第71話

 対決まであと三十分。


 再び舞い戻った東雲朝比は、月軍の整備士に修理してもらった白式を格納庫の拘束具に寝かせる形で実体化させる。そして、コックピットに乗り込むやすぐに起動させ、座席のかたわらから戦況の分析や機体調整用のキーボードを引き出す。


 朝比は二ヶ月ぶりの愛機に懐かしさを感じながらもキーボードを操作する手は止めない。


 赤い生物兵器と戦った時に気付いたが、微妙に仕様変更が成されていた。それは東雲アサヒ・朝比が二度と無茶な戦いをしないように機能に制限が施されていた。そのせいもあって『ABS』の発動はもちろん、上手く立ち回るための機動性や反応速度まで落ちていた。これでよく赤い生物兵器と渡り合えたと思う。


 もっとも、赤い生物兵器もまだ目覚めたばかりという雰囲気を醸し出し、現代の空気感に慣れていない様子だったが。


 朝比は首を振り、対決を終えてから考えることにした。


「琴姉の授業聞いてて良かった。アサヒくんもちゃんと聞いてくれてるみたいだし。って言うかパイロットより整備士に向いてるイメージだったからな。その知識が役に立ってる。ありがとうね」


 朝比は独り言を終えると書き換えたOSを起動させる。


「よし、これでオッケーっと。あとは装備だな。海王はビットを使うからこっちもエナジービットで対抗するか。それとも使い慣れてるウィングパックでいくか。幸いにしてビームライフルは携行可能だからどの装備でも対抗できそうだな……よし、これにするか!」


 朝比が装備を決めたところで全天周囲モニターにカレンの姿が映った。それは朝比の意思を汲み取ったかのようにタイミングよく自動でズームされる。


 朝比はコックピットハッチを開けてカレンの下へ歩み寄る。


「あ、ごめんね。一人で尋問室にいるの怖くって……」

「すいません、一人にさせてしまって。ここの人、皆優しい人ばかりだから誰も襲ってきたりしないですね。白式も新品同様に修理してくれていて、これならなんとかなりそうです」

「ち、ちょっと朝比くん!」


 カレンが慌てて朝比の口を手で押さえる。


「ここは敵陣だよ。下手なことは言わない。分かった?」

「あ、すいません」


 カレンの言う通り、朝比の失言を聞いていた月軍の整備士やカル・デローネが鬼の形相を浮かべて睨みつけている。しかし、すぐに表情は一変してクスっと笑い始める。まるで「勝てる訳ないのに」と言われているような気がして朝比は頬を膨らませる。


 そんな朝比の表情を間近で見ていた月軍の整備士が不意に言葉を漏らす。


しろちゃんみたい」


 朝比はその言葉を聞いて視線を向ける。月軍の整備士は肩をビクつかせてそそくさとその場を後にした。


「やっぱりアサヒくんの、いや、俺のお兄ちゃんて言い張ってる白夜って人は月軍のパイロットなのか。そんでもって琴姉の実の弟か……なんか話がごちゃごちゃしてるけど、琴姉のことだし何かあるだろうから、まあ、いっか」

「ねえ、聞いてもいいかな?」

「なんですか?」


 朝比が微笑みかける。


 カレンはそんな少年の表情を見てつい頬を赤らめてしまう。先ほどまでのアサヒとは違う可愛さがある。見たことのある微笑み。間違いなく目の前にいるのは東雲朝比なのだ。


「今の東雲くんはさっきまでの東雲くんと違うの? えっと私と戦ったことがある東雲くんで当ってる?」

「はい。越智隊長のおっしゃる通りです。俺は二ヶ月前に記憶消滅した東雲朝比です。アサヒくんがピンチだったのでちょっとだけ出てきました。多分、またアサヒくんに戻ると思いますけど、堂島さんを倒すまでは俺のままでいられると思います」

「分かった。頑張ってね。私には応援することしかできないから」

「ありがとうございます」


 間が出来た。


 カレンがもじもじし始めたところで朝比がカレンの艶やかな髪をそっと撫でる。


「大丈夫ですか?」

「え、へ? だ、大丈夫だよ? ただ……」

「ただ?」

「なんか自分だけ惚けてるみたいで嫌だなって……こんな時に非常識だよね。ごめんね」


 朝比はきょとんとした面持ちで聞き続ける。


「結局、私は何も出来なかった。赤い生物兵器も朝比くんがいなかったら多分、こうして生きていないと思う。隊長のはずなのに……やるせないよ」


 カレンの表情がどんどん曇っていく。


 朝比はそんな彼女を見ていられなくなり、姉である琴音から教わった女性を元気づける方法を試す。それは以前、記憶消滅をする前に藤堂静香にしたものだ。


 少年の手が優しくカレンの頭を撫でる。身長がカレンの方が高いため背伸びをしながらしているため格好がつかないが、構わず少年は続ける。これで少しでも目の前の女性が癒されるのなら喜んで続けられる。


 次の瞬間、カレンの顔がリンゴのように真っ赤になり、にやけているのか、喜んでいるのかよく分からない表情を浮かべた。


「し、しのの……め、くん? あの……ごめっへ? あ……あれ?」

「あれ? あれは相手の機構人ですよ?」


 朝比は悪戯っ子のような笑みを浮かべて冗談を言う。


「東雲くんってそんなキャラだっけ?」


 カレンは朝比の手を名残惜しそうに離すと、自分で撫でられていた髪をさすり始める。


 朝比はカレンの問いに「イメチェンってやつですかね」と答えると格納庫内の時計に目をやる。


 あと五分で対決が始まる。


 朝比は会釈をするとポケットに入れていた『メモリー』を取り出し、パイロットスーツを自身に纏わせるように実体化させる。そして、カレンに一瞥いちべつすることなくコックピットに入り込む。


 再び白式を起動させ、今度は駆動系にも電源を入れる。それに呼応して動力源からエンジン音のような唸り声がコックピット内に響いてくる。まだ白式は拘束具に繋がれているため、動かすことはできない。しかし、それでいい。まだ時間はある。


『雨も上がったみたいやし、そろそろやるか?』


 白式の隣で仰向けで拘束具に固定されている海王から通信が入る。


「ええ。こちらは準備オーケーです」

『おっしゃ。そんじゃ、マールヴァラ隊長、カル、格納庫のハッチ開けてくれ』


 弥生が指示を出すと格納庫の天井が開放される。先程までの悪天候が嘘のように晴天の空が広がっている。同時に拘束具が機体ごと垂直に稼働し、拘束具が解かれる。


「武装展開」


 朝比は格納庫から伸びたエナジー補給ケーブルが接続されているのを確認してから武装を展開する。無駄なエナジーの消費を抑えるためだ。弥生も同じことを考えていたのか、補給ケーブルが接続されている状態で武装を展開する。


 二人の戦士と二機の機構人が武装を整える。


 この戦いに意味があるのか。誰かがそれを問うた時、返ってくる答えは簡単だ。


 意味があろうがなかろうが今から凄まじい死闘が繰り広げられるのだ。考えている暇などない。しかし、強いて言うなら意味はない。少年が勝手に学園を賭けて月軍の最強戦力に戦いを挑むだけだ。


 だからこそ、少年は負けられない。


 絶対に負けられない。


 朝比は深呼吸をしてから目を閉じて心を落ち着かせる。一呼吸置いて意を決した朝比はまぶたを勢いよく開き、口を開ける。


「東雲朝比、白式、行きます!」


 白式に接続された補給ケーブルが火花を散らして切り離される。同時に海王のケーブルも切り離され、今、二機の機構人が天空へと舞い上がる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る