第6話
「だれだっ」
カクタスは叫び、クランは僕を守るようにまえにでた。
「落ち着いて。私は敵じゃない」
その人影は、敵意がないことを見せるように両手を顔の高さまであげ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
足首まで届く長いマントで全身を隠し、顔には厚手の布をいくえにも巻きつけてある。目の部分だけがひらいていて、そこからあざやかなエメラルド色の瞳がのぞいていた。
高い声音や細いシルエット、歩きかたから、その人物が女性であることが見てとれた。
僕らの近くまできて、その人物は足をとめた。長身だった。僕より頭ひとつ大きく、カクタスやクランよりもすこしだけ高い。それはブーツのせいかもしれない。ヒールの高い、頑丈そうな編み上げブーツの靴先がマントのすそから見えている。全身をまとっている茶色のマントは色あせており、端のほうがほつれてぼろぼろになっていた。長いあいだ移動している旅人のような風体だった。
あきらかな警戒心をもって、カクタスはたずねた。
「なにものだ、あんた」
人物はこたえず、カクタスが自分の手でおさえている顔に目をやった。
「きみ、怪我をしているな」
「それがなんだよ」
「動くな」
人物はそっとカクタスの顔に手を向けた。反射的にあとずさった彼はその手をはねのけようとしたが、それよりもさきに、その手のひらから光があふれてきた。
うす暗い森のなかに拳大の光源が生まれ、カクタスの顔を照らした。太陽のようなあたたかさのその光の玉が数秒、おそらく十秒に満たない短い時間のあと、なにもない空間に光の粒子を残して消えていった。
「手をどけてみろ」
人物の言葉にしたがい、カクタスが顔から右手をはなすと、クランがおどろきの声をあげた。
「うそ、治ってる」
そのとおりだった。
折れ曲がっていた鼻はまっすぐに戻り、つけ根がすこし歪んでいるだけだ。大きくふくらんでいた左のほほも腫れがおさまり、紫のあざだけしか残っていない。口のまわりにある血のあとだけがそのままで、ひどいありさまだった顔の怪我は、ほんの数秒で完治に近い状態まで治っていた。
奇跡のようなできごとにおどろき、声をだせないでいると、人物は僕のほうに目を向け、それから切断された死体に視線をうつした。
「きみは、人を殺したと悩んでいたが、安心していい。あれは人間じゃない。<邪悪なるもの>のひとりだ」
クランはたずねた。「邪悪なるもの?」
「そうだな」
人物は空を見あげた。
「もう日が暮れている。夜になるまえに戻ったほうがいい。きょうはもう帰りなさい。そして、話が聞きたければ、あしたまたくればいい。私はしばらくここにいる」
「あ、あの」やっと僕は声をあげた。「あなたはいったい、なにものなんですか」
人物はこたえず、無言のまま、顔に巻いた布をほどいた。
僕らは息を呑んだ。
うす暗い森のなかでさえ、あざやかに輝く金糸のようなブロンドの長髪が風に乗りさらりと流れた。すらりとした鼻梁の整った顔立ち。僕がいままで出会った女性のなかで一番美しい顔をしている。新雪のような透明感のある白い肌。まるで宝石のようなエメラルドグリーンの澄んだ瞳。そして僕らとあきらかにちがう、長く尖った耳。それは、おとぎ話や神話といったものにかならず登場する、森の精霊をあがめる種族の特徴であった。
そのあざやかな金髪をかきあげ、女性はいった。
「私はメテス。見てのとおり、エルフだ」
僕らは無言のまま森をぬけた。
教会まで戻り、おたがいの顔を見合わせ、しかし会話はせず、それぞれの帰路についた。
あたりはすでに暗くなり、夜のとばりがおりはじめている。家につくと、両親が玄関のまえで待っていた。僕とクランは怒られるかと身構えたが、母さんはぼろぼろのふたりを見て、どうかしたの、と心配そうにたずねてきた。起きたことを隠しながら森にいったことを話すと、僕らを抱きしめ、無事でよかった、とそれぞれのおでこにキスをしてくれた。血の繋がりがない僕にさえ、じっさいの家族のように接してくれるのが嬉しかった。
それから濡れたタオルで体をふき、着替えて、四人で食卓についた。温かいスープが体にしみた。そのころには、窓の外から見える空は完全に夜の闇につつまれ、そのなかで無数の星たちが輝いていた。
「あのさ」
うえからクランの声が聞こえてきたのは、二段ベッドのしたで、目を閉じても眠気がやってこないときだった。
僕らふたりは同じ部屋で、年ごろの男女が一緒なのはどうかと思ったが、家族とはそういうものなのだろう。たとえ血が繋がってなくともふたりは姉弟だった。
「なに?」
「あした、あのエルフの人に会いにいくの?」
こたえられなかった。
二段ベッドのうえから軋む音がした。なにげなく顔を横に向けると、ベッドの上段からクランの顔がさかさまにあらわれた。どうやら身を乗りだして下段をのぞきこんでいるらしい。
僕はおもわず上半身をおこした。
「あぶないよ、クラン」
「大丈夫だって」
軽い口調で笑いながら、彼女は僕の目を見つめた。コバルトブルーの瞳に探るような色がある。そのまなざしを見つめ返した。月の光と星のきらめきだけが差しこんでくる暗い部屋のなか、僕らは上下さかさまで視線を交わし合った。そこには思春期の男女によるロマンチックな雰囲気はない。ただ真剣なまなざしだけがある。
やがて、月光がクランの顔を照らしたとき「そっか」と彼女はぽつりとつぶやき、頭を引っこめた。
「サシクは、あの人の話を聞きにいくんだ」
「クラン。どうかしたの。なんだかいつもとちがうよ」
「なんかさ、変わっちゃう気がするんだ」
「変わる?」
「そう」
彼女の声は静かで、なにかを悟っている響きがあった。
「あの人の話を聞いたら、なにかが変化する気がするんだ。それが良いか悪いかはべつとして、いままでと同じではいられない気がする」
「ずっと変わらないものなんてないよ」
「でも、変わってほしくないものはある」
わがままをいう子供のようなすねた口調だった。
僕は体を横にした。
ベッドの天井にクレヨンで描かれた天使のへたな絵がある。色あせ、うすく消えかかったそれは、小さいころクランがいたずら書きをしたものだ。あのころの彼女は高いところが苦手で、二段ベッドのしたを使っていた。それがいまでは上段から身を乗りだすことすらできる。変わるものと変わらないもの。僕はいった。
「あした、あのエルフの人に話を聞きにいくよ」
「うん。知ってた。だから、私も一緒にいく」
こたえが返ってきたあと、とんとんとベッドのふちを軽くノックする音が下段まで響いてきた。
「なに?」
「なにがあっても、私はサシクの味方で、大切な家族だから」
静かな夜の闇のなか、その言葉は僕の心にあたたかい火を灯した。
「ありがとう、クラン。おやすみ」
「おやすみ」
僕は目を閉じた。
次の日。
朝食をとったあと、僕らは山のふもとにある教会に向かい、裏にまわると、カクタスが壁に背中をあずけて立っていた。
彼はこちらを見つけると「よう」と軽く手をあげた。
僕も挨拶を返した。「おはよう、カクタス」
「あなたもきたの」とクラン。
彼は微苦笑をうかべた。
「やっぱり気になってな。それに、あそこに忘れものをしてきちまって」
そこで気づいた。彼の腰にはいつもある木剣がない。あの戦闘のあと、いろいろあって回収するのを忘れたのだ。
「それじゃあ、いこうか」
僕らは森のなかに足を踏みいれた。
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