第4話 自称エラーイ学者のマリー

 アユムが目を覚ますと、知らない天井が広がっていた。

 まどろんでいた視界が広がっていくにつれて、体の節々の痛みがうずき出す。

 夢であってほしいと思っていたが、ギアノロイドという恐ろしい機械駆動生命体との闘いは現実のものだったらしい。アユムはベッドの上で体を起こしながら、意識を失う前のことを思い出す。

 そうだ……奥の手を隠していたギアノロイドに攻撃される寸前、謎の二人組が現れて助けてくれた。そこで安心しちゃって、それ以降のことは覚えていない。ここは……?

 そんな時、どこからか漂ってくるいい匂いがアユムの鼻腔をつく。空きっ腹に効くような、コトコト煮込んだコンソメスープに似た香りである。

 かちゃ、と部屋の戸が開いて誰かが入ってくる。

 あの時は後ろ姿しか見えなかったが、たぶん森で自分を助けてくれた女性だ。


「あら、起きてたの。おはよう」


 当たり前の日常みたいにあいさつをかわす女性にアユムは違和感を覚える。そもそもこの女性が誰で、ここがどこなのか全くわからないのだ。


「あの……ここは?」


「私のアトリエ。急に気絶しちゃうんだもん。驚いたわー」


 女性はさして何でもないような呑気な口調である。アユムにとっては、まさに命懸けの一大事だったわけだが、なんだか肩透かしを食らった気分だった。

 記憶を思い起こしてみるも、アユムはやはり女性のことを知らない。年の頃は自分よりも少し上くらいだろうか……少女と呼ぶのが適切なのか、女性と呼ぶのが適当なのか迷うような、少女と女性の狭間の年頃に見て取れる。

 そういえば……あの時一緒に戦ってくれたイトミクやルビー:カーバンクルの姿も見えない。お礼を言いたかったのに、どこへ行ってしまったのか……わからないことだらけだ。

 そんなアユムの表情を見てか、女性は柔和にほほ笑むと、ベッド脇のサイドテーブルにコップをコトンと置いた。


「ただの水だけど、飲んだら少しすっきりすると思う。落ち着いたら、降りてらっしゃい。下で朝ごはん用意してるから」


 それだけ言うと、そそくさと出て行ってしまった。

 部屋に一人ぽつねんと残されたアユムは、しばし思考を停止させたのち、コップを手に取って口をつける。それは本当にただの水だったが、色んな事があった後だからだろうか、体中に染み渡るような美味しさで、アユムは一気に頭がクリアになっていくのを感じていた。それと同時に、しばらく何も食べていなかったことを思い出し、先ほどから漂ってくる良く煮込んだコンソメに似た香りに空腹の胃袋がついに悲鳴を上げたのだった。


 部屋を出ると一瞬、頭がくらっとした。疲れが抜けてないのだろうか。螺旋らせん階段が下まで続いていて、アユムは手すりを手に取りながら慎重に降りていく。目覚めたばかりで、足取りが若干おぼつかない。階段の傍にダイニングキッチンがあり、女性はスープをすすりながらパンを齧っていた。


「おはようございます。あの……色々とありがとうございます」


「どういたしまして。とりあえず……話はご飯食べてからにしよっか」


 彼女の提案にアユムは黙って頷いた。


「どう?結構美味しいでしょ。自信作なんだ」


「……悔しいけど、激烈にウマい」


「なんで悔しがるのよ、変な子。ま、カップスープにちょっと味付けしただけなんだけどね」


 けらけらと笑われるが、事実スープは美味しかった。めちゃくちゃ腹が減っていたというのが一番大きかったと思うが、具体的にどう美味しいのかと解説を求められても、アユムはグルメ評論家ではない。『めっちゃウマい』というのが最上のめ言葉なのだ。


