『イモウト』『ギアネ』
齋藤 龍彦
【じんせいゲーム】
「こぉんにちはーっ、
『筒井
しかし元気いっぱいの笛の声とくらべ、まったく正反対な響きの声がインターフォンを通して吐き流されてきた。
「「なんで土曜なのに笛ちゃんがウチに来るのよ」」と。
そのいかにも嫌そうな声の主は『井筒
「土曜だからここに来たんだよ」と笛。二人の話しが微妙にかみ合っていない。
「「この間〔年始のあいさつ〕とかで来たばかりじゃない」」と、少しイラッがにじみ出ている音衣の声。この〝ちくちく棘な反応〟がこたえているのかいないのか——、
「もう年始はとっくに過去のお話しなんだけどーぉ」と笛も負けじと食い下がっている。しかし、
「「アポなし訪問はお断りしておりまーす」」とまだ音衣の方も負けてない。すると今度は笛の方が「約束は先週土曜にしていまーす」とラリーのように返していく。
(そんなのわたし聞いてないんだけど、)と音衣が思ったところで彼女の横に音も無く〝すっ〟と人がひとり立ち位置をとった。(——お兄ちゃん?)
インターフォンから男の子の声が「「笛ちゃん、いま開けるから」」と既に飛び出していた。即座に「はーい」と明るいお返事の笛。
「「ちょっと! お兄ちゃんっ」」「「年始のときに約束はしてたんだ」」インターフォン越しの兄と妹のぎすぎす気味の会話。
(なんか、従姉妹を溺愛しすぎてない?)と音衣は思う。音衣からしても(普段から兄は優しい)とは思うが、普段からベタベタ的に優しさを表現しない。
これについて矢都騎に深い意図など毛頭無いが、毎日顔を合わせている兄妹とはこんなものである。
音衣としては『約束してしまった』と言われてしまった以上どうしようもない。しかし兄が従姉妹と口裏を合わせ嘘を言う性格で無いことも分かっている。
(わたしのいないところで約束なんかしないでほしい)と思うのが精一杯。しかしこちら妹も妹で(わたしもお兄ちゃんとなにか約束しようかしら)と、そんなところにまで思考を飛ばしていた。
かくしてなんやかんや〝かちゃり〟と玄関ドアのカンヌキが回った。
「やあ笛ちゃん、一週間ぶり」第一声を発したのは矢都騎だった。その後ろにはしっかりと音衣がいる。小四ながらにらみをきかせるかのようなそんな顔をしている。しかし効果としてはまるで無さそう。
「一週間ぶり、矢都騎お兄ちゃん」と同じように『一週間ぶり』を繰り返す弾むような笛の声。
「ほんらい『お兄ちゃん』って呼べるのは妹だけなのに」と音衣が思ったことそのままに声を出してしまう。
「『本来』だなんて、むずかしいことば使うよね、音衣ちゃんは。でもお姉ちゃんじゃないけれど、わたしが〝ねいちゃん〟って呼んでるんだからべつにいいじゃない」そう笛は言い返した。文字で表現すると『音衣ちゃん』ということになる。
「いつも言ってるけど『ねえちゃん』だから。『姉』の呼び方はね」と音衣もまた言い返した。
「もういいじゃないか音衣ちゃん」と矢都騎は妹の方に説いた。優しげな声であったがこのパターンが音衣にはいつも不満であった。
ちなみに矢都騎は妹を『音衣』と呼び捨てにせず〝ちゃん付け〟で呼んでいる。別に従姉妹だけに敬称を限定しているわけではない。
そして決まってそこに笛はツッコミを入れ続けてきた。『お兄ちゃんが妹を〝ねいちゃん〟だって』と、(それ変だよ)とばかりに否定してくる。
そのたびにこれにカチンと来た音衣が〝逆ツッコミ〟を入れるところまでがお約束であったが、今日は笛の口にするその中身、〔否定/肯定〕が逆になってしまっていた。
音衣は彼女の兄の『いいじゃないか』に対し返事もなにもしなかったが矢都騎は「上がって上がって」と笛に声をかけていた。
(やっぱりお兄ちゃんは従姉妹に甘すぎる)とこれまで何度思ったかわからない感情がまたもこみ上げてくるが声に出したことはこれまで一度も無い。
「おじゃましまーす」と言いながら笛は矢都騎と音衣の家に上がるが上がるやすぐ履いてきた靴を自分できれいに並べ直してしまった。その時間、およそ三秒。
(まいどぬけめない)音衣は笛の動作のちくいちを、するどく観察していた。
靴のつま先を玄関のドアの方向に向けるだけなら後ろ向きになって靴を脱げばいいだけだった。音衣は自分の家でもよその家でもそうやってきた。しかし笛の動作は違っている。わざわざ両膝ついて靴の向きを手で変えている。
(ぜったいアピールだ、これ)
音衣の思い込んだ〝アピール〟とは〔わたしは礼儀正しく育ちがいいですアピール〕ということ。
「言っておくけど〔わたしたちの部屋〕じゃなくて客間だからね」と初っぱなから音衣が笛に釘を刺す。
「分かってるよ〜音衣ちゃん」と、良く言えばフレンドリーな調子、悪く言えば軽い調子で応ずる笛。
ただ、両者の声色はあまりに対照的。これをもってその仲は既に推して知るべしと推測できる人はできるけれども、それがふざけ合っているようにしか見えないのが矢都騎の感性。ごくありきたりの小学校六年男子と言えた。矢都騎は「じゃ、こっちへ、」と口にして笛を客間へと先導する。
歩きながら、
「先週の約束通りね、」と笛が言う。
字面通りなら〔約束を守ってくれたね〕となるが、そのイントネーションから念を押すような注文をしているように聞こえた音衣。(?)と、早くも不信を感じている。して予想は当たった。
「うん。またすぐ使えるようにまだ仕舞ってないから」と応じる矢都騎。彼もまた〝注文〟であることを理解していた。三人続けて客間に入るや、
「お兄ちゃん、いつの間にどんな約束を笛ちゃんとしてたの?」と少し語調厳しく兄に問い糾す音衣。
「『また次もこのゲームやろう』、ってね」と、こともなげな声調で答えた矢都騎。
(トイレに行ってたときとか、そのときちゃっかり約束されちゃったんだ)そう音衣は思う。
(——最上級生、それももうすぐ中学生なのに小学四年なんかに振り回されて)
「みんなでできるTVゲームの方がよくない?」それでも〝別の提案〟で抵抗する音衣。想定しているのはみんなで参加、それぞれが戦い最後まで残った者が勝ちというバトル系ゲーム。
「でもボードゲームは一人じゃできないから」とすぐ笛が反論(?)をしてきた。
音衣は物心ついた昔の昔からこの従姉妹の笛が苦手でほんとうにうっとうしく煙たかった。
(なぜ他人のウチのお兄ちゃんにここまでなれなれしいのか)と。その上自身の両親にも愛想良く如才ない。そんな音衣の昔からのよじれた内心を知ってか知らずか、
「——だからもちろん『人生ゲーム』で!」さらに続けて元気よく笛が口にした。
「そうだね」と矢都騎も呼応し、音衣の〝TVゲーム提案〟はあっという間に却下されてしまった。
笛が口にしたボードゲームの名、『人生ゲーム』とはサイコロならぬルーレットで出た数に従いマスを進んでいく海外型の双六といったゲームである。
音衣がそれでもまだ表情で異議を唱えている。しかしそこはお兄ちゃん。矢都騎は音衣の内心を察しこう言った。
「まあ笛ちゃんはいつも来られるわけじゃないし」、と。
しかし察した割には矢都騎は笛の側にあっさりと立ってしまっていた。音衣の表情はまったく変わらなかったがしかし矢都騎は「まあまあ、」と音衣をなだめるばかりで、さっそくピアノの上に載せていただけの『人生ゲーム』を絨毯敷きの床へと降ろし、自ら準備を始めてしまっている。そこへ笛がさっそく手伝いだしている。
(もうこうなったら!)といった極消極的な動機だったが音衣もその輪の中へと、外見上は積極的に入っていく。その意識の内は(二人の間に割って入っていく)といったものである。
こうして三人の共同作業でまたたく間に『人生ゲーム』の準備は整った。だがここでやおら「ちょっと席を外すね」と矢都騎が曖昧なことばを発するのとほぼ同時に立ち上がっていた。そのままドアの方へと——、もう客間から出て行ってしまった。
これはどういうことか?
