第3話
頭から黒いマントをかぶり、そのせいで顔はまったく見えないが、低い声と角張ったあご、大柄の体躯から、その男が大人であることを見てとれた。
全身を黒いローブのようなものでおおっているが、そのうえからでもわかるほどの、丸太のような太い腕、ぶ厚い胸板、ズボンがはち切れそうなほど張り詰めた太ももから、男が屈強であることもわかった。
男はいった。
「ここで、なにをしている」
その声は低くしゃがれていて、苛立ちがこめられている。返答しだいではただではおかないといった口調だ。
「あの、ちがうんです」
僕とカクタスが固まって返事ができないなか、クランは敵意がないことを伝えるように手をあげてこたえた。
「私たち、山菜をとりにきたら迷っちゃって。それで、あの、ここで休憩させてもらおうと思って」
男からの返答はなかった。
そのかわり、僕らの足元から頭までをフードの奥に隠れている目で凝視しているようで、その視線がカクタスの腰、布の腰巻きに差された木剣でとまった。
その瞬間、空気が変わった。
男から剣呑な雰囲気が漂ってくる。武術にうとい僕ですらはっきりとわかるほどに危険な気配がわかる。身体が震え、背中にいやな汗が流れた。
カクタスが木剣を抜きながら、僕らのまえにでた。その背中に声をかけた。
「カクタス、なにを」
「さがってろ」
声には緊張感があった。
「こいつ、俺らをただで帰すつもりはないみたいだ。それに、親父の剣でなにをしてたのか知りたかったところだ」
「親父?」
男が、フードのしたから見える口元をゆがめた。うすく笑ったのだ。
「小僧。あの店のせがれか。それなら父親にいっておけ。まともな剣を打てとな。おまえの店の剣はすべてなまくらだったぞ」
「てめえ、もういっぺんいってみろ」
カクタスの語気が荒くなった。背中から怒りの炎が燃えているようにみえる。
大人としては軽蔑しているが、鍛冶職人としては尊敬している彼にとって、父親のことを侮辱されるのは許せない行為なのだ。木剣を両手で握り、切っ先を相手に向けながら正面に構える。
男はいまだ笑みを崩さない。いや、それどころか、さらに唇の端をあげていた。
カクタスが動いた。
低い姿勢から踏みこみ、わずか三歩で間合いを詰める。一瞬のできごとだった。男は反応できていない。うしろに引いた剣を突進の勢いのまま横に薙いだ。必殺の一撃が男の胴の喰いこみ、マントが大きく揺れた。
それだけだった。
森に響く乾いた金属音が一撃の重さをあらわしていたが、大人でさえ悶絶する打撃を喰らっても、男は微動だにしていなかった。それどころか、打ちこんだカクタスの手のほうが痺れた様子で、彼はおどろいたように黒いフードを見上げた。
男の左手が閃いた。
次の瞬間、カクタスの体が宙を舞った。空中で一回転しながらふきとび、頭から地面に落ちる。衝撃で木の葉が舞い上がった。
「カクタス!」
僕らは、倒れて動かなくなった彼のところへ走っていった。
そばにしゃがみこむと、あおむけの彼の顔を見て、クランが息をのんだ。一撃で失神したのか、白目を剥いて痙攣している。彼の顔の、左のほほの肉が大きくへこみ、ひしゃげた鼻からは血があふれ、だらしなくひらいた口からは舌がとびだしている。顔のまわりに落ちてある白く小さいものは折れて砕けた歯だった。
男がこちらに向き、ちかづいてくる。
だれよりも強く頼りになるカクタスがなにもできずに倒されたのを見て、僕は恐怖で足がすくみ、動けなくなっていた。そんななか、クランは木剣をひろい、男と向き直った。
「クラン、だめだ」
「サシクは逃げて」彼女はいった。「私が時間を稼ぐから、はやく父さんたちを連れてきて」
「でも」
「大丈夫。私が喧嘩強いこと、知ってるでしょ」
口調はいつもどおりだが、強がっているのか、声は震えていた。いつもは頼りになるその細い背中が、きょうはひどく小さく見える。男に向けられた木剣の切っ先もかすかに震えていた。
このままじゃだめだ。僕は思った。カクタスでさえ敵わない相手を、クランがどうこうできるわけがない。すぐにやられてしまうだろう。いや、もしかしたらもっとひどい目にあうかもしれない。
拳を強く握った。そんなのいやだ。僕はいままで、ふたりに守られて生きてきた。ふたりの背中についていけば、それだけでよかった。でもそうじゃない。守られるだけじゃいけない。勇気をだして戦わなければいけないときがある。たとえ絶望的な相手でも、逃げちゃいけないときがある。
それがいまだ。
叫んだ。
潰されそうな恐怖をふり払い、震えてうまく動かせない両足を奮い立たせるため、大きな声をあげ、走った。クランのわきを抜け、男に向かって直進する。サシク。彼女の声がうしろから聞こえてくる。それを無視して、僕は男の腹部にタックルをかました。
黒のマントごしに、岩のような感触があった。
人間の筋肉のそれとはあきらかにちがう。無機質で硬いなにかが男の体にある。非力とはいえ、僕の全力の突進でも微動だにしない。それどころか、ぶつかったこちらの右肩のほうが、骨が外れそうなほどの激痛があった。
不意に、首のうしろに鋭い痛みが生まれた。首根っこをつかまれた、と気づいたのは、体がふわりと浮いたときだった。
次の瞬間、視界にうつる景色が一瞬で過ぎ去っていった。遠くからだれかの声が聞こえてくる。背中に強い衝撃があった。なにかにぶつかり、それを破壊しながら、地面を転がった。息が詰まった。倒れたまま、大きく咳きこみ、痛みと苦しみで涙があふれてくる。ぼんやりとにじむ視界に木の床が見えた。
僕の体は、小屋のなかでうつぶせになっていた。首をつかまれ、持ち上げられ、そのまま投げられて、扉を破り、室内に転がったのだろう。ほこりが大きく舞い上がっている。そのせいで、より咳がとまらなくなった。むせるたび、激痛が全身に走り、その痛みで体が動かない。こぼれでる涙とよだれが床にしみをつくった。
聞こえてきたのは、クランの叫び声だった。ついで、鈍い打撃音と、男勝りな彼女に似つかわしくない弱々しい悲鳴。
顔だけをあげると、壊れた扉の向こう、ほこりと涙でにじむ視界のなかに、腹をおさえ、体を丸めてうずくまっているクランの姿があった。そのそばには、木剣の刀身部分をつかんでいる男の姿がある。どうやら、彼女は返り討ちにあったらしい。男がつまらなそうに木剣を投げ捨て、クランにちかづいていった。
やめろ。叫ぼうとした。しかし声がでてこない。無力感に涙があふれてくる。嗚咽もとまらない。それでもなんとか手だけを伸ばした。僕が守らなきゃ。大切な存在だから。いつも守ってもらっているから。こんなときだけでも。腹の底から絞りだすように声をあげた。痛みも苦しみも、このときだけは我慢した。歯を食いしばり、上半身だけを起こしたとき、手のひらになにかが触れた。
細い円柱のもの。それは柄だった。
刃のない、剣の柄。床にたくさん転がっているもののひとつだ。鍔がなく、柄頭に丸いガラスの玉がつけられている。くすんだそのガラス玉に、僕の情けない泣き顔が歪曲してうつっている。なぜかはわからない。それでも、その柄を握っていた。強く強く握った。大切な人を守りたいと願うように。
次の瞬間、その柄からまばゆい光があふれだしてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます