話をしていると、開けっ放しになっていた教室後方の扉からそんなふうに呼ばれた。一番聞きたくない粘着質な声だ。露骨に嫌な顔を向ける。

「……菅平」

 うっかりチッと舌打ちまで漏れてしまった。正直面倒くさい。昨日の今日だということもあって、顔を合わせたくないことは依然として変わっていないのだから。

 友人らに「大丈夫かよ?」とやはり心配されてしまったが、普段どおりを徹して「ヘーキ!」と席を立つ。この際、虚勢でもなんでもいい。誰も巻き込まずに菅平と立ち向かわなくては意味がない。溜息混じりの足取りは想像よりもはるかに重く、教室後方の扉へオレはイヤイヤながらも一歩ずつ向かう。

「よくわかったっスね、オレが1Cだって」

「コイツらに調べさせたからな」

 菅平が顎で指したのは、背後に並ぶ取り巻き三人。昨日と同じように揃いも揃ってニヤニヤしているが、昨日のままだとするならば単なる背景にすぎない。口も手も出してこない、威圧のためだけに居る存在だ。無視で構わないだろう。

「で? 今日はなんスか」

 扉代わりになるようにして、オレは後方出入口を自分の身で塞ぐ。菅平たち四人だけは、なんとしてもこの教室内に入れさせないよう努めなくてはならない。

「お前さァ、鈴に何吹き込んだの?」

「は?」

「人の女に、何を勝手に言って聞かせたんだって訊いてんの」

 笑みは崩さない菅平。人目があることを気にしているのだろうか、外面が貼り付いていて声色と表情が合っていない。

「タケルくんは、まだどういう立場の人間を相手にしてンのかわかってねーのかな? 昨日やられたこともう忘れたわけ?」

「いやいや、それ以前に何の話っスか。相変わらず曖昧な内容でわけわかんねーんですけど?」

「今日の鈴、いつもの素直で優しーい鈴じゃねぇんだけどなんで? そんなんじゃ困るわけ、俺が」

 私利私欲を貪ることができないからだろうな、と睨む視線の鋭さを増す。

「あの女、俺の頼み断ってきたんだけど? 今までそんなことなかったのにおかしくね? おかしいよね? どう、わかる? タケルくん」

 いきどおりにじわりと歪んでいく、嘘っぱちの笑顔。

「考えられる犯人はお前しかいねーよな。な? お前が鈴に何かしたか吹き込んだとしか思えねーだろ。去年までのこと知ってるヤツらは俺がボコしてあるから誰も手ェ出してくるわけねぇんだし」

 取り巻きの一人が「アイツらみんな腰抜けだしな」と小声で加えると、残りが賛同でケラケラと湧いた。

「つーか鈴、昨日の朝からお前のことイッショーケンメーかばってたもんね? だから怪しいとしたらやっぱテメーしかいねぇわけ。わかる?」

「あー、オレが高城先輩を操作したり思いどおりにしてるとか思ってっからここまで乗り込んできたっつーことなんスね」

 腕組みをして、菅平からの拳が胃に入らないように備えておく。

「んなわけねーじゃん、非現実的で夢見すぎっスよ。悪いけど、オレは別に何もしてねぇです」

 しかし虚しく、顔を赤くした菅平に左肩をドカと突かれてしまった。踏ん張りが足りなかったか、後方に二歩だけよろけて、開け放たれていた扉にガタタと寄りかかってしまう。

「テメ、昨日からなんなの。調子こいて歳上煽ってんじゃねぇぞ」

「何言ってんですか、煽ってねースよ。むしろ歳上のアンタのみっともねーとこばっか見せられてすんげー困ってるんスから。ぶっちゃけ見てらんねーよ、恥ずかしいったらねぇです」

 教室内がサワサワしているのが聞こえる。視線が集中的にオレに刺さっているのが肌感覚でわかる。菅平が歯噛みをしているのが見える。

「あいにくいろいろわかってねーみたいなんで、この際だから言っときます」

 寄りかかっていた扉から身を起こし、菅平をまっすぐ見つめる。

「高城先輩が昨日までと変わったって気付いたんなら、もうあの人に粘着したりすがるのはやめてください。そんで、アンタももっとマシな人間に変わったらどうスか」

「なっ……」

「高城先輩が変わったのは、高城先輩の意志と判断です。高城先輩は自分で決めたことをやってるだけだ。オレもアンタも他の誰にも、高城先輩の決めたことに口出ししていい権利はないです」

 オレの見えないところで高城先輩が変わったらしい。同じ校舎の下、革命的変化を先輩はやっているんだ。それは人から見たら小さな変化かもしれないが、高城先輩にしてみたら天地もひっくり返るような大きな変化に違いない。それが嬉しくてたまらなかった。

 嬉しいと感じたら、途端に力が湧いてきた。昨日と違い、冷静に言葉を発していけると実感できている。目を逸らさず、物怖じせず、堂々と正当性を主張したらいいんだ。

「ひとのことを思いどおりに動かすなんて、簡単に出来るわけねぇじゃん。そういうのは、それまで築いてきた信頼とその人を思い遣る恩情がなきゃ成し得ないような、何よりも難しいことなんスよ。思いどおりにしたいがために誰かに粘着するなんて無意味っス。結局拒絶されてるじゃねーですか」

「う、ウゼェこと言ってんじゃねぇよ、どの立ち位置からモノ言ってんだよ」

「今のアンタにできることは、拒絶されたことちゃんとしっかり受け入れて、潔く先輩から手ェ引くことだけです。あとは誰彼構わずこうやって噛みつきに来るのも、さすがにダサすぎて笑えねぇっスもん。アンタもう高三なんだから、そろそろ大人な対応したらどうスか」

 教室内の視線に気が付いたか、菅平はそのキツネ顔を酷く歪めて舌打ちをした。ダンと教室の外壁を殴り、オレに背を向けて去っていく。取り巻きたちもオロオロとそれに続くが、そのうちの一人にオレは脇腹を殴られた。

 入れられた直後は耐えたものの、ヤツらがすっかり見えなくなってから「うぅ……」と片膝をついてしまう。ああ、最後だけカッコ悪くなってしまった。

 でも。

「丈っ」

「ダイジョブかよ、おい!」

 菅平に対して随分大人な対応ができたんじゃないだろうか。大きすぎることを言った気もするが、虚勢でもなんでもいいと思ってぶつかった結果だから大目に見てもいいだろうか。少なくとも自己評価としては二〇〇点をあげたい気持ちだ。

「ダイジョブ、ダイジョブ。ごめん、ありがと」

 それにオレには、こうして駆け寄ってきてくれる友人たちもいる。

「立てるか? ほら、肩かしてやっから」

「ワリィ。なんか、ピリついた菅平目の前にしてたから、いなくなって気ィ抜けたっぽい」

「まったく。しっかり巻き込まれてんじゃねーかよ、お前」

「近付くなっつってたのに」

「あは、昨日バド部の先輩にも怒られた」

 それだけで、オレは充分に胸を張って正しい道へ歩み出すことができる。

「もう一人で危ないことすんなよな、バカタケル」

「手ェ貸すことあったら言えよ? おおっぴらなことは出来ないかもしんねーけど」

 いずれそこを、高城先輩の手を取って並んで進めたら良いなと願っているのだから。


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