身内とはいえ矢都騎にとっては年下の女の子が、しかも二人。男女比1対2である。こうした場では『トイレへ行ってくる』すらも口に出したくはなかったのである。そんな12歳男子の心であった。
しかしそれを察することができるのも女の子。小学四年・10歳女子はもう大人びていて小さいようで意外と小さくない。
一人が去り客間に二人で残された笛と音衣。だが二人の間にどんよりとした空気は存在しない。二人きりの状態では〝音衣の言動〟が却ってそうした空気を吹き飛ばしてしまうから。
「どういうことなの笛ちゃん。2週連続で来るだなんて」とさっそく音衣が問い糾している。
「お正月休みの次の連休が『成人の日』だから」と笛は答えたがその〝答え〟はもちろん音衣が求めたものでは到底ない。カレンダーのことなど訊いてはいない。
「違う、いままでにこんなこと無かったからきいてるの」
「あと二ヶ月、二ヶ月未満か、矢都騎お兄ちゃんが中学に行っちゃうから」
「なにそれ、お兄ちゃんが中学生になるのと2週連続でウチに来るのとなんの関係があるの?」
「分からないかなぁ、音衣ちゃんには。想い出づくりだよ小学校の」
「なんのためにつくるの?」
「想い出のため」
「それ、まーるで答えになってない。堂々巡りじゃない」
「そう言うけどこれがこれ以上はない『答え』なんだよ。分からないかなぁ、音衣ちゃんには」笛はまた同じフレーズを繰り返した。しかもいつもの顔で。こうしたやり取りを続けている間に矢都騎がトイレから戻ってきた。
「じゃあ始めようか」その声を合図にしたかのように既に揃え終えていた〝初期所持金〟を自分の分も含め笛がみんなに配り始めている。
「なんで笛ちゃんが〝ぎんこう係〟やってるの?」と自然咎めるような口調になってしまう音衣。
「じゃ音衣ちゃん、やる?」と、逆に笛に問い返される音衣。
もちろんそんな気の進まないことをやる気など無い。元々ボードゲームではなく、みんなでできるTVゲームの方がこういう時には好ましいと思っていたから。
「お兄ちゃんにやってもらえばいいじゃない」と、どちらでもない第3の答えを口にした音衣だった。それに呼応するかのように「やろうか」と応じる矢都騎。
「いいよ、いいよ、矢都騎お兄ちゃんは。こん回はわたしがやるから」笛はそのように答え矢都騎の提案を退けた。
(今日は『人生ゲーム』何回やる気よ?)と早くもうんざりな音衣。年始で笛が来たとき昼食を挟んでなんと〔4連続人生ゲーム〕だったのだからそれも無理もない。そうした音衣の心がついつい表情に出ていたのか矢都騎が言った。
「じゃあ今日は3回までにしよう」
(ふつうそこは〔2回まで〕程度じゃないの?)そう思った音衣。(どうしてお兄ちゃんはここまで笛ちゃんに甘いのか)とも。
しかし内心がこんな調子の不満でたらたらでも音衣は口に出して意志をなかなか露わにできない。というのもそれをやってしまうと『兄に甘やかされて育った妹』に思いっきりなってしまう。
そんな音衣の妹ポジションとまったく真逆の立ち位置にいるのが笛だった。笛には弟がいた。まだ小さいのでこの場に連れてくるわけにはいかないが、笛は間違いなく〝姉〟というポジションにいる。
二人はともに小学校四年で歳は同じだけれども、どこか笛は音衣より大人びたところがある。そして音衣はそれを自覚してもいた。だから〔人生ゲームのプレイ回数〕についてさえも口をつぐむことしかできなくなっていた。
