32. 叶わなかった理想までの距離

 図書準備室に入ると御手洗みたらいすでに仕事の準備を始めていた。

「お疲れ様」

「お疲れ様。俺もすぐ手伝うよ」

 かばんを置いて御手洗が分類分けしている返却されたばかりの本を半分受け取る。

「俺が早く来すぎてやってるだけだから気にしないでいいのに……」


 御手洗は何かを言いたげにこちらを見てきた。最近はすっかり距離を取ってくれる様になった彼にしてはめずらしい態度に、普通じゃない精神状態な俺は反応してしまう。

「どうかした?」

「うん……赤嶺あかみねくん何かいいことでもあった?」


 財津ざいつといい御手洗といい、他人のことを見透みすかしすぎじゃないか? それとも俺は自分で思ってる以上にわかりやすいのか? だとしても図書準備室に入ってものの数分で看破かんぱされるとは思ってもみなかった。

 財津との仲が深まったことに対する喜びを見破られているとすればかなり恥ずかしい。それまでは落ち込んでいたのに、後輩とのちょっとした出来事ですぐに気持ちが持ち直す単純さもだ。

 それに財津の時と違って御手洗に知ったようなことを言われるのはなんとなく腹が立つ。それはたぶん、俺が御手洗のことをあまり好きじゃないからだろう。


 なんで好きじゃないのかと聞かれると答えに困るが……


 椎菜先輩の顔が頭をよぎる。

 これも俺が知るべきことなのかもしれない。


 交代の時間になって図書室に入ると1年生2人が俺たちと入れ違うように図書室から出て行った。いつだったか、私語しごを御手洗から怒られていた2人だ。

 御手洗が珍しいことを聞いてきたのだから、俺が珍しく話しかけたとしてもバチは当たらないだろう。というか、御手洗はきっとどんな時でも嫌な顔せずに答えてくれるはずだ。


「ねえ、御手洗くん」

「どうしたの?」

「前にあの2人を怒ったことあったでしょ?」

「怒ったってほど何か言ったわけじゃないよ。注意というか指摘というか、その程度」

「なんでそんなこと言ったのか、ふと気になって。別にあの2人が喋ってたとしても俺たちがどうこう言われるわけじゃないし、わざわざ嫌われたり軋轢あつれきが生まれそうなことして御手洗くんが泥をかぶる必要もなかったのかなと」


 御手洗はカウンターの椅子に座ると、当時の気持ちを思い出すみたいに天井を見ながら考え始めてしまった。

 幸い、図書室には1人のお客さんも来ていない。

「言わなくても良いことだけど、言っても良いことだったから。どちらでもいいなら俺は言いたいと思った。だから言ったって感じかな。あの時の2人の行動は俺の中では正しくなかったし、それを見過ごす自分っていうのも正しくないと感じたから。俺は……こんな言い方すると真面目すぎるって思われるかもしれないけど、迷ったら正しい方を選びたいと思ってるんだ」


「それで嫌われることは考えなかったの? 実際には無いだろうけどあの2人が御手洗くんの陰口を叩くようになったかもしれないし、何かしら君が不利益を被る可能性はゼロじゃない。その可能性があっても言うの?」

「あっても言うね」

 御手洗は話し方こそやわらかかったが、そこには確固かっこたる決意がにじみ出ていた。

「それは確かに生真面目きまじめすぎるよ」


 なんとなく、好きじゃない理由が見えてきた気がする。


「俺もそう思うよ」

「それって疲れない?」

「たまにね。でも自分の中の判断基準は1度立てたからにはぶらしたくない。ぶれちゃうと今までの選択全てがらいじゃうからね」


 真面目な良い子でいながら他人に流されないじくを持っている。

 御手洗はどこかの誰かとは大違いだ。


「逆に俺からも質問してもいいかな?」

「答えられる範囲でよければ」

「今日は色々と聞いてくれるけど、何かきっかけでもあったの?」

 どこまで御手洗にだろうか。いや、のだろうか。

「色々とあったよ……まあその色々を話すのはちょっと厄介やっかいなんだけど。ちょっとした気まぐれと思ってもらっていいよ」

 結局、1番曖昧あいまいつかみどころのない答えを選ぶ。

 けれど御手洗はそれを許してくれる。


「そっか。だとしても嬉しいよ。正直なところ、嫌われてるのかと思ってたから」

「多分、俺はどんな相手にも大抵そういう態度だから、御手洗くんが気に病むことじゃないよ。むしろ態度悪くてごめんね」

「いや、でも最初の頃しつこく話しかけてたの嫌だったよね?」

「あまり良くは思ってなかった、かな。でも最近はそういうのも減って、気をつかってくれてたんでしょ?」

「一応、ね」


「その、なんで最初の頃は話しかけてきてたの? ってこの言い方はまた感じ悪いな……ごめん」

「いや、赤嶺くんは誰に対してもそういう態度なんだろ? だったらいいよ」

 御手洗が悪戯いたずらっぽく笑う。何もそこまで打ち解けたつもりはないが、前よりは悪い気がしなかった。

「そういうことだから気にせず質問に答えてもらえれば……」

「だって同じ委員会で週に1回は必ず同じ時間を過ごすわけでしょ? だったら仲良くなった方が楽しそうじゃん。赤嶺くんがあまりそういうのを望んでないみたいだからやめたけど」

 御手洗の答えがあまりに単純すぎて肩透かしをくらった気になった。

 一緒に時間を過ごすから仲良くする。いたってシンプルだが、理にかなっていた。


「よく人のこと見てるんだな」

「そりゃあ相手と仲良くなりたいと思えばどんな人か知ろうとするでしょ」

「その通りだね」

 知ろうと歩み寄る人間と、知りもせずに拒絶する人間。

 どちらかが正しいのだとすれば、それは御手洗の物差しではかるまでもなく答えは1つだ。

 いよいよ俺が彼を遠ざけたかった理由の核心かくしんに近づいてきた。


「最後にもう1つだけ聞いても良いかな?」

「もちろん」

「たとえば同じクラスとか部活とか、そういう自分だけじゃコントロールできない規模の中での出来事なんだけど、ちょっとしたミスとか本人じゃどうしようもないことが原因でいじめみたいなことが起きたとする。その時、君はどうする?」

「そりゃ、いじめを止めるよ。だって本人に悪気があったわけではないんでしょ? それにちょっとしたミスなら取り返す機会だってあるはずだ。こういう言い方をすると取り返しがつかないならいじめを許すのかって話になりかねないけど、多分俺はどんな状況でもいじめという形は許容きょようできないと思う」

「そうだよね。ありがとう」


 俺が御手洗のことを好きになれなかった理由がこれではっきりした。

 御手洗は俺がなり損ねた"良い子"なんだ。それも俺みたいなまがい物じゃなくて正真しょうしん正銘しょうめいの。

 だからまぶしくて見ていられなかった。

 近づくと不出来な自分との違いがはっきりするから遠ざけた。

 それを受け入れることはなりたかった自分を肯定することであり、なれなかった自分を否定することになるから、曖昧あいまいなままに嫌って拒絶した。


 あの時、"そいつ"の言葉なんてなくても最初から"そいつ"の味方ができたら俺も御手洗のようになれたのだろうか。

 誰かの言葉1つで主張を曲げないような信念を胸にえられていたら、俺も"良い子"になれたのだろうか。


 理想と現実の距離は御手洗と俺が座る椅子の間、ほんの数十センチ。

 それは俺には決して越えられない距離に思えた。


 だけど想像してたよりもそこは遠い場所でもなかったのかもしれない。

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