第22話 監視された世界


 日中。川原の野営地。

 刻哉は空を見上げていた。

 蒼穹にわずかなちぎれ雲だけが漂う光景は、ともすればここが異世界であることを忘れるほど平穏だ。


 刻哉は、義両親宅の裏山で修行じみたサバイバルをしていた頃のことを思い出していた。

 あのときも、空を見上げてよく物思いにふけったものだ。


 違いは、目つきと意志。

 裏山にいたころは、おそらく死にかけの表情をしていただろう。

 今は、やりたいことがある。

 それも、全身の血が沸き立つような、命を賭けても惜しくないような、どうにも抑えられない強烈な欲求が、今の刻哉にはある。

 不思議なことに、やりたいことができた今の方が視野が広くなったような気がする。

 だからこうして、


「トキヤさん」


 フィステラがやってきた。彼女の後ろでは、リコッタが道具の整理を行っている。


「どうぞ。これが手持ちの素材で作った最後の地粘材です」

「ありがとう。念のため、これはこのまま持っておくよ」

「……なにか、気になるものがあったのですか? 空に」


 隣に立ち、刻哉と同じ方向を見つめる。

 長閑のどかな空が広がるだけで、モンスターなどの脅威は見当たらない。フィステラは首を傾げている。

 刻哉は言った。


「フィステラさんは世界樹を壊すって言ったよね。そして世界樹は、フィステラさんの仲間たちが護っていると」

「……。はい、そのとおりです」

「つまり同族に反旗をひるがえすってことだよね」

「そう、です。私は本気ですトキヤさん。決して、冗談で言っているわけではありません」

「うん。それはもうわかってる」


 あっさりとうなずかれ、フィステラは肩透かしを食らった。

 刻哉の視線は、まだ空に向けられていた。


「ただ、さ。それってこっそりやる必要があったりする?」

「え? ええ、まあ……できれば、こちらの準備が整うまでは事を荒立てたくないなとは思っていますが……」

「もう難しいかもね、それ」


 視線だけ、フィステラに向ける。


「前に話した『いせスト』……異世界公式ストリームって言うんだけど、あれ、こっちの世界で起こったことをリアルタイムで鑑賞できるサービスなんだよね」

「…………え?」

「ゆめKoのことやリコッタのこと、それからクィンクノーチのことを俺が知ってたのも、向こうの世界でいつでも映像で見ることができたからなんだ。まあ、アップされる映像の種類には一応限りがあるみたいだったし、だいぶデフォルメされていたから異世界の全てを映し出すわけじゃないと思うけど」


 フィステラが一歩後ずさる。刻哉は肩をすくめた。


「いせストがあるってことは、誰かがこの世界の俺たちをずーっと監視し続けてるってこと。空を見上げても、それらしき撮影機材は一切見当たらないから、たぶん、俺たちが認識できない方法で、一方的に」

「……」

「これじゃあ、隠れて何かするにも限界があるんじゃないかな」


 フィステラは押し黙る。彼女の周りを舞う蝶が、不安の青に明滅していた。

 精霊少女は「おそらく」とつぶやく。


「私たち姉妹の中には、情報収集に長けた子もいます。私よりも上位……常に世界樹の側に控えるような存在が……で、ですがっ」


 自分に言い聞かせるような口調になった。


「私のように世界を飛び回る姉妹たちと上位の精霊たちは、今はほとんど接点を持ちません。こちらが報告に向かうときくらいしか……だから、きっと。そう、きっと大丈夫――」

「別にそんな怖れる必要はないんじゃないかな」


 いつもどおりの刻哉の口ぶりに、フィステラが顔を上げる。


「やることは変わらないでしょ。俺も、フィステラさんも」

「トキヤさん」

「監視役の存在は、念のため聞いてみただけだし。そりゃそうだよねって、納得はしてる」

「も、もし……妨害が入ったら」

「妨害?」


 きょとんと刻哉は目を瞬かせた。


「妨害されても続けるよ。もちろん」

「うえぇ……?」

「武器の出来には全然納得してないからね。まだ――まだ、まだ、全然足りないから」


 不意に鋭さを増す刻哉の視線。フィステラは唾を飲み込んだ。


 いつもの超集中状態に入りかけたところで、彼は我に返る。


「そういえば、クィンクノーチには鍛冶設備があるのかな。体調も戻ってきたし、そろそろじっくり作業できる拠点が欲しいんだ」

「……すみません。そこまでは」

「そっか」


 きびすを返す。獣人少女に歩み寄ろうとする刻哉を、フィステラが呼び止めた。


「トキヤさん、何をお考えに?」

「リコッタなら何か知ってるかと思って」

「言葉、通じないのでは?」

「うん。だから通訳をお願いしたい」

「……。トキヤさんが自分から意思疎通を図ろうなんて、珍しいこともあるものです」


 どことなく茶化すような、思いとどまらせたいような、そんな口ぶりで精霊少女が後ろ手を組む。

 もちろん、コミュ障バグ男にそんな機微は通じない。どんどん歩いて行く彼をフィステラは慌てて追いかけた。


「リコッタ」


 刻哉が呼びかけると、獣人少女は尻尾をぴこんと反応させた。いせストではわからなかったこうした仕草を見るのも可愛いなと、刻哉は思う。

 いくら喜怒哀楽に乏しそうに見えても、彼はいせスト動画の愛好者。「可愛い」「格好いい」くらいの感想は持つ。


 リコッタは喜色を浮かべて振り返る。近くにフィステラがいることにちょっとムッとしていたが、大人しく刻哉の向かいに座った。


「あの。トキヤさん」


 フィステラが遠慮がちに言った。


「薄々ご理解いただいていると思うのですが……その。私、彼女にひどく嫌われていて」

「うん。それで?」

「う……あの、その。正確に意図を伝えられるかどうか、不安があると言いますか」

「そっか。わかった」


 またもあっさりうなずき、刻哉は単独で、身振り手振りを交えて会話しようと試みる。

 恥だの躊躇ためらいだの一切感じさせない様子に、フィステラは降参した。刻哉の手を掴む。


「やります、大丈夫ですから」

「ん。じゃあお願い」


 いつもどおりの表情で言われ、フィステラは溜息をついた。

 すでに若干威嚇モードに入っているリコッタをできるだけ見ないようにしながら、精霊少女は刻哉の言葉を端的に伝えた。


『鍛冶ができる場所を探している。クィンクノーチにそれはあるか』


 途端。

 はっきりとリコッタの顔付きが変わった。


『クィンクノーチはわたしを追い出した精霊がいる街。わたしに、むざむざ殺されに行けと言うつもりなの、大精霊様?』


 いきなり翻訳に困る言葉をぶつけられ、フィステラは泣きそうになった。



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