——かくしてボードゲームの王道、『人生ゲーム』が三人によって始められた。このゲーム、確かに『井筒』の家にある物だったが、音衣も矢都騎もこれを父母から買ってもらったわけではない。それ以前からこの家に存在していて、実はけっこうな年代物であった。『井筒家』は古い物が積もるほどとってある家なのである。
ときにこのボードゲームの王道にはスタートして割とすぐ『結婚イベント』というマスがある。ルーレットでそれ以上マスを進めるだけの数が出ようとここで強制ストップとなる特異なマスであった。『人生の若いうちに誰もが結婚する』と、そうした前提でこの年代物のボードゲームは成り立っている。
音衣は嫌でも気づく。この問題のマスに矢都騎が止まるたびに笛が〔際どいこと〕を聞きだそうとしていることに。女子の直感が(なんて胡乱げな)と心に告げている。
〔際どいこと〕の中身、それはマスの名が示す通りのそのまんま。ずばり『結婚』。
よく知ってる他の誰かがどれほど異性にモテるのか? 当人からしたら『どーでもいいでしょ』といったところだが、この手の話しを『ねた』として楽しむということはままある。これがいわゆる『恋バナ』というもの。だが(笛ちゃんはそんな話しはしていない)という確信が音衣にはあった。
(〔どんな女の子が好き?〕ってきかないで〔結婚したい?〕って訊く? ふつう)
音衣にとっては兄も兄であった。僅かだが昔のことを思い出す音衣。それは約一週間ほど前の年始の時のこと。音衣的には矢都騎は笛には絶対言ってはならぬことを言ってしまった。
「ぜんぜんクラスの女子に相手にされてなくて、もしかして結婚できないかも」
(お兄ちゃんにはこれを朗らかな表情で言って欲しくはなかった)と、そう思うしかなかった。その時の目を爛々と輝かせていたあの笛の表情がまだ忘れられない。そしてその笛はこうも言ったのだ。
「だいじょうぶ。矢都騎お兄ちゃんにはもっといい人が見つかるから」
聞いた瞬間に音衣の頭に疑念が急浮上。
(これって恋人か言い寄って来た人をフルときに使うセリフじゃなかった?)
もちろん兄・矢都騎が笛に言い寄っているだとか、そうした気配は微塵も感じない音衣であった。笛を前に妙にそっけないだとか態度がぎこちないだとか一切無く、今も昔からのそのままの態度。
(ってことは笛ちゃんの言う〔いい人〕って……)
音衣は必然的にその答えに行きつくしかない。
(〔いい人〕ってのはじぶんのことを言っているんじゃ?)
音衣の思った〔じぶんのこと〕の〝自分〟とは、もちろん笛自身のことを指している。
小四時点なのに音衣は妙な知識を持っていた。誰に聞いたでもなく自分で意識的に調べて得た知識だった。
それは『日本の法律ではいとこどうしでは結婚できる』ということ。
(お兄ちゃんの結婚相手は〔おねえさん〕と呼ばなければいけなかったはず……)
(まさかとはおもうけど……)
しかし今現在の笛の矢都騎に対する態度は、いつも以上にベタベタしているようにしか見えない。
(これは本気で、わざとらしく〝思い出〟を造りにきている)
(笛ちゃんがわたしの『ギアネ』になる?)
『ギアネ』とはもちろん『義姉』と表記され、通常これに『さん』がつけられ『義姉さん』と書いて〔ねえさん〕と読ませる。
(笛ちゃんはあくまで従姉妹でお姉ちゃんなんかじゃない!)
もはや音衣にとっては笛は円周率のような存在になっていた。存在自体が割り切れない、という。
(了)
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