蒼空海のジュエル
武内 ヤマト
第1部 起
第1章 はじまり、はじまり
第1話
第一話
コックピット内が赤く染まっている。しかし、これは血で染まっている訳ではない。ただモニター越しに映る大気摩擦がそうさせているのだ。加えて危険を示すアラートはいくつも鳴り響き、機体の至る所からガタガタと嫌な音を立てて揺れている。それでも、パイロットは特に気にしている様子もなく、冷静に計器類に目を通している。
「突入角度調整、自動姿勢制御システム、排熱システム共に正常……っと」
パイロットはキーボードを操作しながら、ふと思いついたことを呟く。
「初めての大気圏突入。子ども番組でやらないかな」
『馬鹿じゃないの?』
通信機から女の冷たい言葉が出力される。
パイロットは冗談のつもりで言ったのに、と思いながら苦笑する。
コックピット内に設置されているクーラーのおかげでなんとかサウナ状態からは回避されているが、実際のところ暑いものは暑い。額からは汗が滲み出て拭おうにもヘルメットに阻まれて憮然とした表情になってしまう。
「もうすぐ大気圏を抜ける。MCから発せられる妨害電波を感知。あと五十秒で通信が出来なくなる。最後に任務の確認を」
パイロットの声が低くなる。
『了解。本国に対して敵対行動を示す
「分かってるよ。お前も後で降りて来るんだろ?」
『一ヶ月ちょっと先になるけどね。もしかして寂しいの?』
女性オペレーターは苦笑まじりに言う。先程まで堅苦しかった口調が急に和らいだ。
パイロットはそれを聞いて大きな溜息を着くと口を開ける。
「
女性オペレーター――北上美琴は淡々とした言葉で話しを逸らされたことに怒りを覚えたのか、舌打ちをする。
パイロットはやれやれと言いたい気分になりながらも操縦桿を握る手に力を入れる。なぜなら、もうすぐ大気圏を抜けて重力下での操縦を余儀なくされるからだ。
モニターの向こうはやはり真っ赤に染まっている。見るからに暑そうだ。まさに灼熱と言っていいだろう。外へ出たら一瞬で溶けてしまうのは間違いない。
『はいはい、兵隊ごっこ終了! パイロット科一年B組の
やっぱり、と言わんばかりに一つ一つの単語から美琴の怒りを感じる。
健は漫画で言うところの怒りマークが五個くらいついた状態だな、と思いながら歯を食いしばる。徐々にだが地球の重力が強くなっている。
コックピット内の揺れやガタガタと不安を煽る騒音が一気に強くなる。機体の装甲は既に超高温に達している。それに耐えうる装甲をこの機体は持っている。そのはずだが実際にやってみるとなると恐怖で暑さ以外の汗が噴き出してくる。
「あともう少し……」
程なくして通信が一方的に切られた。いや、切ったのは現在の地球が抱えている大きな問題の一つだ。
健は通信機の接続を切ると機体を安定させるために各部スラスターや背部のフライトユニットを操作する。宇宙と大気の堺を越えたところで高高度から高速で落下しているのには変わりない。フライトユニットと言っても対空装備ではない。ただ滑空するだけのものでバーニアを利用して減速するためのものだ。
数秒してモニターがクリアになり、健は熱で干渉されていた計器類の調整や機体各部に異常が無いか確かめる。
「なんとか減速出来たな。しっかし、大気圏てのはすげえもんだな」
健は母なる地球に関心の意を籠める。そして、目の前に広がる景色に目を向ける。
「青いな」
教科書や写真で表示される画像通りの青色。地球の三分の一を占める広大な海。上空から見るせいか余計に広く感じる。
健にとって地球は小学校五年生の時に月に移住してしまったとき以来だ。
「本当に変わっちまったな」
ピーピーピー。
突如レーダーが何かを捕え、アラームを響かせる。
「これは……ッ!」
強力な妨害電波だ。
先程、通信が切られてしまったのはこの電波のせいだ。そして、その発信源は人間という種の存続に関わる生物――MCだ。
「早速お出ましか。地球の『機構人』が近くにいないとなると狙っているのは俺か」
健の瞳がすっと静まり表情というものを無くす。
高度はまだある。それでも気が抜けない。
健はそっと操縦桿を握り直し、MCと呼ばれる人類の敵が来るのであろう方向をジッと見つめる。
MCと呼ばれている生物は常に強力な妨害電波を発しており、無線での通信が出来ないほどの電波障害を引き起こしているのだ。さらに生物ということだけあって鳥のように空を飛んだり、犬のように四足歩行であったり、人のように二足歩行で二本の腕をもっていたり、人間や犬と同じ大きさであったり種類も多く存在する。しかし、たいていのものは人間を遥かに超えた大きさのいわゆる怪獣である。
