第9話 ルーカスとの朝食
久しぶりにベッドから起き上がって、ドレスを身につけた。
シンシアが好んで着るフリルたっぷりの派手なドレスは、離宮で身につけて慣れているので問題ない。
つんと顎を上げる仕草も、気取った歩き方もマスターしている。
けれど、悪態をつくのだけはどうしても慣れない。
「どうされました? ため息などつかれて。いえ、シンシア様の気持ちは分かっております。やはり野蛮なルーカス陛下との朝食は気が滅入りますわね。お気持ち察しますわ」
ヒルミはシンディの髪を整えながら同情した。
ヒルミはずいぶんルーカス王のことが気に入らないようだ。
それはシンシアが嫌っているから合わせているのか、それともヒルミが毛嫌いしているからシンシアも嫌いになったのか、どっちか分からない。
いや、どっちもなのだろう。
けれどシンディ自体は、このとんでも王妃を妻にしているルーカスを気の毒に思っている。
だが、そんな心情はヒルミの前では決して出してはいけない。
ヒルミは、『ルーカス王を嫌っているシンシア王妃』を見ると機嫌が良くなるのだ。
いつものシンシアに戻ったと大喜びする。
ヒルミに疑いを持たせないためにも、盛大に嫌っていることを示さねばならない。
「ま、まったくね。あの赤い瞳を見るだけで鳥肌が立つわ」
「よく分かります。あの野蛮な赤目のおぞましいこと。吐き気がしますわね」
いや、そこまで言ってないんだけど……。
この、ルーカス王の悪口で意気投合……みたいな関係が嫌だ。
なんだか、自分がどんどん嫌な人間になっていく気がする。
ともかく、気の重い朝食時間になった。
◇
「おはよう、シンシア王妃」
朝食の席につくと、ルーカス王が告げた。
「おはようございます。ルーカス陛下」
座りながらつい挨拶を返すと、周りの空気がおかしい。
ヒルミや侍女達が驚いた顔でシンディを見ている。
目の前に座るルーカス王も怪訝な顔をしていた。
(しまった。つい挨拶を返してしまった。だ、だって朝の挨拶を返すのなんて当たり前のことじゃない)
だが、その当たり前のことをしないのがシンシアだったのだ。
いつも、ふん、と鼻を鳴らして椅子に座るらしい。
いやいやいや、それって人としてどうなのよ。
だがシンディは今、その、人としてどうなのよ、という人物の影武者をしているのだ。
「な、なにを驚いていらっしゃるのかしら。き、今日は久しぶりに気分がいいので、たまには挨拶だってしますわよ。失礼ですわね」
つんと顎を上げ、気取って言い放つ。
ルーカスは肩をすくめて、小さくため息をついた。
いつものシンシアだと思ってくれたようだ。良かった。
目の前には、病人食とは違う美味しそうな料理が並んでいる。
魚介のスープに、ミートキッシュ、フライポテトに焼き立てのパン。
久しぶりのご馳走に口元が綻ぶ。
(ミートキッシュ! なんて美味しそうなの!)
フォークとナイフを手に、さっそくミートキッシュを切ろうとしたシンディだったが、突然ヒルミの声が響く。
「まあ! ミートキッシュではないの? シンシア様はミートキッシュがお嫌いだと言いましたでしょう? 給仕は忘れていたの? 料理人を呼んでいらっしゃい!」
「え……」
そうだっけ?
シンシアはミートキッシュが嫌いなの?