 アユムはスープを飲み進める一方で、自分の中で不安の種がむくむくと大きくなっていくのを感じていた。

 目の前の女性は何者なのか。なぜ自分に親切にしてくれるのか。あの後、何があったのか。

 胸の中に次々と疑問の泡が浮かんでくる。わからないことばかりで目の前の現実に押しつぶされそうになる。そんなアユムの胸中を知ってか知らずか、女性は穏やかな声で問いかけた。


「なんだか神妙な顔してるけど……大丈夫?」


「……スープ、ご馳走様でした。本当に美味しかったです」


「ふふっ、あんましそうは見えないけど」


 アユムは素直に感謝を伝えたつもりだったが、せきを切ったように増大する不安の念が顔ににじみ出ていたらしい。事実、最後の方は味もよくわからなくなっていた。


「……あなたは何者なんですか? 俺を助けた目的は? それに……一緒に小人や子犬っぽいやつらがいたと思うんですが、あいつらはどこへ行ったんですか? 何か知っているなら教えてください!」


「まぁまぁちょっと落ち着きなさいな。一度にそんなに質問されても答えられないし、そ れに……人にものを尋ねるなら自分から名乗るのが礼儀ってもんじゃない?」


 女性の冷静な口ぶりを見て、アユムは自分の方が動転してしまっていたことに気づく。

 今はとにかくどんなことでも情報が必要だ。アユムは彼女の言葉通りに、まず自分から名乗ろうと口を開く。


「そうですね。自己紹介が遅れてすみません。名はアユム――」


「私はマリファ・ヴィオラート。マリーでいいわよ。こう見えて実はエラーイ学者なの。年はピッチピッチの15歳よ」


 自分の自己紹介にかぶせるようにして突如話し始める女性に、アユムは思わず顔をひきつらせた。しかも、どう見ても19の自分より年上に見える。


「自分から名乗れって言いましたよね!? しかも年下!? どう見ても15には見えないんだけど!?」


「まぁホントはまだピッチピッチの27なんだけどさ」


「なんでこの場面で誤魔化した!?」


 さすがに12歳分、年齢を盛るのはやり過ぎだと思うアユムであったが、マリファことマリーは全く悪ぶれる素振りもなく、剥き出しの茶目っけで冗談めかして言った。


「いやぁ……張っちゃうよね、見栄。君もこの年になればわかるわよ」


 煙に巻かれた気分だったが、アユムは強引に話題を戻した。


「マリーさんの見栄はどうでもいいです。俺が知りたいのは、ここがどこなのかってこと。それに……どうして初対面の俺を助けてくれたんですか?」


「どこって……そりゃ私のアトリエよ。まあ家みたいなものかもね」


 会話がことごとく噛み合わず、アユムはため息をついた。


「……それはわかってますって。俺が聞きたいのはそうじゃなくて!」


 アユムがため息をつく一方で、マリーは噛み合わない会話をことほか楽しんでいるらしい。口元がいたずらっ子のようににやけている。……はっきしいって、うざい。


「アユムくんって呼べば良いかな? 君、真面目だねぇ。……あ、怒った。ごめんごめん。私もまともに人と話するの久しぶりで、ついつい楽しくなっちゃって。許して」


 初心うぶなアユムはマリーの上目遣いにドキリとする。マリーは目を細め、値踏みするような目つきでアユムを見る。一瞬で彼女のまとっている雰囲気が変わった。


「……逆に聞くけどさ、君こそ、あそこで何をしていたのさ?」


「あそこ……とは?」


「黒の樹海よ。あの森は昔から立ち入りが禁じられているの知らないわけないでしょ? 私がたまたま見つけたから良かったものの、下手すればあのまま死んでたわよ。ただの家出じゃ片付かない話よ」


