学び舎2

 廊下に張り出された“新入生はこちら”との案内に従って進んでいくと、一階の教室に到着した。校舎は二階建て十五部屋。そのうち十部屋が教室だった。

 案内は羊の皮に記載されていた。この世界ではまだ製紙技術が発展しておらず、本も豚や山羊など、何かしらの動物の皮で作られていた。それにしても、動植物の名前が元の世界と同じというのはシュールで、シニカルな笑いが漏れる。通学するようになる少し前、母親役の人間が庭で飼っている鶏を指さして「オリバー。あれは鶏。キカリキー」などと言ってきた時はつい噴き出してしまって、家庭の日常に見られるささやかな幸福を意図せず演出する羽目になった。母親役の人間はその日の夕食、父親役の人間にその事を話し食卓に賑やかな花を添え、俺も形式上きゃっきゃっとはしゃがなければならなかった。道化のふりをして茶番に付き合うというのは存外ストレスが溜まるもので、父親役の人間の下等な蒸留酒を水に薄めて飲まなければやっていられなかった。二人には申し訳ないが、俺は本当の子供ではないのだ。役者のように演技をするのは大変な労力である。


 そういった事情を鑑みると家から離れられる分学校に通う事は好都合であったかもしれないが、俺は基本的に勉学の類は好きではないため前向きになれなかった。利口とは真逆の脳をしていて、物や道理を覚えるのに難儀する。元の世界でかつて通っていた試験結果は全ての教科で赤点前後と散々たるもので、よく教員に叱られたものだ(「できないものはできない」と開き直ってやったら時代遅れの鉄拳制裁など食らわせてきたあの生徒指導は一生忘れない)。


 学校など行かず、できる事なら生涯家に引き籠り食べて寝るだけの生活をしていたかったのだが、それができなかった理由はいくつかある。

 一つ目はこの世界、引き籠りやニートに理解がないという事。俺が転生したのは明らかに中世ヨーロッパな世界観。貴族をはじめとし、上流階級の人間のために下層階級の人間が汗水たらして働かなくてはならない。でないと土地を取り上げられる。しかし俺が肉体労働などできる気はしなかった。であれば知能労働をするしかない。そのためには所謂“学歴”が必要だった。この世界はまだ識字率も低く皆が皆学校に通えるわけではなかったから、とりあえず学んでいれば食いっぱぐれはしないだろうという皮算用。学校を出ただけでステータスに繋がるのであればこれを得ない手はない。そういう意味では俺は恵まれていた。大工仕事というのはそれなりに儲かっているらしいから、学校に行きたいという願いを頼みやすかった。

 二つ目が、家に閉じこもっていた場合父親役の人間が無理やり俺を連れ出して大工の業務をさせる未来が容易に想像できるという事だ。奴は基本的に俺に行動を促し、承知しない場合は実力行使に出る傾向がある。これには実例があって、ある日、健やかに惰眠を貪っているところへいきなり、「ハイキングだ!」などと強襲され拉致。山などを登らされた事があった。奴は力仕事をしているから無駄にフィジカルが強く抗えない。俺が「働かない」といった日には全力で阻んでくるだろう。根性のない人間に大工など無理の一言。生まれたくもない世界に生まれた挙句、適性のない仕事に就くなど勘弁願いたいものだ。

 三つめは、勉学に励まなくては兵役に出され最前線に立たされる可能性があったからである。

 この時、この異世界“エニス”は、あの憎きコアが言ったように魔王軍と戦争状態が続いていたわけだが人類側は劣勢。数の面で不利となっていて戦線が伸びきり要所が次々と陥落しているという状況だった。これを打破するためには兵を集中させ防衛拠点の取捨選択をすると同時に戦力の強化を実施するしかない。つまりは徴兵による戦力増強である。

 強化や増強といえば聞こえがいいが、要は人肉の壁である。徴兵された人間を盾にして後方から弓なり投石なりで敵兵力を殲滅していくのだ。人材の無駄遣い甚だしいものの、エニスの人類はもはや、そこまできていた。

 この如何にも末期な状態を最初に知った時、俺は悪い冗談か反国家的人間による煽動活動かと思った。しかし月一でやってくる行商人の積み荷から拝借した手紙を読んでいくうちに刻々とのっぴきならない事態へと加速しているのが分かった。手紙は兵達が故郷に宛てたもので、切実な内容が記載されていた。例えば、「明日死ぬかもしれない。明日死ぬだけの人間が兵になるかもしれない」と詩的な表現で綴られた内容などを複数確認している。軍部では着々とジリ貧にしかならない対策が進められ、少年兵の投入が検討され始めていたのである。

 馬鹿のまま最低限の装備を持たされ突撃ラッパに合わせて玉砕するなど御免こうむりたかった。死にたいとは思っていたが自ら選択するのと強要されるのでは大きな違いがあり、決意も違ってくる。誰かに命じられ誰かのために死ぬなど真っ平ごめんだ。それを回避するために、勉学に励む必要があった。


 無駄死にしない方法は二つ考えられた。一つは志願兵となり将官になる事であったが、こちらはあまり現実的ではない。俺が戦いの場で使い物にならないからだ。戦地へ赴けば徴兵された場合と同じく人間の壁として哀れに散る事だろう。よしんば戦果を残したとしても戦える人間が後方任務などに就けるわけもなく、認められれば認められるだけ激戦区へと赴任する事となり、いずれ死ぬ。一応幼年学校がありそこで士官教育がされるそうだが人類側に余裕がない以上、基礎だけ叩き込まれ早々に戦線へ配置される可能性が高い。そうなるとやはり先述のような結果となるだろう。運よく戦闘指揮所に籠っていられたとしても駐屯している軍人からは頭でっかちな子供がやってきたと邪険にされるに決まっている。そこからいびりやいじめに発展し、不慮の事故で死亡なんて結末も十分にあり得たため、こちらは却下である。

 もう一つが兵器開発の点において世界に貢献する道である。

 魔王軍に対し人類は兵力と個のポテンシャルにおいて大きく後れをとっていた。既存の武器では太刀打ちできず、一度衝突すれば死屍累々。勝利を得ても被害甚大。戦えば戦うだけ人類が不利となる。両軍の間には、そこまで圧倒的な差があった。

 その差を埋める発明を行えれば、恐らく戦わせるより後方で頭を使わせておいた方がマシという結論になると俺は踏んだ。その可能性故に、俺は不得意な理系科目などを学び兵器開発を目論んだ。具体的に述べれば銃や自走砲などである。初登校で早々に挫けかけたが、やらねば俺の意に反して死ぬわけだから、やらぬわけにはいかなかった。



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