「魚介のスープも、甘みのあるコーンスープに替えてちょうだい。ポテトはスイートポテトにしてと言っていたでしょう? パンは甘い菓子パンよ! まったく、しばらくここで食べていなかっただけで、すべて忘れてしまったの?」
ヒルミが給仕に命じて、目の前の美味しそうな料理が下げられていく。
(いやあああ。私のミートキッシュが……。食べたかったのに……)
良い香りだけを漂わせて、あっという間にシンディの前から消えてしまった。
(ううう。空腹になんという拷問……)
恨めしそうに
「しばらく私だけの朝食だったから、私好みの料理にしてもらっていた。今日から王妃も一緒に食べることを伝えていなかった私の不手際だ。料理人を許してやって欲しい」
シンディが怒っていると思ったらしい。
(全然怒っていません。食べたかっただけなんです)
だが、その言葉はぐっと飲み込んで、つんと顎を上げ告げる。
「今日だけは許しますわ。次からは気を付けてくださいませ」
ルーカスは「分かった」と答えて肩をすくめた。
(ううう。なんなのこれ。悲し過ぎる)
全然思ってもいないことを言う日々が、これほど辛いと思わなかった。
目の前には、すぐに甘いコーンスープと、スイートポテトと菓子パンが並べられる。
(ううう。美味しいけど、朝からこんな甘い物ばかり気持ち悪い。甘党にもほどがあるわ)
食の好みが違うのも辛すぎる。
しょんぼりと食べ進めていると、ルーカスが思い出したように告げた。
「そうだ。王妃に快気祝いのプレゼントを用意したのだ」
そう言って、壁際に控える従者に合図して、シンディの側に持ってこさせた。
「これは……」
それは真っ赤なルビーを真珠でかたどった美しいブローチだった。
「赤いルビーはラムーザでは魔除けの意味を持つ。二度と熱病にかからぬよう、お詫びと加護を込めて作らせた。今回のことは、どうかこれでおさめて欲しい」
(綺麗……)
それは見事なルビーだった。
大きさと色の深みだけでも、相当に高価なものに違いない。
熱病の責任の所在を明らかにして、罰を与えるよう言ったヒルミの言葉を気にしていたのだろう。
これで許して欲しいということらしい。
許すもなにも、ルーカス王には何の落ち度もないのに。
受け取るのも申し訳ないと感じているシンディに、「こほん」と壁際から咳払いが聞こえた。
はっと見ると、シリがこちらに合図を送っている。
「え?」
シリはこっそり親指を立てて「さあ、言うのよ!」と肯いている。
(ま、まさか、ここで……)
シンディは「嫌だ、言えない」と微かに首を振る。
しかしシリは親指をさらに立てて「あれを言うのよ!」と合図している。
シンディは絶望を浮かべながら、仕方なくルーカスに告げる。
「ふん、なんて悪趣味なこと。野蛮なラムーザらしい品ですわね。いりませんわ」
(いやあああ! こんなこと言いたくない。なんて嫌な女なの! 違うの。本当はそんなこと思ってないの。ごめんなさい。ごめんなさいルーカス陛下あああ)
しかしシンディの心の声が聞こえるはずもなく、ルーカスは目を見開く。
そして、控えめに……ものすごく控えめに言っても、こんな最低な女、初めて見たという憎悪を浮かべてシンディを見ていた。
(ひいいいい。ほんっとうにごめんなさいいい!!)
しかしヒルミが追い打ちをかけるように告げる。
「まったく、こんな安っぽいブローチで死にかけたシンシア様への罪を帳消しにできると思っていらっしゃるなんて。呆れましたわね、シンシア様」
(ヒルミ。あなたってなんて嫌な人なの。私が思っているみたいにいわないでええ)
しかしシンディは仕方なく、もっともだという顔で肯いた。
「本当にね。信じられませんわ」
ルーカス王の顔が引きつっている。
そりゃそうだろう。
私だってこんな言われ方したら引きつるわ。
「では……加護のお守りはいらないと? 今回のことを両国間の問題に発展させるということですか?」
ルーカスはさすがに不機嫌な顔で尋ねた。
いや、だめでしょ。
ここで受け取らないと、問題が大きくなるじゃない。
バカなの? シンシア。
両国に再び戦争をさせたいの?
それはいくらシンシアの影武者だからといっても受け入れられない。
悪いけど、ここは村娘シンディの気持ちを優先させてもらうわ。
「いえ。気に入らないけれど受け取りましょう。今回だけはこれでおさめますわ。ですが、次はなくてよ。覚えておいてくださいませ」
なるべくシンシアらしく、けれど和解を受け入れたと示す。
ヒルミは少し怪訝な顔をしたものの、ルーカスはほっとしたように「分かった」と答えた。
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