救え異世界 その身果てるまで
白川津 中々
中世世界エニス
触らぬ神に祟りなし
あれから俺は、まだ人生を重ねている。
令和の何年だったかは覚えていない。どれだけ経っても数字を覚えるのは苦手でまったく改善み込みがないのは我ながら哀切の念が湧くのだが、できないものはしょうがない。社会科の年表で味わった辛酸も喉元過ぎれば。人生はできない自分を受け入れる事が肝要なわけであるから、俺の数字記憶の不具についてはもういいだろう。ともかくとして令和何年かは失念してしまっていて覚えていない。ただし、日付だけはしっかり覚えている。なにせ元日だから、さすがの俺も忘れようがない。令和何年かの一月一日に、俺は異世界に転生したのだ。
「貴方には世界を救ってもらいたい」
突如として知らない空間に俺はいて、知らない人間にそう言われた。
令和何年かの元旦。近所の神社で賽銭を投入後、二礼二拍手一礼を捧げた結果がこの仕打ち。これが天照大御神の御心であれば反神道主義に走り頭を丸めて求道を歩む心づもりであったが、どうやら主宰神様は関係のないご様子だった。
「私はコア。この世界を監視する者です。落ち着いて聞いてください。今、世界が危機に瀕しています」
謎の人間から世界の危機を伝えられた際に取るべき最適の行動を俺は知らなかった。恐らくGoogleで検索してもChatGPTに打ち込んでも適切な解は得られないだろう。そもそも最近のGoogle検索は使えない。ネット掲示板全盛期の時代なら、あるいは「まず服を脱ぎます」くらいの答えは返ってきたかも知れないが、きっと今調べても胡散臭い啓発系のSNSアカウントやライトノベルの購入ページが羅列されるだけで無駄に腹を立てる事となるだろう。
「世界の危機というのは経済的な意味ですか? それと大気汚染的なものですか? もしくは、もっとも単純に戦争とか隕石落下とか、そういったものでしょうか」
どうしていいか分からない以上、当たって砕けろの精神でいくしかない、トライアンドエラーのつもりで目の前の人間(かどうかは怪しいが)に話しかける。一度のトライで深刻なエラーが発生し致命傷を負うという可能性も頭を過ぎったが、こんな見ず知らずの場所で見ず知らずの人間と二人きりの状況自体が既に頭か現実、どちらかの深刻なエラーである。地獄で逃げ回ったところでどうしようもないのだから、進もうと思った。
「全てです。そして、それ以外にもある。貴方には複数の世界を救っていただきたい」
返答を聞いた際に俺は思わず「えぇ」と声を出した。そこまで危険な状況に瀕している世界とやらに驚いたのだ。
「つまり世界恐慌とロンドンスモッグと世界大戦とメテオストライクが同時多発的に起こるという事でしょうか」
「その通りです」
あまりのオーバーキルぶりに渇いた笑いが出た。打ち切り漫画だってそこまで壮大に終わらせはしないだろう。呪われているんじゃないのかと呆れてしまう。
「そんなもの、俺にどうしろというんですか。どうしたって無理ですよ。資金を円滑に回すための知識も学んでないし汚物消毒装置を作り出せる科学者でもない。戦争回避のために奔走するようなパイプがあるわけもなく、隕石を止めるなんてそんな、NASAの管理研修に使われているハリウッド映画じゃないんだから。無理に決まっているじゃないですか」
「できるできないのではないのです。やってもらわなければ困ります」
弊社の上司みたいな台詞を吐かれ辟易。安い給料で「プロなんだから」とほざく中年の浅ましさよ。高度な仕事をさせたければ俺など雇わず高い金を払って専門家を呼ぶべきだ。
「大変申し訳ないのですが、今回は私の希望と御社の業務内容がミスマッチとなっておりますので、恐れながら辞退させていただきます」
建前を述べて拒絶。深々と頭を下げつつ心の中で中指を立てた。見えている地雷を踏む馬鹿はいない。無理難題に対して取るべき正しい行動はエスケープ。俺は全力で拒否の一手を打ち込み、自力独力でこのわけの分からない不思議空間から逃げ出す方法を考える事にした。無茶に思えるが世界を救うのだって同じくらいの無茶だ。同じ無茶なら自己の安全のためにしたい。また、そもそも無茶などせず、ここにずっといてもいいのではないかとも思った。勤続五年で額面二十。年間休日百日でこき使われる仕事漬けの毎日より、誰も知らないまま餓死するまで寝ている方が幸せではないかと血迷っていたのだ。
いつからかは覚えていないが、俺は時折錯乱する癖があり、その度に「ここで死んじまうかぁ」という風な自棄を起こすのだ。会社のトイレで首を括った時などはまさにその狂気の最たる例だろう。バッグをかけるフックにネクタイを通して縊死を試みたあの日、例によって何年何月かは忘れたが、今思うと正気ではなかった。とにかく疲れていたのだ。
結局フックがブレイクして九死に一生。後日、全体朝礼で「備品が壊れている」と部長が長々と文句を垂れていたが内容は覚えていない。その時考えていた事は、「腹が減った」だ。奴の言葉など血にも肉にもならん戯言だった。そして、目の間にいる人間の言葉も同じだ。実に成らぬノイズをどれだけ投げられてもNOの姿勢は崩さない。それが俺のスタンスである。今までそうやって苦難を乗り越え、わぁわぁと喚く人間を諦めさせてきた。残業は許そう。激務低賃金も呑んでやる。だが俺の主義主張と尊厳。そして自由意思まで好きにさせるつもりはない。仕事でもないのに言いなりになるなど、断固として認めるわけにはいかないのだ。
だが、俺はその時に知った。
世の中には、どうあっても抗えぬ力があるという事を。
「残念ながらそれはできません。時間もありませんし、さっそく最初の世界へいっていただきます」
「え?」
瞬間。暗転。
異変に気が付く。どうやら寝ているようだった。夢だったのだろうかと安易な感想を抱きつつ目を開けると、また見知らぬ人間の顔が一つある。ぼやけていて良く見えなかったが、間違いなく人間の顔だった。「誰だ貴様は」と声を出そうとしたが、舌が上手く動かず「あぁ」と白痴のような声を出すのが精一杯だった。
「やった! 男だぞ!」
身体が浮かび、叫ぶ声が聞こえた。俺は思わず「なんだこれは」と呟く。しかし。
「あぁ」
喉からは、間抜けな音しか出てこない。しかも身体も思うように動かせないときている。この状況と周りの声により判断すると、信じ難い事だが、結論を出さざるを得なかった。赤子だ。俺は赤子になってしまったのだ。いったいどうして、深まる謎に身震いすると、頭の中に声が響いた。
“まずは第一の世界。エニスにて、魔王を討伐してください”
「あぁ?」
“エニスはここ百年、人類と魔王軍とで戦争が起きています。人類は劣勢に陥っています。このままでは滅ぼされてしまいますので、貴方が魔王を打倒し、それを防いでください”
「あぁ?」
“頼みましたよ。では”」
「あぁ?」
垂れ流される事後説明に文句も質問もできず、「あぁ?」と声を漏らす事しかできなかった。俺が世界を救わねばならないのか。いったいなぜ俺が。何の利益もないのに。
憂鬱が進み希死念慮が覗き込むも、この未熟な身体では自死もままならない。生まれる絶望。四苦八苦が苛む。
「あぁ」
溜息さえ、クソみたいな音が出た。
始まった俺の連続転生物語。弊社に勤め続けるのとどちらがマシか、考えても答えは出なかった。
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