今回のものは飛ぶのではなく、海中を泳いで健の駆る機構人に向かって来ている。その証拠に海面が不自然に浮かび上がり、不規則な波を打っている。
健の操る機体にはMCに対抗するための装備が二つしかない。
いや、元々この機体の主兵装はそれしかない。頭部には牽制用のバルカンが二門搭載されているが倒すには頼りない。
「この機体の装備じゃ水中戦は面倒だ。引き上げて一気に決める!」
健は自らの機構人『
全長八メートル。黒い装甲を纏い灰色の関節部を持った人型ロボット。赤い
ここまでしてもなんら人間と相違ない姿をしている。
玄赫は操縦者である南雲健の操縦により迷いなくナイフを抜く。同時に翼を折り畳み滑り込むようにして海面に着水する。
次の瞬間、諸悪の根源が姿を現した。それはまるで翼が生えたヒラメのような怪獣だった。大きさは健が駆る玄赫の二倍近くある。
「やっぱ気持ち悪いな」
健には無駄口を叩く余裕がある。これは油断でも自信でもない。勝つために何をどうすればいいのかをちゃんと理解できているからだ。
MCは海面上を滑るようにして玄赫に真っ直ぐ突っ込んでいく。
「昔動画で見た氷山で滑走するペンギンみたいだな、おい」
玄赫もスラスターの加速を活かし海面を滑るようにして避け、両者とも交差する形で各々の進行方向へ突っ込む。その瞬間、モニター越しにMCの大きな口の歯と歯の間に人間の服が挟まっているのが見えた。
なぜMCが人間から恐れられているのか、それは通信障害を引き起こしてしまうほどの妨害電波を発しているからではない。もちろん妨害電波も脅威になる要素の一つだが、このMCは人間を食べるのだ。
健はすぐさま玄赫が握るナイフの機能を作動させる。
玄赫が握るナイフの刀身が鼠色から紫色に輝き、染まる。
通称HVK。ハイパーヴァイブレーションナイフ。
その名の通りナイフの刀身が超振動することによって切れ味を数倍にする機能を持ったナイフだ。
MCはまた懲りずに海面上を滑るようにして突っ込んでくる。今度は大きく咆哮しながら口を開けた状態でだ。
しかし、玄赫は引くでもなく、海面を滑るでもなくMCに向かって走り出す。
「ここだっ‼」
健は玄赫の装甲にMCの歯が接触する直前でスラスターを吹かし跳躍して、MCの空いた背中に回り込み、機体を回転させながら切り刻む。それも一ヶ所や二ヶ所ではない。最低でも六ヶ所は切った。
刀身にはMCの青色の血がびっしりと付着するはずだが、HVKの切断能力はそれすらも許さない。
「試作機だから無理しないで、か。だったら直接学園に到着するように空路を確保しろってーの!」
健は悪態を着きながらMCの様子を伺う。
MCは悲鳴に似た鳴き声を発して海中に潜り、死から逃れる。つまり、まだ殲滅出来ていないということだ。
健は眉間に皺を寄せて海中に向けてターゲットマーカーを合わせる。
同時に玄赫はHVKを左右のサイドアーマーにジョイントさせて、両手の掌を海面に向ける。するとそこから先端が尖ったアンカーが海中に向けて射出される。このアンカーの先端部分もHVKと同様の機能が備わっているため貫通力が非常に高い。
玄赫は数秒して手応えを感じ取り、フライトユニットのバーニアを吹かして空高く飛び上る。しかし、それを拒むようにMCが玄赫を海中に引きずり込もうと潜水する。言うなれば綱引き状態だ。元々フライトユニットは高速落下する機体の速度を遅くするためのもので飛び上るためのものではない。だが、アンカーを巻き戻して引き上げる分に玄赫の方が有利である。そして海中にいるせいだろうか、浮力によって最大出力を出さずとも引き上げることが出来ている。
段々と影が浮かび上がり海の色とはまた別の青色の液体が浮かび上がってくる。
正真正銘MCの血だ。
「釣りはしたことないが、そろそろ釣り上げ時か!」
玄赫は構わず、そのまま異形の怪物を真っ二つに斬り裂く。
その操縦に慈悲など無かった。
「死んだか」
健は低い声でそう言った。
MCは真っ二つになった後、ゆっくりと海中に沈んでいった。
ピーピーピー。
一息つきたいと思った途端にまたしてもレーダーに反応があった。
「ったく。かなり汚しちまったってェのに今度は何だ」
地球製の機構人だ。
数は七機。先頭に二機、中間に三機、後方に二機とそれぞれ横並びに隊列を組んでいる。先頭の一機は隊長機なのか他の機体と明らかに違う。
「不味いな。確か極秘で学園に渡さないといけないんだっけ。地球軍に機体を預けると返ってこないからな」
健は真剣な面持ちでフライトユニットに付属して装備したステルス装置を起動させ目的地に向かった。
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