 まるで尋問じんもんを受けているかのようである。先に質問をしたのはアユムだったが、いつの間にか立場がすっかり逆になっている。アユムはすっかり委縮してしまっていた。


「それだけじゃないわ。すぐに家出少年を警察へ連れて行こうと思った私を思いとどまらせた一番の要因。あのレムレス……絶滅したはずのカーバンクルをどこで入手したの?」


 絶滅したはずのカーバンクル……? そんなこと言われてもアユムにはわかりっこない。

 確かあの白い本の記述にそんなこと書いてあった気もするけれど……。

 マリーが内にはらんでいた強い疑惑が垣間かいま見え、アユムは弁明のために今まで自分の身に起きったことを一つ一つ順序だてて話していく。

 ――目が覚めたら見知らぬ森の中にいたこと。自分がどうしてこの場所にいるのか、なにをしていたのか思い出せず、おそらく記憶喪失の状態にあること。偶然出会ったイトミクとルビー:カーバンクルの力を借りてなんとかギアノロイドを撃退したこと――。

 アユムの話を余計な相槌あいづちを打たずに黙って聞いていたマリーは、やがてふぅーと一際大きく息をつく。


「記憶喪失……ねぇ。我ながら上手い言い訳を思いついたものね」


 どうやら全然信じていないらしい。アユムとしては、自分に説明できることは説明しつくしたし、これ以上弁明のしようもなかった。


「嘘じゃない! 信じてください! ……そうだ。あいつ、ルビー:カーバンクルは今どこにいるんですか? あいつなら会話もできるし、俺の言ってることも証明できると思います」


「レムレスが人間の言葉を話すわけないでしょう。頭を打ったのはどうやら間違いなさそうだけど」


 どうしよう……。アユムはレムレスに関する記憶がないから、カーバンクルがしゃべってるのも、そういうもんだと思っていた。だがマリーの口ぶりからするに、人間の言葉を話すレムレスは普通ではないという認識が一般的らしい。

 しかし、ルビー:カーバンクルが言葉を話せるのは事実である。まずはとにかくヤツをマリーに会わせることで何か事態が好転するかもしれない。というか、アユムにはそれより他に手立てがなかったのである。


「ルビー:カーバンクルがどこに行ったのか、あなたはご存じのはずですよね。あいつに会わせてください」


「カーバンクルはこの地方ではとうの昔に絶滅したとされている貴重なレムレスよ。確かに私が保護しているけど、素性の知れないあなたに渡すわけにはいかない」


 ここにきてアユムは自分の信用のなさを呪った。端的に見れば、記憶喪失で立ち入り禁止の場所にいた自分は不審人物といわれても仕方がない。

 アユムは最早、マリーの疑念を晴らすのはあきらめていた。彼女の疑念はもっともだし、それを晴らす材料は今の自分にはない。ただ、アユムには一つ気がかりなことがあった。

 ルビー:カーバンクルがマリーに保護されていることはわかった。だが、あの場にはもう一人、自分と共に暴走するギアノロイドと戦ってくれたものがいた。マリーの話からはそいつ……イトミクがその後どうなったのかわからない。

 イトミクはギアノロイドからアユムを身を挺して守ってくれた。だが、気を失う前、イトミクの体力はもはや限界で息も絶え絶えになっていた。アユムは無事を祈ることしかできない自分がひどくもどかしかった。


「一つだけ、教えてくれませんか。あの時……ギアノロイドと戦闘した時に俺と一緒に戦ってくれたイトミクっていうやつがいたはずです。あいつは……無事なんですよね?」


 期待を込めてたずねた質問だった。だが、マリーの表情は暗い。

 まさか……という思いがアユムの頭をよぎる。


「あの時、すでにイトミクは瀕死の状況だったわ。手を施したけど、意識はなく、今も生死の境をさまよっている」


「そんな……」


「あの子を助けたいの?」


「あいつは……イトミクは俺のために怪我をしてしまったんだ。放っておけばよかったのにかばったりするから。あいつをどうにか助けてやれませんか!」


「方法はなくもないわ。だけど……素性の知れない君を一緒にするわけにはいかない。君はどのみちブタ箱行きだけど、それでも助けたい?」


 マリーの言う、ブタ箱ってのがどういう場所なのか、見当もつかないが、素性のわからない現状では仕方ないし、アユムにとってはイトミクの治療が優先に決まっていた。

 迷いもなく頷いたアユムを見て、マリーは小さく顔をほころばせた。

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