蒼い星
ヤタ
第1話
「そういや、森のなかにあやしいやつがいるってうわさ、知ってるか?」
カクタスがそうたずねてきたのは、午後の授業が終わり、帰り支度をしている途中だった。
教会の外、入り口の反対側にあるひらけた場所で行われている神父による週に一度の青空教室。きょうの内容は、天使と悪魔による終末戦争の決戦だった。となりで眠たそうな目で一緒に話を聞いていたカクタスは、終わった直後、あくびをしながら声をかけてきたのだ。
僕は聞き返した。
「それって、黒マントの男のこと?」
カクタスはうなずいた。
ひとつ年上の十七歳の彼は、同い年の少年たちよりも背が高くて体格もよく、平均より小さい僕からすれば、すわっていても見上げるようなかたちになっていた。
「そうそれ。なんでも、朝早く町にやってきて、剣を買っていったって」
「へえ。ついに姿をあらわしたんだ」
この小さな田舎町で、いつのころからか、黒のマントを身にまとい、動物たちを狩って森のなかだけで生活しているという、本当か嘘かわからない男のうわさが流れていたが、どうやら存在していたらしい。
日焼けした顔に得意げな笑みをうかべ、カクタスは話を続けてくる。
「それでさ、おやじの話だと、そいつ、大量の剣を買っていったらしいんだ」
彼の父親は鍛冶屋をやっていて、質はわるいものの、大小さまざまな剣を販売している。どうやら、そのほとんどをひとりで買い占めたらしい。
「で、親父がそいつに、そんなに買ってどうすんだ、って聞いたら、みんなで使うんだ、ってこたえたらしい」
「みんな? あの森のなかに、仲間がいるの?」
カクタスは首をふった。
「わからん。でも、ひとりじゃないってことだろ」
町を一望できる高い山のふもとにあるこの教会。ここからさらに奥に進むと、手入れがされていない樹海のような森がひろがっているが、そこに複数の人間が住み着いているらしい。にわかには信じられない話だった。
「それ、大丈夫なのかな」僕はいった。「そんな人たちが森のなかにいて、この町でなにか事件でも起こすつもりじゃないのかな」
「親父もそう思って売らないつもりだったらしいけど、でかい金塊を差しだされて、つい売っちまったらしいんだ」
僕は苦笑した。
「カクタスのお父さんらしいね」
彼は肩をすくめた。
「仕方ないさ。この田舎町じゃあ武器なんてめったに売れないし、それで金塊なんてだされたら、なんでも売っちまうだろ。じっさい、去年一年分の売り上げと同じくらいの価値がある大きさだったらしいし」
「へえ。それは見てみたいな」
「なんでも、生まれたときの俺の頭とほぼ同じサイズだってさ」
わかるようで想像しづらい例えにふたたび苦笑すると、カクタスが顔を寄せてきた。どうやら、これから本題にはいるらしい。
あたりに目をやると、よく晴れた空のした、十人ほどいた子どもたちはすでに解散している。なかには残って神父の手伝い、掃除や片付けをしているが、僕らふたり以外は、ふたつならんだ長いベンチからいなくなっていた。
「それでさ」
低い声でカクタスはいった。
「いまから森にいって、そいつらを見にいこうぜ」
「いや、危ないよ、それ」
彼の性格から予想していた提案に、僕は首をふってこたえた。
「黒マントの男、剣を買っていったってことは、武装してるってことだろう。しかも何人もいるみたいだし」
「べつに戦いにいくわけじゃないさ。どんなやつらなのか様子見にいくだけだ」
「でも」
「それに、そんな危ないやつらなら、放っておくわけにもいかないだろ」
「それなら、大人にまかせればいいじゃないか」
「動くと思うか?」
カクタスは眉をひそめた。
「森にあやしい男が住み着いたってうわさがあっても、探索すらしないやつらだぜ」
この町の大人たちは、基本的に問題が起きてからしか動こうとしない。自主的に行動しようという人間はいない。事なかれ主義で、やっかいごとや面倒なことをできるだけ回避しようとしている。それは田舎という、閉鎖された空間のせいかもしれない。できるだけ波風を立てないよう静かに生活しているのだ。
カクタスがそんな大人たちの消極的な生きかたを、軽蔑に似た感情でながめているのを僕は知っていた。彼にとって、森のなかで黒マントの男を探すのは、そんな大人たちへの反発もあるのだろう。正直、こちらを巻き込まないでほしいというのが本音であった。
「でもさ」僕はいった。「もし見つかって、戦闘になったらどうするのさ。きみと違って、僕は剣術なんておぼえてないよ」
「そのときは俺が戦うさ」
自信満々に腰に差した木剣の柄を叩いた。
実家が鍛冶屋のせいなのか、カクタスは小さいころからずっと剣に興味があった。年老いた町長の、王国の騎士見習いだった息子から剣を学び、大柄な体躯のおかげもあって、いまでは町一番の剣の使い手になっていた。
僕は首をかしげた。
「うーん。でもなあ」
「なにか問題でもあるのか?」
空に目をやり、僕はこたえた。
「あのさ、あしたにしない。あと一、二時間もすれば日が暮れる。暗くなったら森のなかで迷子になっちゃうよ」
「大丈夫だって。なにもなければ、すぐに帰ってくるから」
どうやら拒否権はないらしい。
カクタスのこの強引さは彼のいいところでもあり、数少ない欠点のひとつでもあった。
仕方ないか。こっそりため息をついたとき、頭上から凛とした声がふってきた。
「あなたたち、まだ残ってたの」
ふたりして振り向いた。
そこにはひとりの少女が突っ立っていた。
布の服に黒色のズボン。陽光を浴びた健康的な褐色の肌。長身と、ウェーブのかかった焦げ茶色のショートカットのせいで中性的な少年のように見えるが、うっすらとした胸のふくらみが女性であることをあらわしていた。
ひとつ上の幼馴染、クランだった。
「いい加減、帰りなさいよ。掃除ができなくて神父様が迷惑してるじゃない」
「いま帰ろうとしてしてたんだよ。サシ、いこうぜ」
「うん」
「あ、ちょっと待って」
僕らが立ち上がったところで、クランが呼び止めた。
「サシク、母さんに頼まれた買い物、私の代わりにいってくれない?」
「僕が?」
クランがうなずいた。「ええ。私、これから教会のなかの掃除をしていくから、お願いね」
僕はカクタスの顔を見たあと、こたえた。
「でもこれから、やることがあるんだ」
「やること?」
「なんでもないさ」
カクタスが口をはさんできたが、僕は正直にこたえた。
「森のなかにいくんだ」
クランが目をぱちくりとさせた。「森に? どうして?」
「黒マントの男を見にいくんだ」
「それって、森に住み着いてるってうわさの? あなたたち、あのうわさを本当に信じてるの」
「いるよ」カクタスはいった。「けさ、うちの店で剣を大量に買っていったんだ」
「だから見にいくの?」
「わるいかよ」
クランがため息をついた。
「あのねえ、あなたがひとりでいくのはいいけど、サシクを危険な目にあわせないでよ」
「あいかわらず過保護だな」
あきれたようにカクタスは肩をすくめた。じっさい、そのとおりだからだ。
十年前に両親を亡くしてから、僕はクランの家に引き取られ彼女と一緒に生活をしていた。血の繋がっていない姉弟のような関係なのだった。
「そういうことじゃないわよ」
腰に手をやり、クランはにこりと笑いながらいった。
「サシクもいくなら、私も一緒にいくっていってんの」
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