Menu19.弾劾トマト その8
――教皇。
言うまでもなくそれは、ミロス教団における最高位の僧を指す言葉である。
その言葉は、主のそれも同然であり……。
いわば、地上における主の代弁者であり、代行者ともいえる存在であった。
当然ながら、民からの信奉は――厚い。
王家とはまた、別の意味でこの国を象徴する人物なのである。
それが、突然、この裁きへ来訪するという。
その通達に、修道騎士たちは慌てふためき……。
逆に、傍聴する民たちは湧き立った。
両者の反応が違うのは、民たちが単なる見物者に過ぎぬのと異なり、テンプル騎士団がミロス教団にとって、非公認の組織だからである。
そもそも、テンプル騎士団の前身は、地方部における治安維持を目的とした自警団だ。
その活動方針が人々に受け、莫大な寄付により勢力を急拡大したが……。
当然ながら、そこにミロス教団の……ひいては、教皇の思惑など、関与しているはずもない。
ただ、気がついてみれば、無視できぬほどに同騎士団の規模は拡大しており……。
現在は、黙認という形で干渉を受けていない立場なのである。
いや、裁きの場となっているこの教会や、他の都市における支部を半ば強引に接収していると考えると、ミロス教団内部へ騎士団が侵食しているというべきか……。
かような状況であり、これまで不関心を貫いてきた教皇が、突然、自分たちの下へやって来るという事態に、修道騎士たちは混乱したのだ。
だが、心を乱したところで、相手は構わずやって来るものであり……。
すでに出発してから先触れを出したのだろう――教皇の到着は、伝令がそれを伝えてから程なくしてのことであった。
国教最高位の僧といえど、公用ではなく私用であり、二頭立ての馬車を一台用立てただけという、極めて簡素な形での来訪である。
供としているのは、外から見た形では御者を務める若い神官だけに見えたが……。
「ん……?
「あれは……若い女性に見えるな」
「一体、誰だ?」
そう、馬車の客席に収まっていたのは、教皇のみではなかった。
一人の女性が、白一色の簡素なローブへ身を包んだ老人の手を引き、共に降り立ったのである。
美しい――女だ。
亜麻色の髪は、丁寧に櫛を入れた上で結い上げており……。
二十代前半にふさわしい薄化粧が、ますますその美貌を際立たせる。
身にまとっているのは、教皇と同じ純白のローブ。
季節も相まって薄い布地を使ったそれは、ほっそりとしつつも女性らしいシルエットを浮き彫りとしていた。
不意打ちともいえる美女の到来に、男たちの視線が一斉に注がれる。
どうやら、そのような視線には慣れていないのだろう。
美女は、たった今まで手を貸していた教皇の後ろに、半ば隠れるような位置を陣取った。
老齢の僧が、そんな女性の行動に苦笑いしながら、今度は逆に彼女の手を引く。
すると、示し合わせたというわけではないが……。
傍聴のために集った人々は左右に別れ、二人が歩くための道を作り出したのである。
女性の手を引いた教皇が、その中を歩きつつ……にこやかに人々へ笑いかけた。
――何とありがたきことか。
敬虔なるミロス教徒たちが、ただそれだけで恍惚とした境地に至ったのは、言うまでもない。
「お待たせしてしまったね」
ついに弾劾の場へ到達した教皇が、おだやかな……それでいて、年老いた姿からは想像もできぬよく通った声で、修道騎士たちに語りかける。
その姿は、実に堂々としたものだ。
身に着けた徳か、はたまた主の加護がその身に宿っているのか……。
全身に鎧をまとった修道騎士たちなどより、よほど迫力が感じられるのである。
「い、いえ……。
まさか、教皇
この王都支部を預かる修道騎士が、いかにも不慣れな所作で礼の態度を取った。
この辺りは、生まれながらの戦士階級ではない悲しさで、彼ら修道騎士の礼法というものは、我流で洗練されていないのである。
「私がここへやって来るのは、当然であるとも」
国教最高位の僧が、鷹揚とも取れる態度でそう語りかけた。
「そちらにいる、修道騎士の皆さん……。
こちらにいる娘に、見覚えはないかな?
それとも、問題となった先週の安息日……。
シュロスという店に立ち入ったのは、別の方々でしょうか?」
教皇の言葉に、修道騎士の何名かが怪訝な眼差しを娘へと向ける。
それは、被告側に立つヴァルターたちも同様であり……。
「――ああっ!」
ただ一人、侍女服を着た娘のみは、全てを理解したという風に手を打ったのであった。
「……まあ、一見して分からぬのも無理はありません。
こちらの娘は、普段は無精というか、何というか……。
恥ずかしながら、書庫を
それで、身だしなみを整えさせている内に、到着が遅れてしまったのですから、被告側の皆さんには申し訳ないことをした」
教皇の言葉に、当日、立ち入ったらしい修道騎士たちや、被告側の面々も、ようやく何かへ気づいたような様子を見せる。
だが、彼らが何かを言う前に、教皇がはっきりとこう告げたのだ。
「こちらの娘は、我が孫ハンネ!
テンプル騎士団により、我が不肖の孫が弾劾されると聞き、私も共に馳せ参じた次第……。
我が孫の身でありながら、主の教えに反する行いをしたというのなら、どうぞ、この場ではっきりとそれを証明して頂きたい」
その言葉を受けて……。
修道騎士たちは、大いに動揺した姿を見せたのである。
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